オイコス biblelearning

ステップ1 聖書―神のことば

Q1 あなたの人生に転機をもたらしたのはどんなことでしたか?

人を生まれ変わらせる本

 アレキサンダー・セルカーク、と言ってもご存じない方も、ロビンソン・クルーソーと言えば、「ああ、あの有名な」とお答えになるでしょう。航海の途中、難破して無人島に打ち上げられたロビンソンが、神への信仰を支えに創意工夫を凝らして生きぬいていく冒険小説です。実はセルカークというのは、実在のロビンソン・クルーソー、つまりあの名作のモデルなのです。しかしセルカークは、あのロビンソン・クルーソーと違って、荒々しい、手のつけられないほどの男でした。同じ水夫仲間の荒くれ男が、とうとうがまんできなくなって彼を無人島に置きざりにしてしまったくらいです。わずかばかりの身の回りの品といっしょに、ひとりぼっちになったセルカークは絶望のあまり荒れ狂いました。めちゃくちゃなことをしました。が、長い年月がたって、通りかかった船に救い出された時には彼の身辺はすっかり整理され―もっとも無人島でできる範囲のことですが―彼自身全く生まれ変わったような人間となっていました。どうしてでしょう。何が彼をそれほどまで変えてしまったのでしょうか。
 それは1冊の本でした。彼が読んでくれることを願いながら、母がそっと彼の荷物の中にかくすように入れておいた本、聖書だったのです。彼は気が落ちついてくると自分の手元に残された身の回りの品を調べました。そして、その聖書を発見したのです。何もすることのない無人島で、たったひとりで読みはじめた聖書は、のんだくれの水夫を全く変えてしまう力をもっていたのです。

Q2 もしあなたが無人島で暮らさなければならないとして、ただ1冊の本を持って行けるとするならば、どんな本を持って行きますか?

全世界のベストセラー

 「もしあなたが無人島で暮らさなければならないとして、ただ1冊の本を持って行けるとするならば、どんな本を持って行きますか」といった質問に多くの人が「聖書」と答えています。わが国のある有名な作家は旅に出ると、部屋に必ず聖書が置いてあるからというので、いつもホテルに泊まったといいます。
 確かに聖書はふしぎな力と、驚くべき魅力をもっている本といえましょう。キリスト教国でもない日本で毎年数百万部が売れています。朝日新聞の文化面で「隠れたベスト・セラー」と呼ばれたのも当然でしょう。もちろん日本だけではありません。聖書は世界中で読まれています。最近の統計によれば、世界には7,350の言語があると言われています。そのうち、聖書の全部が訳されている言語は692あり、人口にして56億の人が母語で聖書全体を読むことができるそうです。新約聖書のみ訳されているのは1,547言語、さらに少ない部分だけ訳されているのは1,123言語に及びます(2019年UBS〔国際聖書連盟〕統計)。いったい聖書以外にこれほどの数のことばに訳されている書物があるでしょうか。
 印刷術の発達によって書物が広く人々の手にわたるようになったのですが、グーテンベルクが印刷機を発明した時、最初に印刷し完成した本は聖書だったといわれています。聖書を読みたい、また多くの人に聖書を読ませたいという願いが、印刷術を発達させたとさえいえると思います。

Q3 教会はずっと聖書を大切に守ってきたのでしょうか?

火の中を通ってきた本

 聖書がそんなに人の心をとらえてきたとすれば、さぞかし聖書は大切に守られてきただろうとお考えになると思いますが、ふしぎなことにある意味では全く反対なのです。たとえば紀元303年、時のローマ皇帝ディオクレティアヌスは聖書を1冊のこらず焼きつくすようにという勅令を出しました。彼はたくさんのクリスチャンを殺し、多くの聖書を焼きすてました。そして「キリスト教はほろぼされた」ときざんだメダルをつくらせたのです。
 また16世紀には、ティンダルが英語の聖書を出版したという理由で火あぶりにされました。しかし、聖書はのこりました。国家も、教会さえも聖書を守ろうとしたとはいえないのに、聖書は今まで伝えられ、多くの人に読まれているのです。

Q4 聖書は特別な本なのでしょうか?

