ノア:箱舟を作った義人 大洪水は人類に下された神のさばき
世界をリセットした大洪水
ノアの時代の特徴を一言で表すなら、それは非常に悪い時代ということでした。創世記6章はこの頃のことを「地上に人の悪が増大し、その心に図ることがみな、いつも悪に傾く」(5節)、「地は神の前に堕落し、地は暴虐で満ちていた」(11節)、「すべての肉なるものが、地上で自分の道を乱していた」(12節)、「地は、彼らのゆえに、暴虐で満ちている」(13節)と、これでもかこれでもかといわんばかりに厳しく糾弾しています。
この時代に生まれたら、どんなにか殺伐とした恐ろしい環境に身を置くことになっただろうとひるむような時代でしたが、創造者である神自身もこの惨状に対して、「わたしが創造した人を地の面から消し去ろう。……わたしは、これらを造ったことを悔やむ」(7節)と言いました。これは、神を擬人化して考えると人間を造ったことへの後悔のようにも読める箇所ですが、聖書の別な箇所には「イスラエルの栄光である方(神)は、偽ることもなく、悔やむこともない。この方は人間ではないので、悔やむことがない」(Ⅰサムエル記15・29)とあります。
この箇所は、自由意志をもつ存在として造られた、初めの人間アダムとエバが、その自由意志をもって神に逆らうことを選んで以来、時を経て、数が増えても人間の悪を選ぶ傾向は変わらず、むしろどんどんひどくなってもはや放置できないところまできてしまったことを残念に思う、と捉えるのが自然です。
しかし、そのような世界にあっても、一筋の希望のような人間がいました。それがノアです。「ノアは正しい人で、彼の世代の中にあって全き人であった。ノアは神とともに歩んだ」(創世記6・9)と聖書は記しています。
神はノアに、まもなく大洪水をもってこの世を滅ぼすつもりなので、箱舟を造ってそれに備えるようにと、その詳細なサイズまで指示して命じます。ちなみにこの指定されたサイズは、現代の大型タンカーほどの大きさで、その長さ、幅、高さのバランスも、船として最も安定する設計比率になっています。
この時代にこの大きさの船を造るには相当の時間がかかったはずですが、ノアは神のことばに従い、黙々と船を造り上げました。そして船が完成すると、神はノアに、家族とすべての動物を指定された数だけ入れるように命じ、ノアはそのとおりにしました。その後、40日間大雨が降り続きました。ついに雨がやんだときの記述に、「大水の源と天の水門が閉ざされ、天からの大雨がとどめられた」(創世記8・2)とありますから、これがすべて開かれていたときの雨は、常識で考えられるような雨ではなかったことが推察されます。洪水により高い山々も水で覆われた、ともあり、少なくともこの地域一帯のすべては水の下に沈んだことがわかります。
当然のことながら、地上にいたすべての生き物は死に絶え、箱舟は5か月間漂流し、水が引き始めた頃、アララテ山の上にたどり着きました。ノアは、カラスを1回、ハトを3回放って外のようすを探りました。1回目の鳩は止まる所を見つけられずにすぐに帰ってきましたが、2回目の鳩はオリーブの若葉をむしってくわえて帰ってきました。ノアはこれにより、地上の水が引き始めていることを知ります。それから7日後に放った鳩は、もう帰ってきませんでした。
神がノアと交わした新たな契約
ノアにもようやく、「箱舟から出るように」との神のことばがありました。ノアは家族と共に船を降りるとまず、神のための祭壇を築き、全焼のささげ物(贖罪のため、また神への献身を表すために、動物の犠牲をささげ、焼くこと)をささげました。
神はそのノアと生き残った動物たちに対して「生めよ。増えよ。地に増えよ」と祝福します。またノアとその息子たちに「見よ、わたしは、わたしの契約をあなたがたとの間に立てる。……すべての肉なるものが、再び、大洪水の大水によって断ち切られることはない。大洪水が再び起こって地を滅ぼすようなことはない」(創世記9・9〜11)と言って、新しい契約を結びました。
ノアの箱舟はどれくらいの大きさだったのか?
ノアの家族と植物、動物たちを乗せた箱舟の大きさはどれくらいだったでしょうか。
創世記6章13~22節によると、ゴフェルの木の内外を木のやに(タール)を塗って防水した三層構造。サイズは長さ300キュビト(1キュビト=約45cm、約135m)、幅50キュビト(約22.5m)、高さ30キュビト(約13.5m)と記されています。これは現代の大型タンカー船に匹敵する大きさで、30:5:3の比率は、もっとも安定する設計比率とされています。
ノアの箱舟の船体の形状は、聖書に記されてはいません。多くの画家は現代の船の形状をイメージさせる描き方で表現していますが、聖書には艪やスクリューのような船の推進力を生み出す装置の記述はありません。そのため、実際はコンテナのような長方体ではなかったかとする説もあります。
ノアの箱舟はどこに漂着したのか
古代から伝承が絶えないアララテ山腹
創世記8章4節には、「箱舟は、第七の月の十七日にアララテの山地にとどまった」と記されています。現在のトルコ共和国の東端にある標高5,137mの山(大アララテ山)は、ノアの箱舟が流れ着いた山と目されていて、12世紀以降にヨーロッパ人によって命名されたといわれています。
この山に箱舟の残骸があるのではないかという記述は、古いものでは紀元前3世紀頃に歴史家が書き残しているようです。また、マルコ・ポーロ(1254年~1324年)が書いた「東方見聞録」にも触れられています。
人工衛星によって撮影された高解像度画像を見て、箱舟の残骸らしきものを写しているという説を唱える人もいますが、考古学的な確証を示すには至っていません。