聖書の世界に生きた人々4 マルタ-心配して、気を使う人 ルカの福音書10章38~40節

堀 筆(ほり・はじめ)
鶴瀬恵みキリスト教会牧師、聖学院大学総合研究所特別研究員・カウンセラー・講師、ルーテル学院大学常勤講師
 

 

マルタとマリヤの物語。これは一般にはあまり知られていない話かも知れませんが、教会に通うようになりますと、説教を通してでなくても折に触れ、話題になるのがこの姉妹の物語です。家庭内のちょっとした出来事でありながら、心の世界や信仰の生活に深い気づきを与えてくれる示唆に富んだ話です。
 その出来事はエルサレムから三キロほどのベタニヤ村に住むマルタとマリヤ姉妹の家庭で起こりました。イエスが旅の途中、彼らのところに立ち寄られた折でした。姉のマルタはイエスを喜んで出迎え、早速、もてなしのため忙しく働き始めます。これはお客を迎える者としては常識的で当然な態度。一方マリヤは、「主の足もとにすわって、みことばに聞き入っていた」というのです。これは彼女が、イエスの話に関心を抱いて聞くことを「選んだ」ということなのですが、これも客人への大切なもてなしであったとも言えます。
  そう考えれば、二人ともそれぞれの仕方でイエスの訪問を歓迎したわけですが、その時どこにでもあるような問題が発生しました。それは「いろいろともてなしのために気が落ち着かず」、何も手伝わないでいるマリヤへの不満が出てしまったのです。「主よ。妹が私だけにおもてなしをさせているのを、何ともお思いにならないのでしょうか。私の手伝いをするように、妹におっしゃってください」と。
 これはだれもが身に覚えのある良く分かる話。仕事が忙しくなると、暇そうに見える人に対して「手伝ってくれればいいのに」という不満がでやすいものです。人は忙しかったり、悩みを抱えたりしますと、どうしても視野狭さくになり全体が見えにくく、他者に対して否定的になってしまいます。マルタの場合も、少し余裕があれば、忙しい私の代わりにイエスの話を聞いてくれていると考え、後で教えてもらおうという気持ちにもなれたかもしれません。
 物語は読み方にもよりますが、この話は何となくイライラしているマルタに問題があって、静かにイエスの話に聞き入っているマリヤが正しく見えるのではないでしょうか。それはイエスが「あなたは、いろいろなことを心配して、気を使っています。しかし、どうしても必要なことはわずかです。いや、一つだけです。マリヤはその良いほうを選んだのです。彼女からそれを取り上げてはいけません」ということばのもつ雰囲気や少し結論に引っ張られた読み方がそうさせているのかも知れません。
 しかしイエスはマルタに対してあなたは間違っているとは言っておられないのです。少し視点を変えて読んでみますと、マルタは「いろいろのことを心配し、気を使って」もてなすことのできる人でもあるわけです。そうさせているのは姉という立場なのか性格傾向なのかよく分かりませんが、お客を迎え相手に喜んでもらおうと気を使うマルタの役割はだれかがしなくてはならない大切なことでもあるのです。考えてみれば、私たちの日常生活も毎日の大部分が家事、育児、労働など、まさに「マルタの世界」に置かれているといってもいいでしょう。それなくして日常生活は成り立たないわけです。
 では、イエスはマルタに何を語ろうとされたのでしょうか。それは彼女の家庭的、日常的な務めの否定ではなく、妹マリヤは今どうしても必要な「良いほう」を選択したのだから邪魔をしてはいけない、ということだったのです。そしてそこから私に聞こえてくる言外のメッセージは、マルタの世界に身を置く私たちは同時にマリヤの世界を心の中心に持っていなくてはならないということなのです。それにしても、遠慮なく「不公平じゃございません? 少しは手伝いをするように、おっしゃってくださいな」(リビングバイブル)などとつぶやけるマルタはイエスと何と親しい関係にあったことでしょう。

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