ローマ字の生みの親ヘボン

hebon  ヘボン式ローマ字で有名なヘボン博士は、そもそもなぜヘボン式ローマ字を発明したのでしょうか。それは、博士の来日当時(1859年)、まだ存在しなかった和英辞典を作るためで、なぜ和英辞典を作ったのかといえば、それは聖書を日本語に翻訳するためだったのです。つまり、ヘボン式ローマ字は、英語の聖書を日本語に訳する過程で生まれた副産物だということができます。
ヘボン博士は、アメリカの裕福な医者でした。しかし、熱心なクリスチャンだった彼は東洋伝道を志し、自国での安定した生活と財産を投げ打って、言葉の通じない日本へとやって来たのです。
ヘボン博士は、辞書や日本語の聖書のほかに、医療と教育の面でも日本に対して大きな貢献をしてくれました。横浜に住居を構えると、そこを無料の施療所にしたのです。当時の日本では想像もできなかったような高いレベルの医術を身につけた名医が無料で診察してくれるとあって、たちまち、毎日100人以上の患者が訪れるようになったといいます。舞台から落ちて怪我した足が壊死してしまった歌舞伎役者に、足の切断手術を施し、日本で初めての義足をつけ、舞台復帰させてやったりもしました。
教育に関していえば、ヘボン博士は幕府からの依頼で、各藩から選抜された10数名の者に西洋医学と英語を教えていました。この中には、後に総理大臣になる高橋是清や林董が含まれています。教師として働いていたことのある妻のクララも英語塾を開き、当時の日本ではまだその必要性さえ認められていなかった女子教育を始めました。この、男女共学のヘボン塾が、後にフェリス女学院、明治学院へと発展していくのです。
フェリス女学院同様、横浜の名門として知られる共立学園もまた、同時代の宣教師たちが日本に残した貴重な置き土産でした。こちらは、米国婦人一致外国異邦伝道協会という団体から派遣された3名の女性宣教師たちが、日本女子および混血児の教育のために創立した学校です。場所は、ヘボン博士と協力して聖書和訳に携わったS・R・ブラウン博士の屋敷跡に建てられました。
今の時代に当たり前のように存在する日本語の聖書、辞書、医療、高等教育を、最初に日本にもたらしてくれたのは、見返りを求めない献身的な宣教師たちだったのです。

聖書ガイドMOOK リアル聖書入門 第一部 32-33頁より

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