イサク:父の信仰を受け継ぐ 敬虔で従順温厚な人生
アブラハムの息子イサクについて、聖書では妻を探す場面が有名です。サラが亡くなり、自分の余生も長くはないことを感じていたアブラハムは、すべての財産を管理させるほど信頼していたしもべを呼び寄せ、生まれ故郷に戻って、そこでイサクの妻となる人を探してくるようにと命じました。アブラハムたちがとどまっていたカナンにも、当然、若い女性は幾らでもいましたが、異教徒の中から息子の嫁を迎えたくなかったのです。
少しのちの時代に、イスラエル民族が外国を通りながら約束の地を目指す旅をしているときにも、旅を導いていたリーダーのモーセが、「彼ら(異教徒である外国人)と姻戚関係に入ってはならない。あなたの娘をその息子に嫁がせたり、その娘をあなたの息子の妻としたりしてはならない。というのは、彼らはあなたの息子を私から引き離し、ほかの神々に仕えさせ……」(申命記7・3〜4)と言っていますから、アブラハムのこの判断は神の意向に即したものであったことがわかります。
アブラハムの命を受けたしもべは、ナホルという町に向かいます。しもべは、神がイサクの妻に選んでいる女性を見分けるために、「私が娘に、『どうか、あなたの水がめを傾けて、私に飲ませてください』と言い、その娘が、『お飲みください。あなたのらくだにも水を飲ませましょう』と言ったなら、その娘こそ、あなたが、あなたのしもべイサクのために定めておられた人です。このことで、あなたが私の主人に恵みを施されたことを、私が知ることができますように」(創世記24・14)と祈りました。すると、その祈りが終わるか終わらないかのうちに1人の娘が現れ、祈ったとおりのことが起こったのです。それは、アブラハムの親戚筋に当たるリベカという美しい娘でした。
しもべが、その地を訪れた本当の理由をリベカの家族とリベカに告げ、イサクと結婚するために自分についてカナンに来てくれるかどうかを聞くと、リベカははっきりと「はい、行きます」と答えました。こうして、イサクは妻を迎えることになったのです。
イサクに生まれた双子の争い
イサクの妻リベカは当初、不妊の女性でした。イサクが妻のために祈り、その祈りが答えられてリベカは身ごもったと聖書は記しています。
それは、普通の妊娠・出産とは少し違っていました。胎内にいたのは双子だったのですが、生まれる前におなかの中で激しくぶつかり合うようになり、リベカが心配するほどだったのです。
これはどういうことなのかと、リベカが神に祈り求めると、不思議な答えがありました。それは、「二つの国があなたの胎内にあり、二つの国民があなたから分かれ出る。一つの国民は、もう一つの国民より強く、兄が弟に仕える」(同25・23)というものでした。
いよいよ出産の時を迎えると、生まれてきたのは全身が毛深く、肌の色が赤っぽい長男と、その兄のかかとをつかんで生まれてきた次男でした。長男はエサウ(「毛深い」、もしくは「赤い」の意味)と名づけられ、次男はヤコブ(「かかと」と同じ語源のことば)と名づけられました。
双子ではありましたが、2人の外見、性格は少しも似ていません。エサウは大人になると腕のよい猟師になったのに対し、ヤコブは穏やかな性格で家にいることを好みました。そして父イサクはエサウのほうを偏愛し、母リベカはヤコブのほうを偏愛しました。
あるとき、ヤコブが料理をしているところに、エサウがとてもおなかをすかせて猟から帰ってきました。エサウは、ヤコブが作っている煮物を見ると、それを食べさせてくれと頼みます。ヤコブは、それと引き替えに長子の権利を売るようにエサウに迫りました。
長子の権利というのは、「長男はほかの兄弟の2倍の相続を受けることができる」という権利で、最初に生まれた子どもは神に属する者で特別な価値がある、という考えからきているものです。双子とはいえ、長男であるエサウと次男ヤコブの間にはこのような大きな区別がありました。
一食分の食事と引き替えにするにはあまりにも大きな特権ですから、フェアではないことを承知のうえで相手の弱みにつけこんだヤコブはあまりにも狡猾だと言えますし、「私は(空腹で)死にそうだ。長子の権利など、私にとって何になろう」(同25・32)と応じたエサウはあまりにも無頓着でした。
「神に属する長男」という祝福に対する2人の意識の違いが、ここに如実に現れています。そして面白いことに聖書は、ヤコブの貪欲さを責めるより先に、煮物と引き替えに長子の権利を譲ったエサウの行為を「エサウは長子の権利を侮った」(同34節)と批判的に書いています。
