ステップ10 満ちあふれる恵み
Q1 救いとは何でしょうか?
「ほころび」と「すくい」
私が教会学校の幼い子どもたちに聖書の話をしていた時のことです。子どもにわかるようにと、ずいぶんことばに注意して話をしていたのですが、とうとうしかたなく「滅び」ということばを使ってしまいました。するとすぐに一人の男の子が手をあげて言いました。「先生、ほろびって何のこと? 洋服が破れること?」彼はほろびを
しかし私たちおとなも、子どもたちのことをあまり笑えないかもしれません。
Q2 「義と認められる(義認)」とはどういうことでしょうか?
義と認められる―義認
私たちは、神の前には
刑罰の免除
第一に、それは神からの刑罰を
「キリスト・イエスにある者が罪に定められることは決してありません。」(ローマ8・1)
こんな話があります。昔、ものすごい大嵐がやって来て、空はまっ暗になり、雷鳴はとどろき、ひょうは降るというありさまで、人々は神のさばきの日が来たと言って恐れました。その時、1人の少年は大声で「ハレルヤ、ぼくは大丈夫だ」と叫びました。信じる者は、神の怒りを恐れる必要がないのです。
ただここでちょっと注意しておきたいことがあります。それは、イエスを信じた者はさばきを受けないと言っても、けっして、クリスチャンがどんな生活をしても、神は全く同じような取り扱いをなさるわけではありません。聖書には「私たちはみな、善であれ悪であれ、それぞれ肉体においてした行いに応じて報いを受けるために、キリストのさばきの座の前に現れなければならないのです」(Ⅱコリント5・10)と教えられています。イエスを信じたとしてもクリスチャンとして悪い行いをするならば、神が与えてくださる報い(報酬)からその取り分を取り除かれてしまいます。しかし、どんなことがあっても永遠の滅びという刑罰を受けることはないのです。
恵みの回復
第二は、神の恵みを受けることができる者とされることです。
「あなたがたはみな、信仰により、キリスト・イエスにあって神の子どもです。」(ガラテヤ3・26)
ただ刑務所から釈放されるというだけでなく、神の家族として受け入れられ、神の恵みを受けることができるのです。
正しいとみなされる
第三は、全く正しい者と認められることです。
「キリストは、私たちにとって……義……になられました。」 (Ⅰコリント1・30)
無罪と認められるだけでなく、キリストのなされたすべてのよいこと、正しいことが私たちのものと認められ、神の律法を完全に守った者とみなされるというのです。自分の真実の姿を反省してみる時、これは信じられないほどの恵みだということがわかります。
Q3 「新しく生まれる」とはどういうことでしょうか?
新しく生まれる―新生
イエスはニコデモにこう言われました。
「あなたがたは新しく生まれなければならない、……」 (ヨハネ3・7)
新しく生まれなければ神の国を見ることも、そこに入ることもできないと言われたのです。私たちも確かにそうだと感じます。生まれ変わって出直したい、そう思うことがどんなに多いことでしょう。ちょうど動物に生まれついたものが、どんなに調教されても、結局は動物で人間の仲間にはなれないように、私たちも神の子に生まれ変わらないならば神の国の民とはなれないのです。
新しいいのち
しかし、神はこの新しいいのちを私たちに与えてくださるのです。
「わたしは彼らに永遠のいのちを与えます。」 (ヨハネ10・28)
そうです。この新しいいのちは、神から与えられる永遠のいのちなのです。
新しい性質
そして、それは新しい性質、新しい心が与えられることでもあります。
「それは、その約束によってあなたがたが、欲望がもたらすこの世の腐敗を免れ、神のご性質にあずかる者となるためです。」 (Ⅱペテロ1・4)
神の性質にあずかる。なんという変化でしょうか。私はクリスチャンになったばかりの時、ある宣教師が私が信仰をもった時のことを「コリント後書5章17節の経験をなさった時」と表現されたのを忘れることができません。
新しい創造
「だれでもキリストのうちにあるなら、その人は新しく造られた者です。古いものは過ぎ去って、見よ、すべてが新しくなりました。」 (Ⅱコリント5・17)
そんなことは考えられないとお思いでしょうか。しかし聖書はこう言っています。
「神の御子の名を信じているあなたがたに、これらのことを書いたのは、永遠のいのちを持っていることを、あなたがたに分からせるためです。」 (Ⅰヨハネ5・13)
Q4 「神の子とされる」とはどういうことでしょうか?
