ステップ12 進み続ける日々
Q1 私たちはきよくなるために何をしたら良いのでしょうか?
育っていくために
ステップ11で私たちは、義認の恵みを受けるために人間には何もできないけれど(ステップ8に出てきたあるクリスチャンのことばを借りれば「救われないように努力する」ことはできますが)、聖化の恵みのためには人間にもできることがあると学びました。これはちょうど赤ちゃんの成長に似ていると思います。赤ちゃんは生まれ出るために自分では何もしませんが、いったん生まれると、その時から自分で息をしたり、ミルクを飲んだりします。そうしなければ成長できないでしょう。しかし、ミルクを飲むということは、赤ちゃんが成長するためにいちばん大切な条件ではないのです。それはミルク飲み人形がいつまでたっても成長しないことからもわかるでしょう。最も重要なのは、いのちが与えられていること、そしてそのいのちの力が働き続けているということです。聖化についても同じことがいえます。最も大切なのは神のなしてくださるみわざです。それがなければ人間が何をしてもむだです。このことは絶対に忘れないでください。私たちをきよくしてくださるのは神なのです。しかし、赤ちゃんを育てる時、私たちはミルクのことや、おむつのことばかり考えます。なぜでしょうか。それは私たちにできることがそういったことだからです。いのちを与えることは私たちにはできないのです。実はここに私たちがきよくなるために何をしたらよいか熱心に考える意味があるのです。私たちにはそれしかできないのです。しかし、できることをやっていさえすれば、後のすべては、私たちにいのちを豊かに与えてくださる神がしてくださるのです。
Q2 聖書を読む時にいちばん大切なことは何でしょうか?
ミルクを飲む―聖書
それならクリスチャンとして私たちが育っていくために―きよくなるためにどういうことをしたらよいのでしょうか。第一にミルクを飲むことです。
「生まれたばかりの乳飲み子のように、純粋な、霊の乳を慕い求めなさい。」(Ⅰペテロ2・2)
「純粋な、霊の乳」とは、「偽りのない、みことばの乳」とも訳せることばです。クリスチャンのミルク―それは一つにはみことば、すなわち聖書です。クリスチャンは聖書を慕い求めなくてはなりません。聖書を毎日読むことです。
ある刑務所の看守長がこんなことを話してくれました。「私は4日に1度、宿直があります。その時は時間がたくさんあるので聖書の読みだめをしました。4日分をひと晩で読みました。ところがだめですね。信仰の消化不良を起こしてしまいました。」
聖書日課のテキストなどを用いて、規則的に聖書を読む習慣をつけるとよいと思います。
わからないところがあっても、がっかりしてあきらめたりしないことです。魚を食べるのになにもむりをして骨までがりがりかじる必要はありません。骨はお皿の隅に出しておけばよいのです。わからないことがあったら、そこにしるしでもつけておいて後で牧師か先輩のクリスチャンに尋ねてみたらよいでしょう。もっとよいのは神に聞くことです。つまり聖書を聖書によって解釈するのです。このわからない聖句が、あの聖句によって説明されている、そういうことがよくあるのです。そういうふうに聖書を読むために、引照付きの聖書はぜひほしいものです。それに、できれば聖書語句辞典(コンコルダンス)があればなお結構でしょう。引照付きの聖書というのは、その聖句と同じような主題を扱っている聖句や、同じことばが用いられている聖句の箇所を挙げてある聖書です。また聖書語句辞典というのは同じことばが用いられている聖句をならべたものです。こういうものを用いて聖書を読むことによって、「聖書を聖書によって読む」ことがたやすくできるわけです。
こういう聖書研究はたいへん楽しくて、始めたらやめられないくらいです。しかし聖書を読む時いちばん大切なのは、
Q3 祈る時に重要なことは何でしょうか?
