ハワイからの手紙 やさしい風に吹かれて-24 夏樹の遺書

私は亡き夫・夏樹からたくさんの手紙をもらいました。その多くは失われましたが、一通の手紙だけが手元に残っています。それを私は身近に置いて、心に迷いを感じる時、子育てに悩んでいる時、眠れない夜が襲う時に読み返しています。それは彼が十年前に私宛に書いた三七ページにも及ぶ「遺書」です。

そこには、夏樹が彼自身の人生を振り返っての感謝の言葉、自らの葬儀やお墓に関しての希望、自分が亡くなった後の残された家族の生活のこと、子供たちの教育のこと、私の将来のことなど、笑いとユーモアを交えながら書いています。それは亡くなる前の年、闘病中の東京の病院で書いたものでした。決して見た目は立派なものではありませんが、しかし、彼が心を込めて一字一字を書き綴った思いが伝わってくるものです。

その夏樹の遺書を、今回私は初めて子供たち一人一人に読み聞かせました。パパの言葉を聞き、懐かしく想い笑みを浮かべていました。特にパパの記憶がほとんどない三男・多蒔は興奮して聞き入り、たくさんの質問を投げかけてきました。「凄いね。それぞれの特徴がそのまま当たっている!」、「ところで、パパは聖書を何回読んだの?」と言いながら、微笑んでいました。もう目には見えないけど、まるで側にいてくれているような感覚を覚えたようです。手紙は人と人との距離を縮めるものと言われますが、まさにそうだと感じました。

そして、新しく気づいたことがありました。それは夏樹が残した言葉の中に「いつも神さまと愛し愛される関係でいること」、「神さまに頼って生きるように」と繰り返し書いていることでした。「聖書に親しんで、真の神さまに従っていくことが道なんだよ」と語っているのです。そこではじめて、家族はいつまでもつながっていられるという永遠の希望がある。夫が小説に書き残した同じ希望を想い起こしました。


「私たちの齢は七十年。健やかであっても八十年。しかも、その誇りとするところは労苦とわざわいです。それは早く過ぎ去り、私たちも飛び去るのです。…
それゆえ、私たちに自分の日を正しく数えることを教えてください。そうして私たちに知恵の心を得させてください。」(詩篇九〇・十、一二)

夏樹の遺書には何一つも財産の目録のようなものは記されていません。形見分けに関する願いも書かれていませんでした。けれども、彼は決して失われることのない遺産を残してくれました。それは、彼が聖書を通して見いだした信仰でした。その遺産を子供たちがどうするのか。それは私に残されたお祈りの課題と思っています。信仰の襷(タスキ)をしっかり手にし、それを身につけて走る姿を見るその日まで…。

 

おすすめ記事

ページ上部へ戻る