その後、視力も衰えてきたイサクは、自分の死期が近いことを悟り、エサウに長男の祝福を与えようと考えました。そこで、エサウに猟に行って獲物をしとめ、料理をして持ってくるようにと言いました。それを食べて祝福のことばを与えようとしたのです。
ところがそれを聞いて、その祝福を横取りしようと考えた者がいました。リベカです。エサウが猟に出たのを見届けると、リベカはヤコブのところに行って家畜の中から子やぎを取ってくるように指示します。それを料理して、獲物をしとめて帰ってきたエサウを装い、長男の祝福をヤコブが受けるように、と企んだのです。
父にばれたら祝福どころか呪いを招くとひるむヤコブに、「あなたへの呪いは私が受けます」とまで言って、リベカはヤコブをせかします。そして、ヤコブにエサウの服を着せ、子やぎの皮を首と手に巻いて毛深いエサウに似せ、料理した子やぎを持たせてイサクのもとに送り出しました。
イサクはリベカとヤコブのうそにすっかりだまされてしまいました。ヤコブをエサウと信じたまま長男の祝福を与え、エサウが帰ってきてすべてがわかると驚愕しましたが、後の祭りでした。2度までも出し抜かれたエサウは大声で泣き叫び、自分も祝福してくれるように懇願しましたが、イサクが彼に告げたことばは、「おまえはおのれの剣によって生き、おまえの弟に仕えることになる」という厳しいものでした。エサウは深い恨みの中で、父が死んだ後にヤコブを殺すことを決意します。
リベカはエサウの決意を人づてに聞き、ヤコブを自分の生まれ故郷にいる兄ラバンのもとに逃がすことにしました。イサクはこのことを聞くと、出発の前にヤコブを呼び寄せ、改めて彼を祝福し、ラバンの娘たちの中から妻をめとるようにと言います。イサクもリベカも、エサウが地元の異教徒の娘たちを妻にしていることに心を痛めていたのです。
こうしてヤコブは、殺意に燃える兄の気づかぬうちに、両親にひっそりと送り出されて伯父ラバンのもとへ向かいました。
イサクの嫁探しに出かけた「しもべ」は誰?
アブラハムは、息子イサクが40歳になったとき、長年仕えている家僕にイサクの嫁探しを命じます。ところが、どのような女性を嫁に迎えたいのかなど具体的な指示はなく、①私(アブラハム)の生まれ故郷に行って探すこと。②神が、おまえの行く手に御使い(天使)を遣わして、息子に嫁を連れてくることができるようにしてくださる。③もしその女がおまえについてこようとしないなら、おまえは私の誓いから解放される、という雲をつかむような命令でした。この難題を実行したのは誰なのか?
諸説ありますが、絵画でよく登場するのは上図のムリーリョのように“エリエゼル”です。アブラハムは最年長のしもべを呼びました。また、主人アブラハムの信仰をよく理解し、厚い信頼関係にあったようです。エリエゼルは、イサクが生まれる前に、アブラハムが神に対して、「私の家の相続人は、エリエゼルになるのでしょうか」と問いかけたように跡継ぎにしてもいいと思えるほど忠実なしもべでした。
聖書は一夫多妻を認めているの?
父アブラハムは一夫多妻、でもイサクは?
アブラハム、イサクの時代のカナンや近隣地域には、男系子孫に家督を継がせるため一夫多妻の風習があったのでしょう。アブラハムは、妻サラに勧められて女奴隷ハガルをそばめにしてイシュマエルが生まれました。
40歳で結婚したイサクは、20年間子どもを授かりませんでしたが、妻リベカひとりを愛して、エサウとヤコブの双子の男子を授かりました。しかし、エサウはヒッタイト人の女性3人を妻に迎え、神を敬う両親を悩ませました。また、ヤコブは母リベカの兄ラバンの策略で娘のレアとラハブの2人を妻に迎えます。2人の確執はそれぞれの女奴隷を巻き込み、ヤコブは4人の女性から12人の男子を授かりました。
聖書は、一夫一婦を教える一方で、アブラハムやヤコブのような一夫多妻主義も認めているのでしょうか。のちに記された新約聖書には「結婚がすべての人の間で尊ばれ、寝床が汚されることのないようにしなさい。神は、淫行を行う者と姦淫を行う者をさばかれるからです」(ヘブル13:4)と明記されています。
古代から現代まで、地域性や社会制度、多様な文化などにより一夫多妻や多夫一妻などの婚姻制度もありますが、それらは許容されているものの、神の本意ではないことがわかります。