《聖書バトルvol.7》神の子イエスと3番勝負

作者不明「キリストへの誘惑」

洗礼を受けたイエスは荒野で40日間、断食をした。そこにサタンがやってくる……。

 新約聖書のルカの福音書に、サタン(悪魔)とイエスが直接対決した記事が記されています。それは、イエスが人の世で公の活動を始める前に荒野に入り、40日の断食をしているときのことでした。サタンがそこに現れ、あの手この手でイエスを誘惑し始めたのです。
 イエスは神の子でしたが、人間のすべての罪を背負って十字架にかかるために完全な人間として人の世にやってきました。そして、人が経験するすべてのことを経験しました。その中には「サタンに誘惑される」ということも含まれていたのです。これはイエスが経験しておかなければならないことだったので、聖霊はイエスをこの荒野でのサタンとの対決へと導いたのでした。
 サタンはまず、40日の断食のあとで究極の空腹を覚えているイエスに向かって、「あなたが神の子なら、この石に、パンになるように命じなさい」と挑みます。人であり神であったイエスには、石をパンに変えることくらい何でもありませんでした。
 しかし、このときのイエスは、これから世で公に活動を始める準備として荒野に退き、断食をして祈っていたのであって、石をパンに変えて食べるくらいなら、そもそも断食をする必要などなかったわけです。とはいえ、人間の肉体をもつイエスですから、40日の断食のあとは、「空腹を覚えられた」(ルカ4・2)とわざわざ聖書が記すくらいの状態で、サタンのこのことばも立派な誘惑として成立したことでしょう。
 けれどもイエスはその誘惑に対して、「『人はパンだけで生きるのではない』と書いてある」(同4節)と答えて退けます。これは旧約聖書の申命記8章3節の「人はパンだけで生きるのではなく、人は主(神)の御口から出るすべてのことばで生きる」ということばの引用で、「人間にはもちろん肉体の欲求を満たす必要があるが、それ以上に大切な霊の問題がある」という意味です。
 次にサタンは、「もしあなたが私の前にひれ伏すなら、国々の権力と栄光をすべてあなたにあげよう」と迫ります。これは、ある面から言えば、まったくのでたらめというわけでもありません。というのも、サタンは最後の審判の時には完全に封じ込められ、敗北することが決まっているのですが、それまでの間、ある程度自由に動くことができるからです。

イワン・クラムスコイ作「荒野のキリスト」

サタンの誘惑に対し聖書のことばで退ける

 聖書はサタンのことを「空中の権威を持つ支配者、すなわち、不従順の子らの中に今も働いている霊」(エペソ2・2)と呼び、「悪魔が、吼えたける獅子のように、だれかを食い尽くそうと探し回っています」(Ⅰペテロ5・8)と言っています。
 それでも、イエスが権力を求めてサタンを拝むなど、突拍子もなさすぎて誘惑になりえないのではないかと思われるかもしれません。しかし、サタンの誘惑は巧妙です。この世において力を与えられている自分が協力してやれば、あなたは願うとおりの良い行いでも改革でも、何でも好きなようにできるのではないか、と言っているのです。良い行いをするために、自分を拝めば話が早いではないか、ということです。イエスは、自分がやがて十字架にかからなければならないことも知っていましたから、この提案もやはり、誘惑になりえたことでしょう。
 けれどもイエスは「『あなたの神である主を礼拝しなさい。主にのみ仕えなさい』と書いてある」(ルカ4・8)と答えます。たとえサタンに一時的な権威が与えられているとしても、最後に勝利を収めるのは神です。そしてその手段の中に、イエスにとっては何よりもつらい十字架という計画が入っていたとしても、それが最善であることを信じて、神以外の存在に膝をかがめることはないと、サタンのことばを退けたのです。
 最後にサタンはイエスをエルサレムの神殿の上に連れて行き、「あなたが神の子ならここから飛び降りてみなさい。御使い(天使)たちがあなたを守るはずだから」と言います。確かに詩篇には、「主が あなたのために御使いたちに命じて あなたのすべての道で あなたを守られるからだ。彼らはその両手にあなたをのせ あなたの足が石に打ち当たらないようにする」(詩篇91・11〜12)とあります。
 しかしそれは、神が自身の民をどのように守るかを描いた箇所であり、御使いを使って神の力を誇示するためのものではないのです。イエスは「『あなたがたの神である主を試みてはならない』と言われている」と、申命記6章16節を引用して退けました。
 こうして、誘惑の手を尽くしながらすべて退けられたサタンは、「しばらくの間イエスから離れた」(ルカ4・13)と聖書は記しています。つまり、そこで完全に消えていなくなったわけではないのです。実際、イエスはその後、悪霊に取りつかれた人々に何度も出会い、そのつど追い払っています。悪霊はイエスのことばに従わざるをえません。最終的かつ完全な敗北まで時間の猶予が与えられているとはいえ、神対サタンの勝負はすでについているからです。
 聖書が教えているのは、サタンは今も活発に活動してはいるが、イエスはすでに勝利を収めているので、イエスに従う者はその勝利にあずかることができるということです。            《ルカ4章》

関連記事

おすすめ記事

ページ上部へ戻る