ハワイからの手紙 やさしい風に吹かれて-19 Hula(フラ)ーー 神への祈り・私たちの祈り
ハワイの伝統と文化を伝えるものの中で最も広く世界に知られているのは「Hula(フラ)」です。その昔古代ハワイアンは文字を持っていませんでした。彼らは自らの神話や伝統、神への感謝、大自然への敬意など、言葉では伝えきれないことを祈りにしました。その祈りに、手振りをつけた踊りをもって表現したのがフラの始まりと言われています。今はかなり自由に踊ることができますが、古代ハワイでは限られた男性のみしか踊れない神聖なものでした。そのフラは、実は十九世紀にアメリカの宣教師によって禁じられたことがありました。当時の宣教師はフラがもつ宗教性の部分を強く否定し、民族衣装などを奇異なものとして廃止したのです。何と五十年間禁止されました。伝統と文化を否定するということは、その地に住む者の誇りを奪うことを意味します。そのようなキリスト教宣教の影の部分もフラを通して学ぶことができます。
けれども、そのフラを復活させたのが第七代ハワイ国王「カラカウア王」でした。ハワイの伝統と文化が廃れていくことを憂い、その復興運動を展開し、彼の時代にイオラニ宮殿を完成させました。それは現在アメリカにある唯一の宮殿となっています。また、カラカウア王は「ハワイ•ポノイ」という曲を作りました。それはハワイ王国の国歌となり、現在でもハワイの州歌として歌われ続けています。年に一度春にハワイ島ヒロ市で、フラの最大の祭典「メリー•モナーク•フェスティバル」が行われますが、この名称は「陽気な王様」であったカラカウア王の愛称から来ています。そのように今も多くの人々に覚えられるほど、彼の功績は偉大なものなのです。
「踊りをもって、御名を賛美せよ。タンバリン
と立琴をかなでて、主にほめ歌を歌え。」
(詩篇一四九篇3節)
実はこんな私もフラに没頭していた時期がありました。はじめは優雅な南国伝統ダンスと安易に思っていましたが、学んでいく中で、フラは見せるものではなく、歌詞の意味をよく理解し心で踊るものだという極意を知りました。そして、中腰になる姿勢などの動きがとてもつらく、当時運動不足だった私は、一曲踊ると足腰がガクガクするような状態でした。しかし、その頃の私は夫を亡くした直後であったため、心の状態が不安定でした。そんな時、ハワイの自然の美しさや愛の描写を歌った曲、また神さまを賛美するためにフラを踊ると、曇っていた心も晴れていきました。更に心の中にある無意識の悲しみや怒りが薄らぎ、次第に内側からの活力と喜びがわきあがってきたのです。また、女性にとってファッションは癒しの効果があります。フラの衣装であるハワイアンドレスやパウスカート、プルメリアのヘアークリップ(髪飾り)、貝のネックレスなどできれいに着飾ります。その華やかな装いが、私に新しい笑顔を取り戻してくれました。美しい笑顔はフラの光であり輝きなのです。空・海・波などの自然、愛情・感謝•平和などのメッセージを、ハワイの人々はフラを通して表現します。聖書の言葉に導かれて私たちは、それらすべての造り主であり完成者であるお方にフラを通して賛美をささげます。フラはまさに祈りそのものなのです。
飯島寛子(いいじま・ひろこ)
世界の第一線で活躍したプロ・ウィンドサーファー飯島夏樹さんと結婚。4 人の子ど もを授かったが、夫は肝臓ガンのため2005 年に召天。 夏樹さんが病床で書き遺した『天国で君に逢えたら』(新潮社)など3 冊の著 書は大きな反響を呼び、映画化された。寛子さんも、自身と家族の“それから” を『Life パパは心の中にいる』(同)に綴っている。現在ハワイで、愛する人 を亡くした方をサポートする自助グループのNPO 法人HUG Hawaii や、 ハワイ散骨クルーズBlue Heaven, Inc. の働きに携わる一方、エッセイスト、 ラジオのDJ として活躍。 担当番組「Wiki Wiki Hawaii」が、毎週日曜日の 朝5時からインターFM で放送されている。マキキ聖城キリスト教会会員。