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ステップ3 つくられた人間

Q1 神が人をつくったのでしょうか? それとも人が神をつくったのでしょうか?

人が神をつくったのではないか

ある時、一人の高校生が私に、「この科学の時代に神が人を創造したなどとは考えることができないから……」と言いました。私はその言い方から、彼が決してキリスト教を否定しようとしているのではないということがよくわかりました。彼は、神というのは人間が考えたいわば理想像だ、だからどの宗教の理想像がいちばんよいか、それが知りたいのだ、とこんなふうに考えていたのでしょう。多くの人も同じように思っています。神が人をつくったというより人が神をつくったのだと考えるのです。

そして、「聖書は、神が人を創造されたと教えている」と言うと、それは進化論と矛盾しているから、非科学的な誤りだと言います。しかし、人間が神なしに進化してきたとの考えをとるとしたら、たびたび申しましたように、人間は何のために生まれてきたのでしょうか。人生の意味とか目的とかいうものをどう考えたらよいのでしょうか。

進化論

残念なことに、現在の進化論はまだどのようにして進化が起こったか、それを説明することはできないのです。ある百科事典には「進化がどのようにして起こったかは全くなぞに包まれている」と書いてあります。生物学が進むにつれ、進化というものはダーウィンの考えたように簡単に起こるものではないということがわかってきました。そして現在では単なる偶然では進化は起こりそうもないという考えが生物学者の間で強くなってきているようです。

たとえば生態学者の今西錦司教授(進化論者ですが)は、物活論(物質が命をもっているという考え)とは違うとことわりながら、進化が起こるためには生命の特別な秩序が必要だろうと言っています。さらに進化論の解説者ともいえる八杉竜一教授は「自然科学において、全く反対の説がこれほど長い間対立し続けていることは本当に珍しい。これは純粋な科学の問題でなく、イデオロギーがからんできているからではないか」と言います。つまり進化論の現状は科学の学説には見られないような難問ばかりというところなのです。

現在多くのクリスチャンの科学者たちが、聖書の天地や人間が神によってつくられたという教えと、化石その他の科学的事実(仮説ではなく)とが矛盾していないと確信しています。

Q2 神がすべてをおつくりになったとすれば、人間は失敗作ですよね?

なぜ苦しむのか

しかし、もう一つの疑問があります。それは、私たちが神につくられた者だとしたら、なぜこんなに苦しまなければならないのか、神はなぜこんなに悪い世をおつくりになったのか、という疑問です。この疑問に対して答えるためには、神につくられた人間は初めどんな者であったかを知らなくてはなりません。

神のかたちにつくられた人間

前にも引用しましたが、聖書は「人をご自身のかたちとして創造された。神のかたちとして人を創造し、……」(創世記1・27)と教えています。この「神のかたち」というのはどういう意味でしょうか。手足が二本ずつ、目が二つ、などという肉体のかたちが似ていることではもちろんありません。聖書にはどのように説明されているでしょうか。

「新しい人は、それを造られた方のかたちにしたがって新しくされ続け、真の知識に至ります。」 (コロサイ3・10)

「真理に基づく義と聖をもって、神にかたどり造られた新しい人を着ることでした。」 (エペソ4・24)

理性・道徳性

つまり、いろいろなことを考える力(理性)と、正しさ(義)ときよさ(聖)というような道徳的な性質(道徳性)をもっている点で神に似ているというのです。この点が人間と動物の大きな違いだということはすぐに気がつくと思います。動物は理性ではなくて本能によって行動しますし、また善とか悪とかの区別もしません。ある人は、犬などの動物に何がよいことかを教えることができると考えます。しかし、その動物は何をすると叱られて、何をするとほめられるのかがわかるだけです。よいこと・悪いことがわかったわけではありません。

Q3 霊的な存在とは、どういうことでしょうか?

霊的な存在

しかし、もう一つ忘れてはならないことがあります。ステップ2で学びましたように、神は霊なるお方です。ですから、神のかたちにつくられた人間も、霊的な存在なのです。

「神である主は、その大地のちりで人を形造り、その鼻にいのちの息を吹き込まれた。それで人は生きるものとなった。」 (創世記2・7)

神は物質(土のちり)から人間をおつくりになりました。しかし、それだけではありませんでした。いのちの息を吹き入れられたのです。ヘブル語では「息」と「霊」とは同じことばですから、人間はこれによって霊的な「生きた者」(英語の聖書の中には「生きている魂」と訳しているものもある)となったというわけです。

自由意思・自意識

霊的な存在というのは何でしょうか。ステップ2で学んだことを思い出してみましょう。もちろん人間は、先ほど見たように物質からもつくられていますから、見たり触ったりすることはできます。そうするともう一つの点、人格をもつということが神に似ているのだということになります。人格というのは前のステップでも少し考えましたが、むずかしいことばを使えば、「自意識をもち、自ら決定をくだす主体」と言うことができると思います。くだいて言えば、自分は羽鳥純二であって坂本竜馬ではないと、はっきり自分を他人と区別して意識し、自分の意志でコーヒーではなくて紅茶を飲もうというように決断することができる、すなわち自由意思をもっているものが「人格」なのです。つまり人間は動物と違って、自分で考え、自分でやりたいことを選んでいくことができるようにつくられたのです。しかしよく言われることですが、自由には責任がともないます。本能にしばられている動物には、よいこと・悪いことの区別はありません。本能に従って行動するだけなのですから。ですが、自分ですることを決められる人間には、そのしたことに対する責任、すなわち道徳的責任があるわけです。

Q4 神のかたちにつくられた人間の特権とは何でしょうか?

