ピラト:イエス処刑を許可 保身のため民衆に迎合
ポンティオ・ピラトは、ローマから派遣されてユダヤ地方を治めていた総督です。支配する側とされる側として、ピラトとユダヤ人の間には常に反目と緊張関係がありました。どんないきさつがあったのかは定かではありませんが、ルカの福音書には、「ピラトがガリラヤ人たちの血を、ガリラヤ人たちが献げるいけにえに混ぜた」(13・1)と、ガリラヤ地方のユダヤ人がピラトに殺された事件の記述があります。
しかし、どんなに反発していたとしても、ローマの支配下にあったユダヤ人たちは、ピラトの許可なしにイエスを十字架につけることはできませんでした。祭司長たちはイエスをピラトのもとに連れていき、イエスが王を名乗ってローマに反逆しようとしていると訴えました。
ピラトは、ユダヤの宗教指導者たちがイエスを嫌ってこの騒ぎを起こしていることを見抜き、自分たちの律法に従って解決すればいいと、厄介払いをしようとしましたが、祭司長たちは「私たちはだれも死刑にすることが許されていません」(ヨハネ18・31)と言って引かなかったので、しかたなく、イエスに向かって「あなたはユダヤ人の王なのか」と聞きます。
イエスは、自分は王であるが、自分の王国はこの世のものではない、と明確に答えます。ピラトにしてみれば、思ったとおり、といったところでしょう。これはユダヤ人どうしの宗教的な確執であり、ローマの総督の出る幕ではありません。
質問を続けるうちに、イエスがガリラヤ出身であることを知ったピラトは、ガリラヤを治めているヘロデのもとにイエスを送り、彼に一任しようとしました。ヘロデはイエスのうわさを聞いて興味をもっていたので、奇跡の1つでも見せてもらおうと喜んで受け取りましたが、イエスはヘロデの質問に対しては一言も答えなかったため、ヘロデはイエスを侮辱したあげく、はでな衣装を着せてピラトのもとに送り返しました。
そこでピラトはしかたなく、恩赦というかたちでイエスを釈放しようとしました。過越の祭りの際には、いつも囚人を1人だけ釈放することになっていたので、バラバという強盗か、イエスか、2人のうちどちらを釈放してほしいかと群衆に問いかけます。すると、祭司長たちにたきつけられていた群衆は「バラバだ」と答えたのです。
ピラトは驚いて、「あの人がどんな悪いことをしたのか」と反論しましたが、群衆はますます激しく「イエスを十字架につけろ」と叫び続けました。手に負えなくなったピラトは、「この人の血について私には責任がない。おまえたちで始末するがよい」(マタイ27・24)と言い捨てて、イエスを群衆に引き渡しました。
ピラトはこのことについて自分には責任がないと言いましたが、無実とわかっている人を死刑にすることを許した責任は、帳消しになったりはしません。現代の教会でも礼拝の中で朗読される「使徒信条」という信徒たちの信条を表した公文の中にも「(イエスは)ポンティオ・ピラトのもとに苦しみを受け、十字架につけられ」と、その名がはっきりと刻まれています。