聖書と科学は相容れない?

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  「初めに、神が天と地を創造した」で始まる聖書の物語は壮大な神話であり、当然のことながら、科学とはまったく相入れないものであると考えている人はたくさんいます。一方で、第一線で活躍する科学者の中にも、聖書に書かれていることを事実として信じている人もたくさんいます。
そもそも、近代科学にはキリスト教から生まれたとさえいえる側面があります。例えば、ガリレオ・ガリレイにとって科学とは、自然界の中に創造主なる神のみわざを見いだしていく手段でした。
そんなガリレオが、地動説を唱えたことによって宗教裁判にかけられたことはあまりにも皮肉なことです。当時の社会では、今とは逆の意味で――つまり、科学のほうが真剣に受け取るには値しないものだと思われていたという意味で――科学と聖書は相入れないものだったといえるかもしれません。
時代が進み、現代では多くの人が、科学は絶対に確かなものだというイメージを持つようになりました。しかし実際には、ガリレオの時代から何百年もたった今でも、宇宙の成り立ちについて、ビッグバン以前のことは何もわかっておらず、そのビッグバン説自体も仮説にすぎません。
進化論についても、あたかも証明された事実であるかのように語られていますが、実際には、いちばん最初の生命の元となる有機物がどのようにして発生したかという土台がわからないまま積み重ねられている推論でしかありません。また、それまでほとんど事実のように思われていた有力な学説が、新しい事実の発見によってあっさり覆されてしまうことも決して珍しくはないのです。
他方、自然界の中には、進化や偶然では説明のつかない不思議な事象が数多く見られます。例えば、数学者の間で有名なフィボナッチ数列というものがあります。これは、最初に1を2つ並べ、その後、隣り合う数字を足した数を横に並べていく数列のことで、この数列に含まれる数をフィボナッチ数といいます。
不思議なのは、どういうわけかこのフィボナッチ数が自然界のあちこちに見られるという事実です。有名なものでは、松ぼっくりの鱗片と呼ばれる突起物のらせん、ひまわりの種子のらせん、パイナップルの皮の突起物のらせんの数が、すべてこのフィボナッチ数です。その他、多くの種類の花の花弁や、木の枝の数、草の葉の数などにもこのフィボナッチ数が頻繁に見られます。
また、このフィボナッチ数を求める公式は、黄金比を表す公式とほぼ同じであることがわかっています。黄金比とは、ある長方形から正方形を取り除くと、元の長方形と相似の長方形が残るような長方形の縦の長さと横の長さの比率のことです。ピラミッドの側面の三角形を真っ二つに切って長方形に作り直すと黄金比の長方形になることや、パルテノン神殿の側面が黄金比の長方形であることはよく知られています。
このように、美しい建築物の中に見られる数式が、自然界の中に数多く潜んでいることに、この自然界を「デザイン」したデザイナーの存在を感じとる人たちもいるのです。
あるいは、昆虫の擬態を見て、それを進化の結果と考えるより、目的を持ってデザインされたものだと考えるほうが自然だと思う人々もいます。
例えば、羽に目玉模様のついている蛾や蝶には多くの種類がありますが、これは、天敵の鳥から身を守るための擬態です。こういった模様がついているだけならまだしも、ある種類の蛾は、2匹がお尻をくっつけ合うようにして枝に逆さまに止まると、フクロウそっくりの姿になり、別の蛾は頭を下にして逆さまに木に止まって羽を広げることでフクロウに擬態することができます。
「2匹が協力し合ってこのような形で枝に止まればフクロウそっくりに見えるように進化した」と考えることと、蛾の天敵の小鳥の天敵はフクロウであることを知っている創造者が、ユーモアあふれるデザインを施したと考えることのどちらが自然でしょうか。
世界とそこに満ちる命のすべてが偶然や進化の結果として存在すると考えるのか、あるいは意図と目的を持って創造されたと考えるのか、それは人それぞれです。しかし、科学や自然界について深い知識を持つ人の中に、創造者の存在を認めることは決して突拍子もないことではないと考えている人々が多数いるということは、確かな事実です。
現代においても、ガリレオと同じように、科学とはこの自然界に隠されている神の法則を探し出してく作業のことだと考えている科学者は大勢いるのです。

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聖書ガイドMOOK リアル聖書入門 第一部 18-21頁より

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