聖書の世界に生きた人々30 テモテ−「木の陰」のような人− テモテへの手紙第二 1章1〜8節 他

聖書を読むたび気になりつつも、情報が散らばっているためか、落ち着いて考える機会を逸している人物の一人はテモテです。人間関係で言えば、お話ししたいと思いつつも、つい挨拶ぐらいで終わって、時間を取ってゆっくりお会いできないでいるような人でしょうか。
  テモテの名はパウロが書き送った「テモテへの手紙」で知られていますが、彼を知るには「使徒の働き」などを並行して読む必要があります。彼はルステラ出身でパウロの第一伝道旅行の時に入信したようですが、パウロが「そのような信仰は、最初あなたの祖母ロイスと、あなたの母ユニケのうちに宿ったものですが」と言っているように、信仰的に良い環境の中で育てられたと言えます。
 パウロはこのテモテを愛し、第二伝道旅行の際に連れていき、第三伝道旅行でも同労者として用いており、晩年ローマに捕らえられている時もテモテが一緒にいたことが獄中書簡に記録されています。彼は後にエペソに派遣され、伝説ではエペソ教会の監督になり、殉教したとも伝えられています。
 その辺りの真偽はともかく、パウロのテモテに対する信任は厚く、「テモテは主にあって私の愛する、忠実な子です」、「主のみわざに励んでいる」などと手紙の中のあちこちで高く評価されています。ピリピ人への手紙では「テモテのように私と同じ心になって、真実にあなたがたのことを心配している者は、ほかにだれもいない」、
「子が父に仕えるようにして、彼は私といっしょに福音に奉仕して来ました」と言われているほどです。
 ところで、このように評価されたテモテその人の性格はと言いますと、パウロが心配して「神が私たちに与えてくださったものは、おくびょうの霊ではなく」と励ましていることから考えて、彼は気が小さくくよくよする性質だったのではないかと思います。また信仰が「純粋」であったとありますから、悩むことも多かったのではないでしょうか。胃腸が弱かったというのも、性格から考えると何となく分かる気がします。
 このように気弱で臆病だったとも思えるテモテは、前述のようにパウロによって「私と同じ心になって、真実にあなたがたのことを心配している者は、ほかにだれもいない」と言われるほどの人物だったのです。さらに不思議というより考えさせられることは、パウロはこのテモテに特別な親和感を抱いていたのでしょうか、随所に彼を頼りにしている言及が見られるのです。パウロは獄中という孤独な状況の中で、「あなたに会って、喜びに満たされたい」、「早く私のところに来てください」、「何とかして、冬になる前に来てください」と記していますが、そこにはただ用事があるからというのではなく、励まされたい、慰めを受けたいという心情が言外に読み取れるのです。強くて大胆なパウロが内気で気弱なテモテに会いたいと繰り返すのです。 このことを考えていて私は、ふと以前に読んだある霊想書の中に記されていた言葉を思い出したのです。「内気であることには、何か言い知れぬすばらしいものがあります。愛のうちに何も言わずにただ傍らに留まることへと私たちを招いているのです」という含蓄のある言葉です。また内気な人は「木の陰」のような役割をしているともいうのです。私はそこにテモテを見るのです。
 関係文書を読む限り、テモテにはパウロのような強い感じはなく、内気で目立つことを好まないような印象があります。しかしこのような人がパウロの助けになったということは、人間関係の不思議さです。内気で悩んでいる人は知ってほしいのです。「木の陰」のような役割を担う人になることができるということを。テモテがパウロに必要だったように。

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