三浦綾子作『塩狩峠』を漫画化したイラストレーター・漫画家 のだますみさん

nodamasumi 三浦綾子の小説『塩狩峠』を漫画化した『漫画 塩狩峠』が、2015年3月にいのちのことば社から出版された。作画したのは兵庫県宝塚市在住のイラストレーターで漫画家の、のだますみさん。高校時代にクリスチャンの母にすすめられて原作を読んだ。主人公は明治時代のクリスチャン青年。北海道の塩狩峠で、暴走した列車を止めるために我が身を投げ出す。のださんはこれがフィクションではなく、実在のモデルがいると知って、魂を揺さぶられるような感動を覚えた。この出会いが、反発していたキリスト教に心を開くきっかけになり、美大生の時に洗礼を受けた。思い入れの深いこの小説を、自身の手で漫画化するとは、夢にも思っていなかったが、三浦綾子のメッセージに応え、人のために命を捧げた青年の愛を伝えたいと、心を込めて描いてきた。

のださんは三浦文学の大ファンだ。作品はほとんど読んだ。キリスト教の洗礼を受けたのは大学生のとき。ファンレターにそのことを書いて出したら、なんと直筆サイン入りの写真集『祈りの風景』が送られてきて狂喜した。のださんの洗礼を喜んだ綾子さんからのプレゼントだった。
「見ず知らずの私のために!」
感動した。嬉しくて大学の友人たちに見せてまわった。これは今ものださんの宝物だ。残念なことに、綾子さんはのださんが大学生の頃に亡くなったために、一度も会ったことがない。『塩狩峠』連載中は、夫の三浦光世さんが監修をしてくれた。光世さんには何度か会って、その誠実で温かい人柄に敬意を抱いていた。三年かけた連載の最終話の監修を最後に、光世さんも2014年10月天に旅立った。

のださんの信仰の後押しをしてくれたのが『塩狩峠』だ。クリスチャンの母から三浦作品をすすめられた。初めて読んだのは綾子さんが自身の半生を綴った『道ありき』。感動したが、反発も覚えた。「キリスト教だけが本当なの?」。家は仏教や神道が当たり前に根付いた、ごく普通の日本の家庭だった。そんな背景を持つ日本文化が好きで、どちらかと言えばキリスト教嫌いだった。
次に読んだのが『塩狩峠』だ。主人公の永野信夫は、明治時代の北海道の鉄道マン。子ども時代は、やはり仏教や神道が当たり前の中で育ち、キリスト教に出合って、疑問を持ったり怒りを抱いたりと、葛藤しながら成長していく。そんな姿にのださんは共感しながら読んでいった。
やがて、熱心な信仰者となった信夫の最期の場面。真冬の塩狩峠を走る列車の連結器が外れて車両が暴走、そのままでは脱線転覆してしまうという危機に、32歳の信夫は線路に身を投げ出して車両を止めるのだ。札幌には信夫の帰りを待つ婚約者のふじ子がいた。
この衝撃的なクライマックスに、のださんは感動した。でも、フィクションだろうと思って後書きを読むと、明治42年に本当に起こった事故を小説にしていたことがわかった。永野信夫は長野政雄という実在のクリスチャン青年がモデルだった。
「こんな生き方をした人がいたのか…」
涙が止まらなくなった。キリスト教に心を開くことができるようになったのはそれからだ。三浦作品を愛読し、クリスチャンとして足跡を残した偉人伝も読んだ。綾子さんが描き続けた人間像や、先人たちの人生から感じたことは「この人たちは自分を誇示したいんじゃない」ということだ。何を示したいのか。キリストの生き方、キリストの愛ではないのか。思い巡らしていた頃、フィリピンで開かれたキリスト教関係のワークキャンプに参加して、そこではっきりと信仰を持つことができた。

東京のキリスト教系出版社のいのちのことば社に就職して、数年後に体調を崩した。体がしびれて、力が入らない。後でわかったのだが、多発性硬化症という難病だった。その療養中に初めての子ども向けの漫画連載をすることになった。その後病気発症時から支え続けてくれた夫と結婚して、長男の出産を機にフリーランスになった。
「『塩狩峠』を漫画にしないか」というオファーが来たとき、いったんは尻込みしたけれど、高校時代に読んだときの震えるような感動を思い出した。あの感動がキリストにつながったのだ。「神さまはやりなさいと言っておられる」と、思った。主人公は実在の人物。ごまかしはきかない。描く以上は現場に行かなければと、永野(長野)さんの命日の2月28日、極寒の塩狩峠に立った。
「会いに来ましたよ」
上川郡比布町と和寒町の境。百年以上前の事故現場は明確ではないが、あのとき雪原を染めた血を、現地に立てば想像することができた。
塩狩峠頂上付近の塩狩駅は、無人駅。長野政雄の顕彰碑、綾子さんの旧宅を移築した塩狩峠記念館が建つ。2013年に開業したユースホステル塩狩ヒュッテの人たちも、漫画の出版を喜んでくれた。地元和寒町に働きかけて出版記念交流会を開いてくれたほどだ。地元新聞からも取材を受けた。
「『塩狩峠』に思い入れの深い人は多いです。それを漫画化させてもらって、とても感謝しています。今は文字離れで、原作を読んだことがない人も多いので、気軽に読める漫画を手に取ってもらうことで、三浦文学と出合うきっかけになってほしいです。作品に込められたメッセージは、今も少しも色あせていません。長野さんは聖書にある地の塩となって、この時代にもキリストの愛を証ししておられるのだと、思います」
主人公の最期の場面は、命を削るような気持ちで泣きながら描いた。10歳の少年時代から描き続けて、我が子のように思っていた。ラストは新約聖書ヨハネの福音書12章24節のことばで結んだ。
「一粒の麦がもし地に落ちて死ななければ、それは一つのままです。しかし、もし死ねば、豊かな実を結びます」

【クリスチャン新聞「福音版」2015年5月号より】

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