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立ち止まることのない人生を神と共に

ベサニー・ハミルトン

ベサニーハミルトン -立ち止まることのない人生を神と共に-
片腕をサメに奪われてもなおプロサーファーとして生きる

1990年、ハワイ州カウアイ島に生まれ、幼少期よりサーフィンを始める。13歳の時、練習中にサメに襲われて左腕を失うが、不屈の精神で練習を重ね、トーナメントに復帰。2005年、全米アマチュアサーフィン連盟主催の選手権で初優勝。07年にはプロに転向し、09年、世界ジュニア選手権で準優勝した。04年に発表した自伝『ソウル・サーファー』(ヴィレッジ・ブックス)は、11年に同タイトルで映画化され、日本でも12年に公開。13年に結婚したアダム・ダークスさんとの間に二人の息子がいる。夫と共に若者を支援する基金「フレンズ・オブ・ベサニー」を立ち上げるなど、慈善活動にも力を入れている。

片腕をサメに奪われるという悲劇に遭いながらも、不屈の精神で乗り越え、プロサーファーとして活躍を続けるべサニー・ハミルトンさん。彼女の前向きな生き方は、「ソウル・サーファー」という映画にもなり、世界中で多くの人に勇気と希望を与えた。あれから九年、彼女の人生はどう展開しているのだろう。届いた最新の証しには、今も輝き続ける“ソウル・サーファー”の姿があった。


べサニー・ハミルトンさんは一九九〇年、ハワイのクリスチャン家庭に生まれた。両親の影響で幼少期よりサーフィンを始め、八歳の時、初めて出場したコンテストで優勝。以降、さまざまな大会で優勝を重ね、プロとしての将来を嘱望される存在となった。しかし、二〇〇三年、十三歳の時、突然の悲劇に見舞われる。それは彼女にとって、「一瞬の出来事だった」。


その日、友人とその家族と一緒に、カウアイ島のビーチにサーフィンに出かけたべサニーさん。いつものように海に入り、サーフボードに乗って左手を水に沈め、ぶらぶら揺らしながら、大きな波が来るのを待っていた。ふと、視界に灰色の影が現れた。次の瞬間、左腕にすさまじい圧力がかかり、べサニーさんの体は、稲妻のような速度で引っ張られ始めた。


「全長四・五メートルもあるイタチザメの巨大なあごが、ボートの先と私の左腕を覆っているのが見えました。やがて周りの海水が真っ赤に染まり、見ると、左腕が肩の下からなくなっていたのです」


残された腕でパドリングし、べサニーさんは岸に向かった。その間、「死ぬかもしれない」という恐怖が繰り返し押し寄せたが、「助けてください」と神に何度も祈り、気力を保った。ようやく岸にたどり着き、友人の父親の応急処置を受けると、べサニーさんの意識は次第に混濁。病院に着いた時には血液の六〇%以上を失う瀕死の状態に。懸命な処置と手術の成功により、一命を取り留めた。


病院のベッドで目覚めると、ベサニーさんの前には、厳しい現実が突きつけられた。むごたらしい傷口に嫌悪を覚え、「なぜ、私がこんなことに?」との思いが渦巻く。プロサーファーへの夢も潰えたかに見えた。  ただ一方で、五歳の頃から神を信じていた彼女は、その信仰が心の奥底では平安を保っていてくれることも感じていた。そして事故の日に友人から聞いた聖書のことばを幾度も思い出しては、それが自分への、神からの語りかけと受け取った。  「それはエレミヤ書の『わたしは、おまえたちのために立てた計画をよく知っている。それは災いではなく祝福を与える計画で、ばら色の将来と希望を約束する』(29・11)でした。神様は私を愛し、人生に計画をもっていてくださる。納得がいかないことが起きても、すべては神様の計画の中にあり、悪からでさえ善を生み出してくださるということを、信じたのです」  これを原動力に、べサニーさんはプロサーファーへの再挑戦を決意。事故から一か月後、トレーニングを再開した。始めはボードの上に立つこともできなかったが、諦めずに練習を重ね、左腕の損失を補うための新しいキック法も習得した。

そして事故から三か月後、メジャーコンテストに参加。その二年後には、初めての全国タイトルを獲得した。  「神様は、事故を通し、私に忍耐と力、そしてサーフィンに対する新たな情熱を与えてくれました。事故直後、一人の救急隊員にかけられた忘れられないことばがあります。彼は意識が薄れていく私の耳元で『神様は、決して君を見放したり、見捨てたりしないよ』とささやいたのです。それは、本当でした」



べサニーさんが、自らの体験を著した自伝『ソウル・サーファー』は、発表後、大きな反響を呼び、一一年、同タイトルで映画化。困難に負けず、果敢にサーフィンに挑戦する姿勢は世界の人々を魅了した。



現在、べサニーさんは三十歳。一三年に、牧師のアダム・ダークスさんと結婚し、二児の母となった。べサニーさんにとって、育児と競技生活の両立は想像以上に厳しいものだったが、その経験を通し、大切な気づきもあったと言う。  「一般的に産後は、体型や体力を早く元に戻そうと強制的に体を整えようとします。でもそれは心身に大きな負担で、子育ての喜びも失われてしまいます。そこで次男の出産後、トレーナーと一緒に無理のないトレーニング法を探り始めました。その中で、体をリラックスさせることがとても重要だとわかったのです」  まずはリラックスし、徐々に小さな筋肉へのアプローチから始める。そうすることでベサニーさんは焦りを覚えることなくトレーニングを行い、育児を楽しむこともできるようになった。母親になることは何といっても特別な贈り物であり特権。この体験が同じ悩みを抱える女性たちの参考になり、リラックスを第一に、赤ちゃんと共に過ごす時間を楽しむ助けになればと願っている。



競技のほかにも、障害やさまざまな困難を抱える若者をサポートする慈善活動へ参加するなど、べサニーさんの取り組みは多岐にわたる。その姿勢は多くの人に支持され、一七年にはサーファーとして殿堂入りを果たした。


そして昨年、彼女の新たなドキュメンタリー映画「Unstoppable(立ち止まらない)」が完成。幼少期のアーカイブ映像とともに人生を振り返り、今なお、サーファーとして、一人の妻、そして母親として、神と共に力強く歩むベサニーさんのすべてが描き出されている。日本での公開は未定だが、一足先に、彼女から日本の人たちへ向けた厚いメッセージが届いたのでご紹介する。  「私の人生には多くのチャレンジが投げかけられました。でも、立ち止まることなく進み続け、自分で想像した以上の多くのことができました。  立ち止まらなかったのは、私が完璧だったからではありません。私の強さ、土台、アイデンティティーは、神様が私に与えてくださった信仰にあります。信仰を働かせ、神の真理に根ざして生きようとするとき、人生でどんなに大きな波や難しいチャレンジが襲ってきても、共にいてくださる神様が味方となり、乗り越える力を与えてくださるのです。だから私は立ち止まらない。神様によって、立ち止まらないのです。  そしてあなたにも、神様は同じことを望んでおられます! 共に『立ち止まらない』人生を歩んでみませんか? ぜひ、ご一緒しましょう!」

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ベサニー・ハミルトン
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プロサーファーとして生きる