信仰の父・アブラハム

カラヴァッジオ_イサクの犠牲「信仰の父」と呼ばれるアブラハムは最初、不妊の妻を持つ、子のない男性として聖書に登場します。当時の名前はアブラム、妻の名はサライでした(本文中は、改名後のアブラハム、サラと表記する)。
神に「あなたは、あなたの生まれ故郷、あなたの父の家を出て、わたしが示す地へ行きなさい。そうすれば、わたしはあなたを大いなる国民とし……地上のすべての民族は、あなたによって祝福される」《創世記12・1〜3》と言われたとき、アブラハムは75歳、サラは65歳でした。
その言葉を信じたアブラハムは、妻と甥、それに多くの使用人を連れ、家畜を含む全財産を持って故郷を旅立ちます。
その後、神は改めてアブラハムの子孫が空の星のように増え広がるということを約束し、彼と契約を結びました。しかし、アブラハムが故郷を出てから10年たっても、サラが身ごもることはありませんでした。
そこでサラは自分の女奴隷ハガルを差し出し、彼女によって子をもうけるようにアブラハムに勧めます。アブラハムに子どもができなければ、神が約束してくれた祝福も受け損なうと考えたサラの苦肉の策だったのかもしれませんが、当時の社会的慣習からいえば、これはとりたてて珍しいことでもありませんでした。
アブラハムが86歳のとき、ハガルはイシュマエルという男の子を産みます。しかし神は、自らがアブラハムに与えた約束と、サラが考え出した妥協案はまったく別物であることを明らかにしました。アブラハムが99歳のとき、再度アブラハムに現れ、アブラハムとサラの間に生まれる子どもから子孫が増え広がり、アブラハムは「国民の父」となると告げ、名前も「多くの父」を意味するアブラハムに改名しました。サラ(王女の意味)もこのときに改名されます。
そしてアブラハムが100歳のとき、サラは90歳でついに男の子を産みます。この頃はまだ、人の寿命が200年前後の時代でしたから、現代の100歳や90歳よりは若かったかもしれませんが、サラはすでに月経もなくなっており、この妊娠と出産が奇跡的なものであったことがわかります。
ところが、そのようにしてやっと授かった息子イサクが少年になったとき、神はアブラハムに、モリヤ山でイサクを全焼のいけにえ(罪の赦しのためのいけにえ)としてささげるようにと命じました。
驚くことに、アブラハムはそう命じられた翌朝早くに、神に命じられたとおり、
イサクをささげるためにモリヤ山に向かいます。そして、刀を手に取り、命令を実行しようとした瞬間、神がそれを止めました。神は、イサクをささげようとしたアブラハムの信仰を認め、アブラハムの子孫繁栄と、その子孫によって全世界が祝福されることを改めて宣言しました。
ここに至るまでのアブラハムの行動には、迷いや恐れがなかったわけではありませんでした。妻の勧めを受け入れて女奴隷に子どもを産ませるという過ちも犯しました。それでも、神がアブラハムに語りかけるたびにそれを信じて従い、100歳にしてイスラエル民族の先祖となる子どもを授かり、その子をささげよと言われたときにはその言葉にさえも従ったアブラハムは、「信仰の父」と呼ばれることになったのです。

聖書ガイドMOOK リアル聖書入門 第二部 46-47頁より

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