息をすること―祈り
赤ちゃんは息をします。クリスチャンの呼吸は何かというと、祈りです。
「絶えず祈りなさい。」 (Ⅰテサロニケ5・17)
いつでも、眠っている間も息をしているように、私たちは絶えず祈らなくてはなりません。もちろんこの祈りは、ただ同じことばをくりかえしたり、
そして、そういう祈りの心は、口から出る祈りのことばともなるはずです。朝起きた時、夜寝る時、そして3度の食事の前、1日にこの5回は少なくとも祈る習慣をつけましょう。そうするならば、どんな時でも祈ることができるようになるでしょう。
祈りは神との交わりです。何も特別な名文句をならべる必要はありません。あたりまえの会話のように祈ればいいのです(教会で礼拝の時の牧師や役員の祈りは
「主の祈り」が私たちの祈りの模範です。この祈りをただ口でとなえるだけでなく、よくよく味わってみてください。祈りというものがどういうものかわかると思います。
祈りの内容としては五つの区別があるとよくいわれます。賛美(神の御名をたたえる)・感謝(神の恵みを感謝する)・告白(罪を言いあらわす)・願い(自分のために祈る)・とりなし(人のために祈る)の五つです。私たちの祈りに欠けたところはないでしょうか。
祈りは神との交わりだということも忘れないようにしましょう。自分の言いたいことだけ言って、さっさと帰ってきてしまうような祈りでなく、神に語りかけていただくような静かな時をもつべきです。祈ることと聖書を読むことを組み合わせて、神の前に静まる時(
Q4 教会に行くことにはどういう意味がありますか?
愛する者とともに―教会
乳幼児が早い段階から家庭を離れ、長期間を施設で生活した場合、家族の触れ合いがある家庭で育てられた場合より肉体的にも精神的にも発育が遅れるといわれます。それは施設が悪いというのではなく、いつも抱いたり、ほおずりしたりしてくれる家族との接触が少ないからです。赤ちゃんはひとりぼっちでは育たないのです。クリスチャンも同じです。
「ある人たちの習慣に倣って自分たちの集まりをやめたりせず、むしろ励まし合いましょう。その日が近づいていることが分かっているのですから、ますます励もうではありませんか。」 (ヘブル10・25)
しかしそうは言っても、初めて教会に行く場合、かなりの不安や抵抗を感じるものです。でも「案ずるより生むが
教会に出席したいがどんな教会に行けばいいのだろう、いろいろ教派もあるらしいし、と言う方々が多くいます。教派、教団というのは確かにいろいろあります。聖書のことばを正しく説教し、また礼典(洗礼と
Q5 クリスチャンはだれをまねるべきでしょうか?
まねること―服従
赤ちゃんはいつまでも赤ちゃんではありません。実にものすごい速さでいろいろなことを覚えていきます。ある人は、もし人間が最初の1年くらいのスピードで知恵を増やしていったら、それこそ超天才になってしまうと言っています。このものすごい発達の秘密は、まねることです。クリスチャンもまねなくてはいけません。しかし、人まねをするのではありません。キリストのまねをするのです。つまり、神に従うのです。イエスはこう言われました。
「わたしに向かって『主よ、主よ』と言う者がみな天の
南米のある先住民族のことばでは、信じるということばと従うということばは同じです。確かに信じるなら従うはずです。信仰は服従となって表れるはずです。神のことばである聖書に従う時、クリスチャンは成長するのです。
私は、友人の聖書にサインされた短いことばを忘れることができません。それは SAY YES TO THE LORD !(主に「はい」と言いなさい)ということばでした。主に向かって、いつも「はい」と言っている時、確かに私たちはきよい者となっていくのです。
Q6 伝道するためには特別な訓練が必要ですか?
運動―あかし
また、赤ちゃんはよく運動します。クリスチャンも運動しなくてはなりません。クリスチャンの運動は主をあかしすることです。伝道することです。伝道することなど私にはできない、そう思われる方がおられるかもしれません。しかし、伝道の第一歩は、まず自分が救われたこと、クリスチャンであることをかくさずに人に言うことです。それがりっぱなあかしです。
「あなたがたは行って、あらゆる国の人々を弟子としなさい。」 (マタイ28・19)
イエスはこう命じられたあとで、この約束を与えてくださいました。
「見よ。わたしは世の終わりまで、いつもあなたがたとともにいます。」(マタイ28・20)
主の恵みがあなたがたとともにありますように。
〈このステップの内容チェック〉
1)私たちがきよくなるために何が最も重要でしょうか?
2)聖書を読む時にいちばん大切なことは何でしょうか?
3)クリスチャンの呼吸は何でしょうか?
4)祈りの五つの区別に含まれないのはどれでしょうか?
5)一週間は月曜日から始まる、○or×?
6)クリスチャンはだれをまねるべきでしょうか?
7)伝道の第一歩はどんなことでしょうか?