サマリアの女:特別な水をもらう イエスに出会って変えられた人生
イエスと弟子たちがサマリアの町を通りかかったときのことです。イエスは旅の疲れから、井戸のそばで休憩をとり、弟子たちは町に食料を買いに出かけていきました。すると、1人の女が水をくみにやってきて、イエスはその女に水を飲ませてくれるように頼みました。女は驚いて、「あなたはユダヤ人なのに、どうしてサマリアの女の私に、飲み水をお求めになるのですか」(ヨハネ4・9)と尋ねます。イエスはその問いには直接答えずに、「わたしがだれなのかを知っていたら、あなたのほうからわたしに求め、わたしはあなたに生ける水を与えただろう。井戸の水を飲む人はみな、またのどが渇くが、わたしが与える水はその人の内で泉となり、永遠のいのちへの水が湧き出る」(同10〜14節参照)と、謎めいたことばを返します。
彼女にはそのことばの意味が理解できませんでしたが、興味と関心を覚えたのでしょうか、その水を与えてくれるようにイエスに願いました。するとイエスは、がらりと話題を変えて、「あなたの夫を呼んできなさい」と言いました。女は驚くと同時に、困惑したことでしょう。というのも、これは彼女にとっていちばん触れてほしくない話題だったからです。彼女が「私には夫はありません」と答えると、イエスは「自分には夫がいない、と言ったのは、そのとおりです。あなたには夫が五人いましたが、今一緒にいるのは夫ではないのですから」(同17、18節)と、ずばりと真相に踏み込んできました。
驚いた女は、「あなたは預言者だとお見受けします。私たちの先祖はこの山で礼拝しましたが、あなたがたは、礼拝すべき場所はエルサレムにあると言っています」(同19、20節)と話をそらそうとしました。イエスは、「この山でもなく、エルサレムでもないところで、あなたがたが父を礼拝する時が来ます。……まことの礼拝者たちが、御霊と真理によって父を礼拝する時が来ます。今がその時です」(同21、23節)と、さらに踏み込んだ答えを返しました。
この出来事が起こったのは「第六の時」と記されていますが、正午頃のことです。日差しの強い暑い国では、井戸の水くみという仕事は朝か夕方に行うのが普通です。しかしこの女性は、「夫が5人いたが、今いる人は夫ではない」という不道徳な生き方をしていたため、村では蔑まれ、嫌われていたのでしょう。それで人に会うことを避け、誰も井戸に水くみに来たりしない時間をわざわざ選んでやってきていたのです。
水をくみに来たとき、井戸端にユダヤ人男性のイエスがいるのを見て、彼女はギョッとしたかもしれませんが、まさか話しかけてくることはないと思っていたことでしょう。いろいろな意味で、彼女は無視されて当然の存在でした。ところが、イエスはそんな彼女に話しかけ、しかも、自分が永遠のいのちへの水を与える存在であること、彼女がいちばん隠しておきたい事実も知っていることなどを示したのです。
サマリアの女は、ここまでの会話を通して頭に思い浮かんだことを口にしました。「私は、キリストと呼ばれるメシアが来られることを知っています」(同4・25)。するとイエスは、はっきりと答えました。「あなたと話しているこのわたしがそれです」(同26節)。
そのことばが真実であることを確信した女性は、自分が人の目を避けていわゆる日陰の生き方をしていたことも忘れ、まっしぐらに町へ行き、メシアと思われる人物に出会ったことを人々に知らせて回りました。その結果、その町のサマリア人の多くの人々が、その日のうちにイエスを信じた、とヨハネの福音書は記しています。