聖書の世界に生きた人々7 マルコ-慰めを感じさせられる人 マルコの福音書14章51,52節、他
堀 筆(ほり・はじめ)
鶴瀬恵みキリスト教会牧師、聖学院大学総合研究所特別研究員・カウンセラー・講師、ルーテル学院大学常勤講師
その名の意味に引き付けられるのでしょうか。イエスの十二弟子の一人であるアンデレ(ギリシャ語の意味は「男らしい」)は、欧米では男性の名として好まれているようです。学者、音楽家、政治家にこの名を持つ人も多く、また地名や施設などにも付けられています。英語はアンドルーですが、日本語では習慣的にアンドリューと表記されています。だれもがどこかで聞いたことのある名ではないでしょうか。ちなみにアンディはアンドルーの愛称。
ところが、大もとの聖書に出てくるアンデレは、それほど目立った人物ではなく、むしろ控えめな印象を残しています。彼はガリラヤのベツサイダ出身の漁師で、初めはその兄弟ペテロと共にバプテスマのヨハネの弟子だったのですが、ヨハネがイエスを指して「見よ。神の子羊」と言うのを聞き、もう一人の弟子とイエスについて行ったのです。
彼について良く知られているエピソードは、実はこの後に兄弟のペテロをイエスのところに連れて来た話です。つまり救い主であるイエスに兄弟を紹介したのです。「私たちはメシア(訳して言えば、キリスト)にあった」と。
彼が人を連れて来たという話は他にも出てきます。その一つはイエスが五千人の群衆にお話をされた時、アンデレは空腹の彼らを見て、「大麦のパンを五つと小さい魚を二匹」持っている少年をイエスのところに連れて来たという話。さらにイエスが十字架に架かるためエルサレムに入られた時、ギリシャ人の「イエスにお目にかかりたい」との要望を受け、イエスに引き合わせたという共通性のある話が記されています。
アンデレはペテロや同じ漁師仲間であったヤコブやヨハネと共にイエスの十二弟子に選ばれた人物でしたが、聖書を読み進めて行くうちに、ふとあることが気になったのです。それはガリラヤで同じ時に弟子となった四人のうち三人が側近の弟子として扱われていることです。
例えば、イエスが会堂管理者ヤイロの娘の病気の癒しに際して、「ペテロとヤコブとヨハネのほかは、だれも自分といっしょに行くのをお許しにならなかった」とあるのです。また「山上の変貌」と言われる物語を読むと、その時も「イエスは、ペテロとヤコブとヨハネだけを連れて、高い山にに導いて行かれた」と。さらに十字架に架かられる前夜、ゲッセマネの園で祈られた時もこの三人だけを連れて行かれたと記されています。
これは師であるイエスの判断に基づく人選ですから、「なぜ彼らだけ」と理屈をつけるようなことではないのですが、アンデレの感情はどのようなものだったのだろうかと思ってしまうのです。普通の人間感情から考えると、寂しいと言うべきか、重要視されていないような気持ちになり、自尊心が傷つけられてしまうのではないでしょうか。ことにアンデレは最初にイエスに出会って兄弟ペテロを紹介したことを考えると、どうもそんな思いが。
人は家庭や学校や職場など、どの世界でも自分がどう評価されているかが、人生の大きな関心事です。用いられれば喜び、そうでなければ何かにつけ不平を言うようになります。みな相対評価にさらされ一喜一憂しているのです。これは小さな子どもから老人に至るまで同じで、自分が忘れられていると、見捨てられたような感情を持ってしまう。それが人間です。
いったいアンデレはどのような人だったのでしょうか。一連の記事を読むと、自分の役割に徹していた弟子のように思え、私はそのパーソナリティにある種の美しさと魅力、何よりも親和感を感じるのです。承認欲求、愛情欲求の強い私たちとってアンデレは自分を生きるモデルのように思えてなりません。