似て非なる「預言」と「予言」

13_からすに養われるエリヤ「よげん」という言葉には「預言」と「予言」の2つの漢字があります。音で聞くと同じですが、意味が異なります。よくドラマなどで事件が起きる前に、あらかじめそれを言い当てるときに使われるのは「予言」。
一方、「預言」は、「神の言葉を預かり、それを伝えること」です。聖書に記されている「よげん」は、すなわち「預言」のことで、直接、または聖霊によって示された神の啓示をいいます。
旧約時代は、預言は預言者といわれる特定の人に与えられていましたが、新約時代には、すべての信徒に預言の霊が注がれると記されています《使徒2章》。そして映画や小説などに登場する予言のようにトランス状態や憑依現象の中で発せられる言葉などではなく、考え、受け止める力を持った人間が、秩序だった言葉で神の啓示を伝えています。
預言の目的は、神に従う人たちに今、何が求められているのか、行動や決断に具体的な方向性を示すことにあると聖書は記しています。旧約時代の預言者の働きに共通していえることは、彼ら自身が神に従順で確かな信仰を持って生きていたことと、人々が神から離れているときに神のもとに戻れと何度も繰り返し、神により頼むことにしか困難からの打開策はないことを伝えたことです。
聖書にも、例えばバビロン捕囚やアッシリア捕囚のように、後になって起きることを予告する予言的な預言が書かれていますが、その目的もまた「神に帰れ」という呼びかけでした。
また聖書は何度も、偽預言者に気をつけなさいと警告をしています。「愛する者たち。霊だからといって、みな信じてはいけません。それらの霊が神からのものかどうかを、ためしなさい。なぜなら、にせ預言者がたくさん世に出て来たからです。人となって来たイエス・キリストを告白する霊はみな、神からのものです。それによって神からの霊を知りなさい。イエスを告白しない霊はどれ一つとして神から出たものではありません」《Ⅰヨハネ4・1〜3》。聖書に書かれている預言とは、皆、神とイエス・キリストを告白するものなのです。

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