子とされる
さらにもう一つの恵みがあります。それは神の子としての身分を与えられるということです。
「それは、律法の
この「子としての身分を受ける」、あるいは「子にしていただく」などと訳されていることばは、やはり法律用語で、直訳すれば「子としての地位につけられる」、つまり「養子縁組をする」ということです。
新しい身分
義と認められるということは私たちが「新しい立場」を与えられることであり、新しく生まれるというのは「新しい本性」をいただくことですが、子とされるというのは「新しい身分」を与えられることなのです。そして子としての身分を与えられた者は、律法の下から贖いだされて、つまり律法の奴隷としていつもびくびくしていなくてもよい者とされるのです。
新しい特権
しかも、
将来の幸い
子とされるという恵みは、キリストの再臨の時に完全に現されるのです。その時、私たちは主が与えてくださる栄光の富を全部「相続」できるのです。聖書はこう教えています。
「子どもであるなら、相続人でもあります。私たちはキリストと、栄光をともに受けるために苦難をともにしているのですから、神の相続人であり、キリストとともに共同相続人なのです。今の時の苦難は、やがて私たちに啓示される栄光に比べれば、取るに足りないと私は考えます。」 (ローマ8・17、18)
神の救いの恵みはこんなにすばらしいものです。今まで挙げてきた祝福の一つ一つを考えてみるならば、まさしく、「目が見たことのないもの、耳が聞いたことのないもの、人の心に思い浮かんだことがないものを、神は、神を愛する者たちに備えてくださった」(Ⅰコリント2・9)と叫ばずにはいられません。
Q5 「キリストと一つになる」とはどういうことでしょうか?
キリストと一つになる
しかし、私は最後にもう一つのことを述べたいと思うのです。それは、神によって救われた者はキリストと一つになるということです。もちろん前に述べましたように、「キリストが私たちの義となってくださる」と言う時にも、私たちはキリストといわば法律的に一つになったわけです。ですが、ここで言う「一つになる」とは、それ以上のものです。キリストとの生きた結合のことなのです。
それはある宗教が教えるような感情的な神がかりといった体験ではありません。心と心が通い合うというだけのものでもなく、といって私たちが神の中にとけこんでしまって、自分がなくなってしまうというようなことでもないのです。それは、建物と土台、夫と妻、ぶどうの木とその枝、頭とからだなどでたとえられているような一致なのです。これは霊的な、そしていのちの一致です。完全な、そして決して分けることのできない一致です。
「もはや私が生きているのではなく、キリストが私のうちに生きておられるのです。今私が肉において生きているいのちは、私を愛し、私のためにご自分を与えてくださった、神の御子に対する信仰によるのです。」 (ガラテヤ2・20)
「だれが、私たちをキリストの愛から引き離すのですか。」 (ローマ8・35)
「しかし、これらすべてにおいても、私たちを愛してくださった方によって、私たちは圧倒的な勝利者です。」 (ローマ8・37)
Q6 神を信じなくても神からの祝福を得る方法はありますか?
恐ろしい警告
なんというすばらしい恵みでしょう。神の救いは本当に驚くべき祝福です。しかし、この
「あなたは、
あなたは信じようと思いますか。
〈このステップの内容チェック〉
1)救いというのは、苦しみや悲しみの中からすくいあげられること、○or×?
2)「義と認められる(義認)」とはどういうことでしょうか? 当てはまるものをすべて選んでください。
3)「新しく生まれる」とはどういうことでしょうか?
4)神の子とされた人に与えられるものは何でしょうか? 当てはまるものをすべて選んでください。
5)「キリストと一つになる」とはどういうことでしょうか?
6)神を信じていなくても正しく生きている人には、信じる者と同様の恵みが与えられる、○or×?