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ステップ7 王である祭司

Q1 大祭司の務めとは何でしょうか?

大祭司イエス

ステップ6で私たちは、預言者としての務めを果たされたキリストについて学びました。このステップでは、キリストの大祭司としての務め、また王としての務めについて考えたいと思います。

まず大祭司ですが、これは神と人との間に立って、仲介者となり、とりなしをする者です。しかし、前にも学びましたようにすべての人は罪を犯し、神から遠ざけられ、さばかれなければならない者なのです。それならばどのようにして人は神に近づくことができるのでしょうか。大祭司がいけにえをささげることによって初めて神に近づくことができたのです。

「大祭司はみな、人々の中から選ばれ、人々のために神に仕えるように、すなわち、ささげ物といけにえを罪のためにささげるように、任命されています。」 (ヘブル5・1)

罪をゆるしていただくためには、どうしてもいけにえの血が流されなければならないとされていました。

「血を流すことがなければ、罪のゆるしはありません。」 (ヘブル9・22)

Q2 イエスは大祭司としてどんないけにえをささげられたのでしょうか?

イエスのささげたいけにえ

それならば、イエスは大祭司としていったいどんないけにえをささげられたのでしょうか。

「キリストはただ一度だけ、世々の終わりに、ご自分をいけにえとして罪を取り除くために現れてくださいました。」 (ヘブル9・26)

ご自分―これがイエスがささげられた「一つの永遠のいけにえ」だったのです。そうです、もうおわかりでしょう。イエスの十字架こそが、私たちの罪のためにささげられたいけにえだったのです。

ある人はイエスの十字架を偶然のできごとか、あるいは殉教のようなものだと思っています。しかし、けっしてそんなものではありません。前にも引用しましたが、旧約聖書のイザヤ書53章にははっきりとイエスの十字架の意味が預言されています。また十字架をめぐる様々な事件の預言もあります。これは福音書の十字架の記事のところを読むならすぐわかるでしょう(福音書に明記しているもの以外にも預言されていることは多くあります)。そのうえ、創世記から始まって旧約の時代を通して「いけにえの血」によってのみ罪がゆるされると教えられ、またイスラエル人たちが実際にその儀式を行い続けてきたことも、イエスの十字架を予告するものでした。ある人は「聖書全体を通して、贖いの血の、赤く続いた跡をたどることができる」と言っていますが、確かに旧約聖書の最も重大な主題は「救い主の死」による救いということです。さらに新約聖書に目を移すと、十字架の重要性はもっとはっきりします。トーレーという伝道者は、新約聖書の中に十字架について175回も書かれていると言っています。

Q3 どうして十字架がそんなに重要なのでしょうか?

十字架はなぜ必要か

いったいどうして十字架がそんなに重要なのでしょうか。私たちの救いのためになぜ十字架が必要なのでしょう。聖書にこうあります。

「神はこの方を、信仰によって受けるべき、血による宥めのささげ物として公に示されました。ご自分の義を明らかにされるためです。神は忍耐をもって、これまで犯されてきた罪を見逃してこられたのです。」 (ローマ3・25)

私たちは罪を犯しました。そして自分の力でその罪をゆるしていただくことはできません。今まで学んできたような神の律法を私たちはとうてい守ることができませんし、たとえこれから守れたとしても、今までに犯してしまった罪はもうどうすることもできないからです。神は私たちを愛して、こういう私たちの罪をじっとがまんして見逃してきてくださいました。しかし、神は愛の神であるとともに正しい神、どんな罪でもそのまま見逃すことのできない方です。では、どうしたら神のこの愛と義をともに現すことができるのでしょうか。それは、神が、ご自身の御子みこイエス・キリストを、私たちの身代わりとして十字架につけ、正しいさばきを行い、その十字架の血によって私たちの罪をゆるすという驚くべき救いの道だったのです。

Q4 どうしてイエスが十字架につかなくてはならなかったのでしょうか?

なぜイエスの十字架か

私たちの罪がゆるされるためにだれかが身代わりとなって刑罰を受けなければならないとしても、どうしてイエスが十字架につかなくてはならなかったのでしょう。

身代わりとなるための条件を考えてみましょう。まず第一に、人の代わりになるのですから人でなくてはなりません。しかも、罪のない人でなければだめです。ということはふつうの人ではだめだということになります。それにもし罪を犯したことのない人がいたとしても、一人の人はただ一人の身代わりが務まるだけです。ですから私たちの身代わりとして死んでくださるお方は、ただ神であるとともに人であるイエスだけということになります。

Q5 イエスの十字架によって、どんな祝福が私たちのものとなるのでしょうか?

十字架による救い

それなら主の十字架によって、どんな祝福が私たちのものとなるのでしょうか。

宥めのささげ物

「この方こそ、私たちの罪のための、……なだめのささげ物です。」 (Ⅰヨハネ2・2)

宥めのささげ物―つまりこの十字架によって私たちの罪は全くゆるされるのです。

神との和解

「十字架によって神と和解させ……。」 (エペソ 2・16)

十字架によって私たちは神との平和を得ることができるのです。

贖いの代価

「人の子が、……多くの人のためのあがないの代価として、自分のいのちを与えるために来た……」 (マタイ20・28)

贖いの代価というのは、奴隷を買いもどす代金のことです。十字架によって私たちは罪の奴隷であったのが自由にされ、神に従うことができる者とされるのです。

いかがでしょうか。あなたはご自分が神に罪をゆるしていただかなければならない罪人つみびとであるとおわかりになったでしょうか。そしてあなたを愛して、あなたのためにご自身をいけにえとしてささげてくださったイエスの十字架を信じ、罪をゆるし救っていただきたいと願われるでしょうか。もしあなたが、この大祭司であるイエスを救い主として受け入れるなら、あなたの罪はゆるされ、神と和解し、そして罪から解放されるのです。

Q6 イエス・キリストの復活にはどういう意味がありましたか?

