ハワイからの手紙 やさしい風に吹かれて-2 ヤドカリを見つめて

今私は、ハワイのオアフ島ホノルル市のある高層マンションに住んでいます。その32階から眺める景色はオーシャンビューで、西はホノルル国際空港からダウンタウン、アラモアナ、そして東にはワイキキのシンボルと呼ばれているダイヤモンドヘッドまで一望できる絶好の所に住んでいます。

ここへ辿り着くまで、私は何度も引っ越しをしてきました。それはまるで、自分の体の成長にあわせて貝殻を変える「ヤドカリ」のようなものでした。生まれ育った東京目黒、新婚時代を過ごしたマウイ島、グアム島、そして東京八王子。家が変われば、環境が変わって、自分も変わる。そう思っていました。

2003年3月まで住んでいたグアム島。その時は子供達もまだ小さく、家にいるより外で遊ばせていた方が楽でした。南国暮らしならでは海遊びをよくしていました。海から打ち寄せる波音を聞きながらの静かな時間は、気分転換ともなり、子沢山の私には必要な空間でした。そして、砂浜で寝転んで子供達の遊んでいる姿を視界に入れながら、そこにごそごそ動いている『ヤドカリ』を眺めながら、もの思いにふけっていました。

ヤドカリは貝殻を背負っています。一見貝殻が動いているように見えますが、十脚甲殻類の仲間で、別の生き物の巻貝の殻に入って生息するものです。そして、成長して家が狭くなると、体に合うサイズの貝殻を探しては引越しする。そんなヤドカリを手にとって、眺めていました。

そのヤドカリを観察しながら、私は幼少期の頃を思い出しました。実は、新聞の折り込み広告の住宅情報を見るのが、私のひとつの楽しみでした。狭い家で育ったということもあり、家に対する執着と憧れが人一倍強かったのです。当時は高度経済成長時代、小学校高学年くらいから、家を建て替え引っ越しする友達に憧れ、自分は「いつしかこんな家に住みたい!」と場所と間取りを考え、空想の世界を楽しんでいました。そして、このような家に住めばもっと幸せになれる。そう思っていたのです。

結婚して念願が適ってマイホームを手にしました。けれども、実際手にいれても変わらない虚しさ。そして、この家を手放したくないという執着心。更に安心を通り越し手放せない苦しさとなり、それが長く続きました。そんなある時、神さまは私に語りかけてくださったのです。

 

飯島寛子(いいじま・ひろこ)

世界の第一線で活躍したプロ・ウィンドサーファー飯島夏樹さんと結婚。4 人の子ど もを授かったが、夫は肝臓ガンのため2005 年に召天。 夏樹さんが病床で書き遺した『天国で君に逢えたら』(新潮社)など3 冊の著 書は大きな反響を呼び、映画化された。寛子さんも、自身と家族の“それから” を『Life パパは心の中にいる』(同)に綴っている。現在ハワイで、愛する人 を亡くした方をサポートする自助グループのNPO 法人HUG Hawaii や、 ハワイ散骨クルーズBlue Heaven, Inc. の働きに携わる一方、エッセイスト、 ラジオのDJ として活躍。 担当番組「Wiki Wiki Hawaii」が、毎週日曜日の 朝5時からインターFM で放送されている。マキキ聖城キリスト教会会員。

 

 

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