《聖書バトルvol.1》人類は楽園追放へ

ミケランジェロ・ブオナローティ作「原罪と楽園追放」

サタンの巧妙な誘惑に乗ってしまった2人の行く末は!?

 神に造られた最初の人間アダムは、エデンの園に置かれ、そこの管理を任されていました。やがて、彼のあばら骨からエバが造られると、アダムは「私の骨からの骨、肉からの肉」と喜び、2人で仲睦まじく暮らすようになります。
 神はアダムに園の管理を任せるとき、「どの木からでも思いのまま食べてもよいが、善悪の知識の木からは、食べてはならない。食べたら必ず死ぬ」と警告していました。
 しかしあるとき、蛇に姿を変えたサタン(悪魔)がエバに近づき、「神は本当に、園の木のどれからも食べてはならないと言ったのか」と、話しかけたのです。これが人類初の悪魔とのバトル勃発の場面です。
 サタンは、実際には神がそんなことは言っていないことは承知のうえで、あたかも神が理不尽な命令をしたかのような口ぶりでエバに話しかけました。誤解や不信を生じさせ、人と人、神と人の間を隔てていくことこそ、バトルメーカー・サタンの常套手段です。
 エバは、「神は、園の中央にある木の実について、『あなたがたは、それを食べてはならない。それに触れてもいけない。あなたがたが死ぬといけないからだ』と神はおっしゃった」と、実際とは微妙に違うことを答えます。実際は、①「触れてもいけない」とは言われていない。②食べたら「死ぬといけないから」ではなく、「必ず死ぬ」と言われたのです。あたかも神が必要以上に厳しい禁則を設けたかのような口ぶりと、それを破った場合の結果を軽めに評価している態度からは、言いつけを破りたい気持ちが満々なことがうかがえます。
 エバのそんな心の揺らぎにつけ込むように、サタンは大胆に切り込みます。「あなたがたは決して死にません。目が開かれて、神のようになる」と断言するのです。エバはついに善悪の知識の木の実を口にしてしまいました。しかし、後ろめたさと不安な気持ちがあったのでしょうか、アダムにも食べるように促しました。

ミケランジェロ・ブオナローティ作「原罪と楽園追放」

神は2人に皮の衣を贈った

 アダムは、園の管理を任せられた責任者ですから、当然、神の言いつけを守るべきでした。しかし彼にも食べたい気持ちがあったのかもしれません。抵抗することなく、その木の実を口にしました。
 その結果はどうだったでしょうか。2人がその場でただちに死ぬことはありませんでした。しかし、神に背いたため、そのときまで禁じられていなかった「いのちの木」の実も食べることを禁じられた結果、時が来れば必ず死ぬ身となりました。こうして、人類に「死」が入り込みました。
 また、「神のようになる」ことはありませんでした。ただ、それまで何とも思っていなかった裸を恥ずかしく思うようになり、何の屈託もなく親しんでいた神を恐れて隠れるようになりました。神との関係に決定的なひびが入ってしまったのです。
 アダムは、「あなたちは、食べてはならない木から食べたのか」と神に聞かれると、「あなたが私のそばに置いたこの女のせいで」と言いました。「私の骨からの骨、肉からの肉」と喜んだ妻を「この女」呼ばわりして罪をなすりつけ、そもそも自分に与えられていた戒めを破ったことについては何の謝罪もありません。ここだけ切り取れば、サタンの勝利と言いたくなるような場面です。
 実は、サタンの前身は御使い(天使)でした。自分が神になりたいとおごり高ぶった御使いが、天から追放されてサタンになったのです。旧約聖書の中のイザヤ書に、「明けの明星、暁の子よ。どうしておまえは天から落ちたのか。……おまえは心の中で言った。『私は天に上ろう。神の星々のはるか上に私の王座を上げ……いと高き方のようになろう。』だが、おまえはよみに落とされ、穴の底に落とされる」(14・12~15)とあります。神とサタンのバトルが始まった瞬間です。
 サタンが言った「神のようになって善悪を知る者となる」とは、自分と同じ轍を踏ませようという誘惑だったのです。そうやって、人と神との間に溝を作りたかったのです。サタンのもくろみどおり、人は、神との間に隔たりを作ってしまいました。
 この3者に対して神はそれぞれにさばきを下します。サタンに対しては、「女の子孫との間に敵意を置き、彼は、おまえの頭を打ち、おまえは彼のかかとを打つ」と言います。これは、ずっと後に人間としてこの世に来るイエス(=女の子孫)との間に戦いが起こるが、サタンは頭を踏み砕かれる、つまり完全な敗北を喫するということです。
 アダム(男性)には、労働の厳しさ、エバ(女性)には出産の苦しみが与えられることが言い渡されました。そして、2人ともエデンの園から追放されました。しかし、神はこの2人を完全に見放したわけではなかったのです。皮の衣を着させ、労働によって生きていける土地を与えました。
 こうして、人類は「原罪」と呼ばれる根源的な罪を抱え、その罪のゆえに人間どうしでも、神に対しても、バトルを繰り広げる歴史を歩むことになりました。その背後ではサタンも暗躍しています。しかしバトルの最終的な勝者はイエス・キリストであることが聖書では明言されており、その勝利が人と神との隔たりを埋めることにもなるのです。      《創世1、2章》

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