キリストへの信仰を貫いた
細川ガラシャ
「本能寺の変」で苦難の道へ
「従来の価値観が崩壊し、新たな道を模索する現代の多くの日本人に向けて、同じように未来が見えなかった16世紀の混迷の中で、懸命に希望の光を追い求めた光秀と、数多くの英傑たちの青春の志を、エネルギッシュな群像劇として、2020年新たな時代を迎えるすべての日本人に希望と勇気の物語をお届けします」
NHKホームページに大河ドラマ「麒麟がくる」の企画意図が、このように紹介されています。光秀とは、ドラマの主人公でもある明智光秀のことです。「麒麟がくる」の時代背景は、16世紀のいわゆる戦国時代です。それは、稀代の英傑と言われた織田信長や豊臣秀吉らが、天下取りをもくろみ、光秀も信長の忠実な家臣として、数々の軍功を上げた時代でした。しかし、1582(天正10)年に起こった「本能寺の変」によって、信長と光秀の命運は尽きます。信長に謀反を起こした光秀は、悪臣の汚名を着せられ、その娘である細川玉の人生にも苦難の道が待っていました。
光秀は、謀反を起こす決断をした時、娘婿の細川忠興や高山右近に手紙で支援を要請しています。ところが、2人ともその要請を断り「本能寺の変」の後に、光秀討伐に加わっているのです。特に、忠興にとって、義父・光秀の信長に対する裏切りは、自らを危うくする出来事でした。妻の玉が謀反人の娘ということは、夫の自分が彼女を処分しなければな らない立場にあることを示していました。しかし忠興は、玉を亡き者にすることは忍び難く、辺境の地・味土野(現在の京都府京丹後市)に密かに匿う道を 選ぶのです。二年にわたった味土野での幽閉生活が、玉にとって「生きるとは何か」「人生の意味とは何か」を自らに問う貴重な時となったことは想像に難くありません。
玉の入信日本におけるキリスト教は、1549年、スペインの宣教師フランシスコ・ザビエルの来日に始まります。戦乱の世、人々が死と隣り合わせに生きていた時代に、ザビエルの伝えた「神はどんな人々をも無条件で愛し、死と罪から人々を解放するために御子 キリストが地上に来られた」という教えは、貧しい人々の心を捉えただけでなく、200以上の諸国の大名にも感銘を与え、最盛時には、80人もの大名がキリシタンになりました。16世紀後半から17世紀前半には50万人以上のキリシタンが誕生し、まさに「キリシタンの世紀」でした。
玉は、もともと熱心な禅宗の信徒でした。しかし、僧侶以上に修行に励み、悟りを得ようと努力しますが、心安らかになるどころか、良心の呵責に苦しみ、未来に何の希望も見いだせませんでした。味土野時代、玉は魂の強い渇きを覚え、以前にキリシタン大名の高山右近から聞いたキリスト教の教えを求めるようになります。幽閉が解け、大坂(大阪)の屋敷に帰還した時、玉が真っ先に考えたことは、教会を訪ねることでした。キリシタンの侍女・清原イトから聞くデウス(神)の話は、玉の心に一条の光を与えていたからです。玉が厳しい監視の中、決死の思いで屋敷を抜け出し、教会を訪れたのは1587(天正15)年3月のことでした。
玉にとって、キリスト教の教えは衝撃的でした。「救い」とは、人間の側が修行や努力によって得られるものではなく、すべての人を無条件で愛しておられる天の神の恵みを、ただ、感謝して受け入れるときに与えられるものだというのです。そして、その恵みは地上の幸福のみでなく、死後にもすばらしい希望を約束するというものでした。その年の暮れ、玉 は神の前に罪を告白し、キリストを信じて洗礼を受け、「ガラシャ」というクリスチャンネームを与えられました。「ガラシャ」とは「神の恵み」という意味です。
天に望みを置いて
この間も、世の中は激変していきます。豊臣の天下は1598(慶長3)年の秀吉の死によって揺らぎ始め、2年後に徳川家康が率いる東軍との間に関ヶ原の戦いが起こります。ガラシャの夫・細川忠興はもともと秀吉の部下でしたが、東軍につくため、大坂の屋敷を離れます。豊臣側の石田三成は、当時大坂にいた大名の家族を人質にとり、西軍に引き込もうとしました。光成は細川家に対しても人質を出すように要求し、ついにはガラシャを人質として求めます。しかし、忠興は玉に人質だけにはなるな、そのときは家臣・侍女とともに自害せよ、と命じていました。ガラシャは予期していたのでしょう。あら かじめ、2人の娘を大坂教会のオルガンティーノ神父に預けていました。共に死を望む侍女たちを説得して退避させ、屋敷が火に包まれる中、十字架のある一室に入るとひざまずき、祈りをささげつつ介錯を受け、38歳の生涯を閉じました。現在、全焼した細川家の屋敷跡に唯一残った井戸の側には、記念碑が建ち、そこにはガラシャの辞世の句が刻まれ ています。
「散りぬべき時知りてこそ世の中の 花も花なれ人も人なれ」
聖書のことばが重なって響いてきます。「天の下すべての営みに時がある。生まれるのに時があり、死ぬのに時がある」(伝道者の書3・1、2)
ガラシャの辞世の句には、人ははかない存在だけれど、時を知りたもう神に出会い、その愛によって心満たされている者として、神が定めた死の時を迷いなく迎えることができる潔さを見ます。
人の世のはかなさだけが残る精神風土の日本に、閃光のように走り、広がったキリスト教の教えは、人々に希望を与えました。それは、いのちがこの地上のみで終わるのではなく、死の向こう側に真の喜びの世界があるという福音(グッドニュース)でした。あの戦乱の時代に生まれた、ガラシャの信仰の物語は、混迷する現代に生きる私たちにとって、学ぶべき歴史の真実であることを示しているのではないでしょうか。