ごく普通の本

 それなら、どんなに変わったところのある、ありがたそうな本かと思うと、決して特別な本ではありません。何の変わりもないごく普通の書物です。あなたの聖書を開いてみてください。
 目次をあけてみると、この書物が二つの部分、旧約聖書と新約聖書に分かれていることに気がつくでしょう。あなたの持っておられる聖書は、あるいは新約聖書だけかもしれません。しばらくの間はそれでも十分でしょう。しかし聖書というのは旧約聖書(39巻)と新約聖書(27巻)とがいっしょになって、66巻で全部なのだということを忘れないでください。この旧約・新約の約というのは、約束、契約の意味です。聖書は神が人間にお与えになった救いの約束の記録ですから、こう呼ばれているわけです。そして旧約はイエス・キリストがこの世においでになる前に書かれたものですから旧約といわれ、それに対してイエス・キリストがお生まれになってからの書物を新約というわけです。もしかすると、あなたが持っておられる聖書は、旧約、新約の他に「続編」が入っている新共同訳であるかもしれませんが、「続編」についてはここでは触れないでおきたいと思います。

Q5 聖書の著者は誰でしょう?

聖書の中のいろいろな本

 聖書をぱらぱらとめくってみると、その中身は実にいろいろなものがまじっていることがわかるでしょう。歴史の記録がありますし、また手紙もあります。詩の部分もあれば、法律の本のようなところもある。オペラにでもなりそうな詩劇といったものさえ見当たります。いろいろと違っているのは形式だけではありません。その著者といったらまた実に千差万別です。王(ダビデ、ソロモン)もいれば貴族(イザヤ)もあり、名もない漁師(ペテロ、ヨハネ)、羊飼い(アモス)といった人もあります。政治家(ダニエル)、医者(ルカ)、官吏(ネヘミヤ)、宗教家(エレミヤ、パウロ)、学者(エズラ)と、ありとあらゆる職業・地位の人がいます。また書かれた年代からいえば、たぶん紀元前15世紀ころから、紀元1世紀の末ころまで、おおよそ1600年くらいの年月にわたっています。そして書かれた場所はといえばパレスチナ、エジプト、バビロン、ローマ、ギリシア、小アジア、ひとことで言えば当時の文明国のすべてに及んでいるのです。書かれたことばは旧約の大部分がヘブル語で、新約聖書はほとんどギリシア語です。

Q6 聖書はバラバラの文章の寄せ集めですか?

ふしぎな本

 これは驚いた、どうしてそのような寄せ集めの本が1冊の聖書といえるのだろうか。そう思われるかもしれません。しかし、聖書を注意して読む時、その理由がわかってくると思います。それは、聖書全集とでも呼んだほうが適当なようなこの書物が、びっくりするくらい統一がとれているということに気がつくからです。しかし、ふしぎなことは、それだけではありません。考古学者や歴史家は、聖書の歴史的な記事がまちがいだらけだと考えていたこともありました。しかし研究が進むにつれて、聖書の記事の正確さがはっきりしてきました。ドイツのケラーという人は、考古学的に聖書が正しいことを立証しようと、『歴史としての聖書』(邦題)という本を書いています。またわが国のある英文学者は『文学としての聖書』という本を著しましたが、聖書が文学的にどれほど美しい文章であるか、日本語でも文語訳の聖書を読んでみるならだれでも気がつくでしょう。また道徳的な教えの正しさ、きよさは、もちろん万人の認めるところです。前に挙げた例のように、聖書のもつ大きな影響力というものを忘れるわけにはいきません。そして、さらに迫害の中にもふしぎに守られてきたことも考えにいれておく必要があると思います。しかし、もっと驚くべきことは、将来起こることを預言しているということです。たとえば聖書全体にわたって、イスラエル民族(ユダヤ人)は神に選ばれた民であるのに、神のみこころにそむいたため、その国は滅ぼされ、人々は全世界に散らされてしまうこと、しかし神のあわれみによって、もう一度カナンの地(パレスチナ)にもどることができることが預言されています。ユダヤ人はその預言のとおり全世界に散らされました。しかし、ふしぎなことに、ユダヤ人はほかの民族にのみこまれはしたものの、消えることはありませんでした。そして国が滅びてから2000年近くたった今、アラブ諸国の反対にもかかわらず、パレスチナにはイスラエル共和国旗がはためいているのです。またステップ4で学ぶことになりますが、イエス・キリストについての預言も旧約聖書に多いのですが、それもことごとくそのとおり成就しているのです。

Q7 聖書も人間が書いたものですよね?

