聖書の世界に生きた人々25 ヨハネの兄弟ヤコブ-人の影に生きることができる人- マルコの福音書1 章16~20節

どの世界でもそうですが、名前や立場はよく知られているのにどのような人なのかよく分からない人がいます。組織で言えば「長」は発言の頻度も社会的認知度も圧倒的です。それと比較して「副」は重要な立場にありながら知られることが少ないのではないでしょうか。これは普段の人間関係の中でも同じで、表に出ている人と控えめで目立たない人とがいます。ある意味でそういう役割によってバランスをとっているのが人間関係なのかもしれません。 聖書に登場する人物の中でもそれが見られます。イエスの十二使徒のひとりのヤコブがそうです。彼は兄弟であるヨハネと一緒に使徒として召された人物ですが、主だった弟子の中では、あまりこれといった情報やまとまった話題がないのです。彼のことを「じれったいほど不明瞭な人物」と評した人がいますが、そういう感じがするのです。
 彼は漁師でしたが、雇い人がいたということですからかなり裕福であったようです。父の名はゼベダイ、母はサロメ。その気性はイエスから|雷の子」というあだ名を付けられたほど激しく、それを彷彿とさせる言葉もでてはきますが、福音書の中には私たちを引き付けるような物語は特に記されていないのです。私など若いころは、彼が激しく、野心家のようにも見えたためか親和感を持てなかったことを今でもはっきり覚えています。
しかし、彼の立場をよく理解し、その人生の結末に目を注ぐとき、そこから見えてくる世界とメッセージには大きなものがあります。彼はイエスの側近の弟子であって、イエスは彼を特別に用いたようです。「ペテロとヤコブとヤコブの兄弟ヨハネのほかは、だれもご自分と一緒に行くのをお許しにならなかった」(マルコの福音書五章37節)とか「イエスは、ペテロとヤコブとその兄弟ヨハネだけを連れて、高い山に導いて行かれた」(マタイの福音書一七章1節)と記されているのです。彼は弟子団の中で指導的地位にあったのだろうと思います。加えて特筆すべきことは、初代教会の歴史を記した「使徒の働き」を見ますとヘロデ・アグリッパ一世によって殺され、十二使徒の中で最初の殉教者となった人なのです。「ヨハネの兄弟ヤコブを剣で殺した」(使徒の働き一二章2節) と記された短い言葉は深い余韻を残すものです。
このように見ていきますと、彼については、まとまった物語がないだけでなく、表舞台で活躍したような記録もありませんが、彼がイエスに信頼され重要な役割を果たしたことは間違いありません。彼のことを英国の聖書学者W・バークレーは「アンデレがペテロの影に生きたように、ヤコブはヨハネの影に生きた。有名な兄弟と平凡な人としての関係において生きることは、やさしい状況ではない」と言っていますが、確かにそうなのです。個人の人生哲学が非常に深いのであれば別ですが、人は本能として日の当たる人生を望むものです。競争も嫉妬もせず人の影に生きることは美しい人生だと思えても、そう生きることを快しとできる人は少ないのではないでしょうか。それを考えると、ヤコブのように弟と考えられるヨハネと常に一緒に名が挙げられていながらその影に生きる人生は優れた生き方のモデルのように思われてならないのです。ふと、かつて読んだ本の中に「人を日陰に置くのではなく、日向に置く人間関係」と書かれていたのを思い出しました。ヤコブについてこの表現が適切かどうか分かりませんが、ヨハネの影に生きられる人物であったとするなら、彼は人を日向に置ける人ではなかったかというのが私のやや主観の入ったヤコブ観です。これはそれほど無理のない学び方のように思われるのですが。

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