万物の霊長

神のかたちにつくられたこと、これは人間にとってすばらしい特権でした。

「神は彼らを祝福された。神は彼らに仰せられた。『生めよ。増えよ。地に満ちよ。地を従えよ。海の魚、空の鳥、地の上を這うすべての生き物を支配せよ。』」(創世記1・28)

人間はまさに万物の霊長、地の王者でした。しかし、それよりもさらにすばらしいことは神と交わることができたということです。

神との交わり―生きる目的

序文の中で、私たちの生きる目的は、私たちをつくってくださった神のために生きることだと申しました。確かに聖書はそう教えています。

「わたしの名で呼ばれるすべての者は、わたしの栄光のために、わたしがこれを創造した。これを形造り、また、これを造った。」 (イザヤ43・7)

しかし、神のために生きるというようなことは神の奴隷になることで、楽しみも、喜びもないのではないかとお思いになるかもしれません。しかし、そうではないのです。神のために生きるということは、神と交わりながら生きる、神とともに生きるということなのです。結婚生活を例にとって考えるとわかるかもしれません。妻が夫のために生きるということは、妻が夫とともに生きる、ともに重荷を負い合い、喜びを分け合って生きるということではないでしょうか。人間は神によって神のかたちにつくられましたから、このように神と交わり、神とともに神のために生きることができるのです。

Q5 すばらしいものとしてつくられた人間が、なぜ苦しまなければならないのでしょうか?

しかし、こんなにすばらしいものとしてつくられた人間が、前に考えたように、なぜ苦しまなければならないのでしょうか。それがわかるためには、最初の人間アダム(ヘブル語で人という意味)の起こした悲しい事件について学ばなくてはなりません。

アダムの犯した罪

その事件はアダムが罪を犯したということです。くわしいことは創世記3章に記されていますから、ぜひ読んでいただきたいと思いますが、手短に言いますと、アダムとその妻エバが、神がこれだけは食べてはいけない、食べると必ず死ぬとおっしゃった「善悪を知る木」の実を、へびにそそのかされて食べてしまったのです。ある人はこれはただの物語だと言います。しかし大伝道者ビリー・グラハムは、もしこれがただの神話だとしたら、世の中がこんなに悪く、私たちがこんなに苦しみ、罪が世に満ちている理由を何かほかに考え出さなくてはならないだろうと言っています。

アダムの罪がどうしてそんなに恐ろしい結果を招いたのでしょう。行いとしてはただ木の実を食べたというだけです。しかし彼は神の愛を疑い、神のことばを信じませんでした。そして自分で神のようになり、自分勝手に生きたいと願ったのです。聖書の中から学んでみましょう。

「しかし、善悪の知識の木からは、。その木から食べるとき、あなたは。」 (創世記2・17)

これが神の言われたことばです。ですが、エバはへびにこう言いました。

「『あなたがたは、それを食べてはならない。。あなたがたが』と神は仰せられました。」 (創世記3・3)

傍点を打ったところをくらべてください。エバは神が与えた命令をとても厳しいように言い、また警告はそのとおりにとっていないのです。そしてへびの誘惑にすぐ負けてしまいました。

「それを食べるそのとき、目が開かれて、あなたがたが善悪を知る者となることを、神は知っているのです。」 (創世記3・5)

どんなに小さく見えるようなことでも、神にそむき、神から離れていき、自分で神に代わろうということは恐ろしい罪です。神はアダムに自由意思を与えられました。しかし、アダムはそれを悪く用いて、罪を犯してしまったのです。そしてアダムはその責任を負わなくてはならなかったのです。

Q6 アダムの罪と現代の私たちにどんな関係があるのでしょうか?

ある人は、なぜ神はアダムが罪を犯さないようにできなかったのかと言います。そしてアダムの堕落の責任は神にあると言います。しかし、神は人間を神のかたちにつくり、神と交わることができるというすばらしい特権をお与えになりました。それは人間が自由意思を与えられたということです。しかし、裏返して言えば、罪を犯す自由も与えられたということです。ところが人間はこの人間としてのすばらしい特権を悪用して罪を犯してしまったのです。ですからその責任は全くアダムに、人間にあるのです。アダムは人間すべての先祖です。ですからアダムはいわば全人類の代表として神の前に罪を犯してしまったのです。つまり行列の最初の人がまちがった道に入りこんでしまったために、行列の全部の人が迷ってしまったということです。こうして全人類が苦しみと悲しみの中にさまようようになったのです。なぜなら罪によって神から離れた人間には、ちょうど親から離れた子どもと同じように、決して本当のしあわせがないからです。

「……一人の人によって罪が世界に入り、罪によって死が入り、こうして、すべての人が罪を犯したので、死がすべての人に広がった……」 (ローマ5・12)

人々はこうして神から離れ、その滅びの道を歩み続けているのです。しかし神は救いの道を備えてくださいました。それについては次のステップで学びましょう。

〈このステップの内容チェック〉

1)現在の進化論は、どのようにして進化が起こったかをきちんと説明できる、○or×?

正解
不正解

2)「神のかたち」につくられた人間がもつ特徴とは何でしょうか? 当てはまるものをすべて選んでください。

正解
不正解

3)人間が「霊的な存在」であるとは、どういうことでしょうか?

正解
不正解

自由意志によって道徳的責任から解放される、○or×?

正解
不正解

5)神のために生きるとはどういうことですか?

正解
不正解

6)すばらしいものとしてつくられた人間が、なぜ苦しまなければならないのでしょうか?

正解
不正解

7)なぜ神はアダムが罪を犯さないようにできなかったのでしょうか?

正解
不正解

8)アダムの堕落の責任はだれにあるのでしょうか?

正解
不正解