ハワイからの手紙 やさしい風に吹かれて-18 タイヤ屋のお兄ちゃん

赤ちゃんが最初に話す言葉は、たいてい「まんま(ご飯)」か「ママ(お母さん)」ですが、我が家の双子の息子たちが最初に話した言葉は、なんと「タイヤ〜」でした。双子には二人だけの秘密の言葉があるらしく、ママが相手をしなくても仲良く遊ぶので、言葉の必要性を感じるのが遅いと言われています。

「タイヤ、タイヤ、タイヤ、ああータイヤ、うータイヤ」と、一歳過ぎの寛(ヒロ)と吾郎(ゴロ)は車に乗ると周囲を見て、そう騒いでいました。車のタイヤそのものだけでなく、丸いものを見るとそれを指さして興奮していました。二人のタイヤ好きは友人の間でも知られるようになり、「将来はタイヤ屋の兄ちゃんだね〜」と言われていました。いつもミニカーを持ち歩き、寝転がって車を走らせ、タイヤの動きをじっと見ている。それがヒロゴロの幼少期の姿でした。

そして、年齢を重ねても彼らの車へのこだわりは変わりませんでした。それが次は車種を記憶する力に表れたのです。逢った人の名前を言う際、「○○○の車に乗ってる△△△さんでしょう」と表現します。更に、その記憶によって車の所有者の住まいまで覚えているようです。実は私の知人たちの所在までよく知っているので、本当にビックリです。

そんなヒロゴロも高校四年生、すっかり心も体も大人びてきて、身長一八三㎝となりました。恵まれた体格は父親ゆずりです。現在高校最後の年となり、将来を考え始めるようになりました。特に長男のヒロは、五年も続けてきたフットボールを突然止めると言いだしたのです。ここハワイではフットボールは花形スポーツ。高校最後の二年は『Varsity』(バーシティー)と呼ばれ、学校の代表チームとなり、いわゆるスターになれる機会を得るのです。それなのに、もうここで止めると言うので私は驚きました。何とその理由は、「自分の頭を打って脳がおかしくなったら困るから、将来のことを考えて僕は止める」ということでした。実はヒロは過去に鎖骨の複雑骨折、脳震盪(のうしんとう)などの怪我を経験しているのです。

そう言い始めたヒロは週に二回車の修理工場で働き始めるようになりました。また数ヶ月前には、某航空会社の研修プロジェクトに応募して見事合格。そこで大変貴重な経験を得て満足そうでした。この大きな変化に、母として私は驚きつつもとても頼もしく思っています。

「私が植えて、アポロが水を注ぎました。しかし、成長させたのは神です。それで、たいせつなのは、植える者でも水を注ぐ者でもありません。成長させてくださる神なのです。」
(第一コリント三章6–7節)

長男ヒロの決意はまさしく成長の証だと思い、神さまに深く感謝しています。たった一分だけのお兄ちゃんなのですが、彼は本当に長男として責任感があり、家族思いで優しい息子です。世の中の計りにとらわれず、自分をよく見つめて将来の道を歩み始めました。タイヤ屋のお兄ちゃんの将来はさてどうなるでしょう…。

 

飯島寛子(いいじま・ひろこ)

世界の第一線で活躍したプロ・ウィンドサーファー飯島夏樹さんと結婚。4 人の子ど もを授かったが、夫は肝臓ガンのため2005 年に召天。 夏樹さんが病床で書き遺した『天国で君に逢えたら』(新潮社)など3 冊の著 書は大きな反響を呼び、映画化された。寛子さんも、自身と家族の“それから” を『Life パパは心の中にいる』(同)に綴っている。現在ハワイで、愛する人 を亡くした方をサポートする自助グループのNPO 法人HUG Hawaii や、 ハワイ散骨クルーズBlue Heaven, Inc. の働きに携わる一方、エッセイスト、 ラジオのDJ として活躍。 担当番組「Wiki Wiki Hawaii」が、毎週日曜日の 朝5時からインターFM で放送されている。マキキ聖城キリスト教会会員。

 

おすすめ記事

ページ上部へ戻る