ステップ2 まことの神
Q1 この科学の時代に、神など時代おくれの迷信ですよね?
見せてもらえば……
数年前、親類の一人の婦人を病床にお見舞いに行ったことがあります。彼女は肺ガンでもう手おくれだと言われていました。「神さまを見せてもらえば信じられるんだけどねえ。」寂しそうに言った彼女のことばがまだ忘れられません。私の長男は幼稚園に通っていたころ、「神さまのショウコを見せてもらいたいなぁ」と私に求めました。見えないから、証拠がないから信じられない、そう多くの人たちは言います。この科学の時代に、神などというのは時代おくれの迷信だと考える人が多くなっていることは確かでしょう。
ベンジャミン・フランクリンが雷は電気の作用だということを証明してから、雷鳴を聞いても人々はそれをカミナリ―神の声だとは考えなくなりました。よくわからないことを何でも神のせいにするようなことは、まちがいだとだれもが考えています。でも、だからといって、科学が進んで神などいないということがはっきりしてきたのでしょうか。神がおられる証拠どころか、神などいないという証拠がたくさん見つかったのでしょうか。
この世には神の存在を信じている多くのすぐれた科学者がいます。たとえばアインシュタインもその一人でした。ということは、少なくともまだ科学は神が存在しないというはっきりした証拠を見つけ出していないという証拠になるのではないでしょうか。ある人たちは、科学は神の存在を裏づけるようないろいろな事実を発見していると考えます。東京のある大学の生物学の教授は私に「実験室の中での命のない薬品か何かいじくっている間はいざ知らず、外へ出ていって生きているものを研究しはじめたら、神がおられないなどとかんたんには言えなくなりますよ」と話されました。またある無神論者の数学者が天文学の研究を始め、毎夜星空を見ているうちに、神の存在を信じるようになったという話もあります。さらにR・E・D・クラーク博士はその著書『創造者』(日本語訳の表題)の中で、「この地球上に特に多く存在する数種の元素がほかの元素にくらべて非常に特殊な性質をもっており、しかもその特別な性質が地球上に生命が存在するためになくてはならない条件となっている。これはどうしても偶然と考えられず、理性をもつお方が計画されたとしか思えない。つまり創造者なる神はおられるのだ」といろいろと具体的な例を挙げて説明しています。同じ著者の『宇宙をみる目』(同じく邦題)もたいへん興味深い書物ですが、確かに自然を本当にすなおな心で見ていく時、その自然の中に神のおられる証拠を見つけることができるのではないでしょうか。
Q2 学問が進歩し技術が発達した現代では、もう人間は神などに頼る必要はないですよね?
神など必要ない
また多くの人は「学問が進歩し技術が発達した現代では、もう人間は神などに頼る必要はない、というよりそんなものに頼りたくない、頼ってはいけない」と考えているようです。しかし、現実の問題として、学問や技術の力だけで人間は本当に幸福になったでしょうか。また、なれるでしょうか。技術が進むたびに人殺しの方法も進んできました。投げ槍で戦ったころの人間と、核弾頭つきのミサイルが今も自分たちをねらっているのだと考えながら生きている私たちと、どちらがしあわせでしょうか。コンピュータは確かに世の中を変えていくでしょう。でもよいほうに変わるでしょうか。ますます人情味のなくなった冷たい世の中になるのではないでしょうか。医学は進歩しました。でもやはり人間はいつか死にます。そして死はどんなに学問が進んでも昔と同じように恐ろしいものなのです。科学や技術によって確かに世の中は便利になりました。しかし、私たちが幸福になるためにはそれだけでは十分と言えないのではないでしょうか。ある人は、人間がつくり出したものは公害だけだとさえ言っています。神を離れた人間は、本当に生きていけるのでしょうか。
Q3 神を求める心は、弱い人だけのものでしょうか?
神を求める心
そうです。私たち人間にはどうしても神が必要です。人類学者は全世界の民族を調査しました。しかし、神のことを考えず、宗教らしいものをもっていない民族はどこにもいませんでした。ある人たちは、「宗教はアヘンだ―国を支配している人々が貧しい人民をだまし、押さえつけておくための道具だ」と言います。
しかし、そういうことが言われるよりかなり昔に、カルヴァンは、宗教をそのように悪用した人たちもいることを認めた上で、「しかし、もし人々の心の中に神をおそれうやまうという心が、初めからすでになかったとしたら、宗教を利用して人を自分の思うとおりにさせることなどできないはずだ」と言っているのです。そしてまた彼は、「神を否定しているような人でも、その心の奥底では神はおられると感じているのだ」とも言っています。
生まれたばかりの赤ちゃんはしきりに何かに吸いつこうとします。それはお母さんの乳房がそこにあるはずだからです。同じように私たちみんなが―特別の人だけでなくみんなが―神を求める心を多かれ少なかれもっているとするなら、それも神がおられるという一つの証拠ではないでしょうか。哲学者カントは「頭を上げて星空を見上げると、この宇宙をつくられた神がいらっしゃるに違いないと思うし、また頭をたれて自分自身の心を反省してみると、正しい生活をせよと命じられる神がおられることを疑うことができない」といった意味のことを言っています。
そして、もし私たちが神からつくられたのでないとしたら、人生に意味も目的もなくなってしまうのではないでしょうか。確かに神は存在するのです。
Q4 神はどういうお方でしょうか?