神のことば

 なぜ聖書はこんなにふしぎな本なのでしょうか。聖書自身はこう教えています。
 「預言は、決して人間の意志によってもたらされたものではなく、聖霊に動かされた人たちが神から受けて語ったものです。」 (Ⅱペテロ1・21)
 ここに2つのことが教えられています。第一に聖書が人間によって書かれたものであること、第二に、それにもかかわらず聖書は、神からのことばであることです。どうしてそんなことがありうるのか、そうおっしゃるかもしれません。しかし、ある一つの機械を実際につくったのが工員であり、そのねじの切り方、材料の削り方に、はっきりとその人のくせが残っていたとしても、私たちはその機械を本当につくったのは、それを設計した人だと言うではありませんか。同じように、聖書は人間が書いたものであっても、神がその人間を教え導いて―といってもその人を神がかりにして操るというようなことではなく、その人の性格や能力を完全に生かしながらですが―神のみこころを誤りなく書かせたものなので、神のことばなのです。そして、私たちがそう信じている理由は、前に挙げたたくさんの驚くべき点が聖書の中にあるからというだけでなく、ここに引用したように聖書自身がはっきりと神のことばであると宣言しているからです。聖書の中には「主がこう言われた」「神が語って言われた」というような表現が、実に2,600回もくりかえされているのです。
 それなら、どうして神は聖書によって私たちに語ろうとなさるのでしょうか。それは、私たちが本当に神について、また自分自身について、そして救いについて知ることができるために、どうしても「神のことば」が必要だからです。もちろん、私たちは自然のありさまをよく見て、神のことを「感じる」ことはできます。しかし、そういう知識は全くおぼろげなものです。また私たちは自分自身の状態や、救いの方法について、いろいろと考えることもできます。しかし、それが自分や自分と同じような人間が、ただそう考えていること、そう思いこんでいるだけでないという証拠は何もないのです。私たちがただ「よい心がまえ」といったものよりも、もっと確かな「真理に基づく信仰」をもつためにはどうしても「神のことば」―神の啓示が必要なのではないでしょうか。そして、聖書がその確かな神のことばなのです。
 そして、もしあなたが本当に謙虚な心で、正しいこと・よいことであったら喜んでそのとおりにしようという気持ちで聖書を読むならば、アレキサンダー・セルカークが聖書を読んで、その生涯を変えられたように、あなたの人生にも必ず新しい光がおとずれると思います。あなたはこうして聖書が神のことばであることを、経験によって知ることができるのです。

〈このステップの内容チェック〉

1)「ロビンソン・クルーソー」のモデル、アレキサンダー・セルカークの人生を変えたのは何でしたか? 彼はどのようにして変わりましたか?

正解
不正解

2)世界の7350の言語のうち、聖書は何種類の言語に翻訳されていますか?

正解
不正解

3)歴史の中で聖書はいつも大切に扱われてきた、○or×?

正解
不正解

4)聖書は大きく分けるといくつに分かれていますか?

正解
不正解

5)聖書の著者にはどんな人がいますか? 当てはまるものをすべて選んでください。

正解
不正解

6)聖書はどのくらいの期間にわたって書かれましたか?

正解
不正解

7)新約聖書は何語で書かれましたか?

正解
不正解

8)イスラエル民族のその後の歴史を聖書は正しく預言していた、○or×?

正解
不正解

9)聖書が「神のことば」であるとはどういうことでしょうか?

正解
不正解

10)どうして神は聖書によって私たちに語ろうとなさるのでしょうか?

正解
不正解