救いの確証―復活

それでもなお、ある人は十字架の救いの確実さを疑うかもしれません。それで神は、はっきりした証拠を示してくださいました。

「主イエスは、私たちの背きの罪のゆえに死に渡され、私たちが義と認められるために、よみがえられました。」 (ローマ4・25)

すなわち神は、十字架の上でささげられたイエスのいけにえを受け入れ、私たちの罪をゆるしたことのあかしとして、イエスをよみがえらせたのです。

「死人の復活」など信じられないと言う人もいるでしょう。しかし、神が私たちの救いの確証として、御子を死人の中からよみがえらせることは不可能なことなのでしょうか。それどころか、主の復活については聖書の中に多くの証拠―たとえばイエスの墓がからになっていたことや多くの目撃者がいることなど―があって、最も証明しやすい奇跡とさえいわれているのです。

Q7 イエスは今、私たちのために何をしてくださっていますか?

とりなしをしておられる大祭司

そして復活したイエスは、昇天なさった今も、父なる神のみもとにあって、大祭司として私たちのために祈っていてくださるのです。

「イエスは永遠に存在されるので、変わることがない祭司職を持っておられます。したがってイエスは、いつも生きていて、彼らのためにとりなしをしておられるので、ご自分によって神に近づく人々を完全に救うことがおできになります。」

(ヘブル7・24、25)

この大祭司―「すべての点において、私たちと同じように試みにあわれた」ので「私たちの弱さに同情でき」「折にかなった助けを」与えてくださることのできる大祭司(ヘブル4・15、16)に「大胆に」助けをお願いできることは、なんとすばらしいことでしょうか。

Q8 王としてのキリストの務めとは何でしょうか?

王としてのキリスト

最後に、私たちは王としてのキリストの務めについて考えましょう。

イエスは今まで見てきましたように、謙遜けんそんに神に従い、人に仕える態度でこの地上の生涯を送られましたが、油注がれた王であることも聖書の中に示されています。たとえば、お生まれになった時「ユダヤの王」と呼ばれていますし、十字架を前にしてエルサレムに入城された時、ご自分が旧約で預言されている王であることを、ろばに乗ることによってはっきり示されました。そして、あのみじめな十字架の上にも「ユダヤ人の王」というタイトルが記されてあったのです。

こういう聖句もあります。

「……神は……キリストを死者の中からよみがえらせ、天上でご自分の右の座に着かせて、すべての支配、権威、権力、主権の上に、また、今の世だけでなく、次に来る世においても、となえられるすべての名の上に置かれました。また、神はすべてのものをキリストの足の下に従わせ、キリストを、すべてのものの上に立つかしらとして教会に与えられました。」 (エペソ1・20―22)

イエスはすべてのものの上にある王であるばかりでなく、教会のかしら、教会の王でもあるのです。私たちはこの王に守られ、この王に従っていくのです。

Q9 イエスが再びこの地上においでになる時、どんなことが起こりますか?

再び来られるキリスト

さらに次のような重大なことも教えられています。

「人の子は、やがて父の栄光を帯びて御使みつかいたちとともに来ます。そしてそのときには、それぞれその行いに応じて報います。」 (マタイ16・27)

すなわち、イエスは再びこの地上においでになり(再臨)、すべての人をさばき、そして王として永遠に治めるというのです。そして、これこそキリストを信じる者の望みです。

しかしその時、罪人つみびとは永遠のさばきに定められるのです。聖書は罪を犯した者の「受ける分は、火と硫黄いおうの燃える池の中にある。これが第二の死である」(黙示録 21・8)と教えています。神のあらゆる恵みから永遠に切り離されるのです。そこから逃れる道はただ一つ、今、イエスを信じることです。

私たちはここで静かに神からの救い主のことを―預言者として、大祭司として、そして王としてのお働きの一つ一つを考えてみたいと思います。そしてこのお方を信じましょう。このお方がただひとりの救い主なのですから。

〈このステップの内容チェック〉

1)大祭司の務めとは何でしょうか?

正解
不正解

2)イエスの十字架にはどんな意味がありましたか?

正解
不正解

3)イエスの十字架は旧約聖書に預言されていた、○or×?

正解
不正解

4)イエスの十字架は、どうしてそんなに重要なのでしょうか?

正解
不正解

5)私たちの身代わりとして十字架にかかる条件として必要な条件はどんなことでしょうか? 当てはまるものをすべて選んでください。

正解
不正解

6)イエスの十字架は、どんな祝福を私たちにもたらしたのでしょうか? 当てはまるものをすべて選んでください。

正解
不正解

7)イエス・キリストの復活はどういうことを示しているのでしょうか?

正解
不正解

8)復活したイエスは、今も大祭司として私たちのために祈っていてくださる、○or×?

正解
不正解

9)イエスが王であることを示すしるしはどんなことでしたか?

正解
不正解

10)イエスが再びこの地上においでになるのは、何のためですか?

正解
不正解