聖書の教える神
それならば、神はどういうお方でしょうか。私たちはすでに聖書が神とはどういうお方かを教える神のことばであるということを学びました。ですから、聖書が神についてどのように教えているかを見てみましょう。そしてそれと同時に、聖書に教えられている神が、自分の今まで考えていた神と違っているかどうか、違っていたとしたらどちらが本当の神と呼べるか、それをよく考えていただきたいと思います。
Q5 神を見ることはできますか?
霊なる神
聖書はまず第一に、神は霊であると教えています。
「神は霊ですから、神を礼拝する人は、御霊と真理によって礼拝しなければなりません。」(ヨハネ4・24)
霊というのはどういうことでしょうか。まず、物質的ではないということです。人工衛星が初めて打ち上げられた時、ある人は、「人工衛星は神にぶつからなかった。神はやはりいなかった」と言いました。しかし、それは当然です。神は、ぶつかったり肉眼で見えたりするような物質的な方ではないのです。またある教会に一人のおばあさんがやってきて、どうしても御神体を見せてくれと言って聞かなかったそうですが、神はそういう御神体などを飾って礼拝するものでもありません。つまり神は人間の考えをこえた方であって、人間がつくった偶像ではないのです。
神は霊であるというのは、神が人格をもっておられるということでもあります。つまり神は自然界の法則とか、ある種の力とか、あるいは自然全体とかいうようなものではなく、ご自分で意識し、考え、決心し、行動なさるお方なのです。
Q6 日本には日本の神がおられますよね?
唯一の神・創造主
次に、聖書ははっきりと神はただひとりの神であると教えています。
「『世の偶像の神は実際には存在せず、唯一の神以外には神は存在しない』ことを私たちは知っています。」 (Ⅰコリント8・4)
確かに、この世の中にはたくさんの神がいて、山や川や火が神とされ、木や石や金属でつくった偶像が神であるという考えはおかしいのではないでしょうか。また生きていてさえ弱い人間が、死んだからといってどうして力ある神になるということが考えられるでしょうか。
神がただおひとりであるということは、日本の神とか西洋の神とかいう神ではなく、全世界の、全宇宙の唯一の神であるということです。
そして、何度も言いましたように、神は天地を、また私たち人間を創造された方です。
Q7 神も状況によって変化なさいますか?
永遠
こういう神がどんな制限も受けつけない、完全なお方であるということは当然でしょう。神は時間に制限されません。つまり永遠です。
「アブラハムはベエル・シェバに一本のタマリスクの木を植え、そこで永遠の神、主の御名を呼び求めた。」 (創世記21・33)
不変
神は変わることもありません。
「父には、移り変わりや、天体の運行によって生じる影のようなものはありません。」(ヤコブ1・17)
Q8 神はどこにおられますか?
遍在・全知・全能
神は場所にも制限されず、知識においても、能力においても少しも欠けたところはありません。
「主のことば─天にも地にも、わたしは満ちているではないか。」 (エレミヤ23・24)
「まことに主は、すべてを知る神。そのみわざは測り知れません。」 (Ⅰサムエル2・3)
「神にはどんなことでもできます。」 (マタイ19・26)
Q9 神は心の広い方なので、少しぐらいの悪事は見逃してくださいますよね?
きよい神
また、こういうことばもあります。
「神は光であり、神には闇が全くないということです。」 (Ⅰヨハネ1・5)
神は光の神です。それは第一にきよい神です。少しの罪や汚れも寄せつけないお方です。人の悪口を言った口、うそをついた口で、お祈りしたり賛美したりしても、それを絶対にお受けにならない神なのです。
正しい神
また、どんな罪もそのままで見逃すことをなさらない正しい神でもあります。おさい銭をあげたり、罪ほろぼしの行(ぎょう)をしたりして、ごまかそうとしても、決して受けつけないお方です。神信心と毎日やっていることとは無関係だ、そんなことをまことの神に対して言うことはできません。
善の神・愛の神
しかし、ただそれだけだったら、光というものの性質をかたよって考えていることになります。光は人々を明るくし、また温めます。光の神はまた、善の神であり、愛の神なのです。神の愛は聖書のあらゆるところにあふれています。よい例はこれです。
「神は、実に、そのひとり子をお与えになったほどに世を愛された。それは御子を信じる者が、一人として滅びることなく、永遠のいのちを持つためである。」(ヨハネ3・16)
いのちの神
最後にもう一つ、神は生きておられる、いのちの神です。そして私たちにいのちを与えてくださるのです。私たちの肉体の命だけでなく、本当のいのち―いのちの望み、いのちの喜び、いのちの力、いのちの平安―人生の目的とそれを生きぬいていく力を与えてくださるのです。
いかがでしょうか。あなたも、あなたを愛していのちを与えようとしていてくださる神を信じてみませんか。自分をつくってくださった神、きよく生きることを求めておられるきよい神の前に、人間としての責任を十分果たしているかどうか反省し、非を認めて神を信じる時、神はあなたにこのいのちの恵みをお与えになるのです。