ヤコブ:神の人と格闘 神の祝福を追い求めた男
ベテルで見た夢
伯父ラバンの住むハランは、イサクたちが住んでいたベエル・シェバからは約640キロの道のりでした。ルズという場所まで来たとき、日が暮れたので、ヤコブはそこで石を枕に野宿をしました。そして不思議な夢を見たのです。
天から地に向かって1つのはしごが立てられており、神の御使い(天使)たちがそこを上り下りしているのです。気がつくと、ヤコブの傍らに神が立っていて、「わたしは、あなたの父アブラハムの神、イサクの神、主である。わたしは、あなたが横たわっているこの地を、あなたとあなたの子孫に与える。……地のすべての部族はあなたによって、またあなたの子孫によって祝福される」(創世記28・13、14)と告げます。
これは、神がアブラハムに与えたのと同じ約束です。つまり、この約束を受け継ぐアブラハムの子孫としてヤコブが神に選ばれたということです。エサウに対するヤコブの仕打ちは卑劣でしたが、2人が母リベカの胎内にいたときの神のことば、また、イサクの祝福のことばにもあったように、「弟から国民が広がり、兄が弟に仕えるようになる」というのは、確かに神の計画だったのです。
神の顕現と祝福に感動したヤコブは、記念に石の柱を立て、この先、神から何かを与えられたら、必ずその10分の1をささげると約束し、その場所をベテルと呼びました。ベテルとは「神の家」という意味です。
だまされて結婚したヤコブ
その後、ヤコブは旅を続け、ようやくハランにたどり着きます。彼はそこで、羊に水を飲ませに井戸に来たラケルと出会いました。ラケルは伯父ラバンの次女で、ヤコブとはいとこに当たります。ラケルに連れられてラバンの家に行ったヤコブは大歓迎されました。 1か月が過ぎる頃、ラバンはヤコブに、「親戚だからといってこのままただ働きをする必要はない。欲しい報酬があれば申し出るように」と促しました。ヤコブは、ラケルと結婚させてほしいと応じます。最初に井戸で出会ったときから、彼はラケルを好ましく思っていたのかもしれません。ラバンにはレアという長女もいましたが、聖書には「レアは目が弱々しかったが、ラケルは姿も美しく、顔だちも美しかった。ヤコブはラケルを愛していた」(同29・17〜18)とあります。
ヤコブは、ラケルと結婚するためにラバンのもとで7年間働くという契約を結びました。これは当時の慣習で払うことになっていた花嫁料の代わりでした。やがて約束の期間が満了し、結婚式が行われました。
ところが、結婚式の翌朝、ヤコブは思いがけない事態に驚愕します。ラケルだとばかり思っていた花嫁が、実はラケルの姉のレアだったのです。怒ったヤコブはラバンに詰め寄りますが、ラバンは悪びれもせず、「われわれのところでは、長女より先に下の娘を嫁がせるようなことはしない。ラケルも嫁がせるから、その分もう7年間、働きなさい」と言います。ヤコブは、今度は自分がだまされる立場にまわり、意に反して2人の姉妹を妻にすることになったのです。
レアとラケルの確執
ヤコブが本当に愛していたのはラケルのほうでしたが、彼女は不妊の女性でした。一方レアは長男ルベンを産み、それによって夫の気持ちを自分のほうに向けさせることができるだろうと期待しました。レアはさらに次男シメオン、三男レビ、四男ユダと立て続けに男の子を産みます。
これを見てラケルは焦りました。いくら夫に愛されているとはいえ、当時の社会の中で子どもを産まない女性の立場は本当に弱いものだったのです。自分で産めないラケルは、代わりに自分の女奴隷ビルハによってでも子をもうけたいと願いました。ヤコブがその申し出を受け入れたので、ヤコブとビルハの間に五男ダン、しばらくして六男ナフタリも誕生しました。
レアはこれに対抗するために、自分の女奴隷ジルパをヤコブに与え、七男ガド、八男アシェルをもうけさせました。この後、レアが九男イッサカル、十男ゼブルン、長女ディナを産んだあと、ついにラケルも初めて身ごもり、十一男ヨセフを産みました。ラケルはこの後、ヤコブがラバンのもとを去ってカナンに帰ってから、ヤコブの末子になる十二男ベニヤミンを産みますが、このときの難産で命を落としてしまいます。
このようにして、姉妹がそれぞれの女奴隷も巻き込みながら争うようにして子どもたちを産み、ヤコブは12人の息子と1人の娘の父親になりました。この12人の息子たちが、のちに、イスラエル12部族と呼ばれる氏族の祖となります。
ヤボクの渡しで神の人と戦う
4人の女性たちがかわるがわる子どもを産み育てている間、ヤコブは相変わらずラバンのもとで一生懸命働いていました。しかし、ラバンはあまり良心的な雇い主ではなかったようで、ヤコブは妻たちに向かって、「私はあなたたちの父に、力を尽くして仕えてきた。それなのに、あなたたちの父は私を欺き、私の報酬を何度も変えた」(同31・6、7)と言っています。
しかし、ラバンの不誠実な態度にもかかわらず、ヤコブは神の助けにより財産(家畜)を増やしていきます。それを見たラバンやラバンの息子たちがヤコブに嫉妬するようになり、彼らの間にぎくしゃくした空気が流れるようになった頃、神はヤコブに生まれ故郷カナンに帰るようにと告げます。
しかし、ヤコブはもともとその故郷でエサウから殺意を伴うほどの怒りを買って逃げてきた身です。それから約20年の年月がたっているとはいえ、この兄と顔を合わさなければならないことは、ヤコブにとって恐怖にも近い不安でした。
恐れのほかに罪悪感もあったのでしょうか、ヤコブはエサウに対して徹底的にへりくだった態度をとることにしました。エサウの住むエドムに前もって使者を送り、「あなた様のしもべヤコブがこう申しております。私はラバンのもとに寄留し、今に至るまでとどまっていました。私には牛、ろば、羊、それに男女の奴隷がおります。それで私の主人であるあなた様にお知らせして、ご好意を得ようと使いをお送りしました」(同32・4〜5)と伝えさせました。
ところが戻ってきた使者は、エサウが400人のしもべを引き連れて迎えにくることを知らせます。ヤコブはパニックに陥りました。400人ものしもべを引き連れてくる兄の真意を量りかねたのです。もしかするとそれは、自分に復讐を果たそうとする兄の「軍団」かもしれません。
ヤコブは家畜やしもべたちなど財産を2つの宿営に分けて、1つが滅びてももう1つが残り、被害が最小限に食い止められるように手を打ちました。そして、神にすがるようにして、「私に『あなたの地、あなたの生まれた地に帰れ。わたしはあなたを幸せにする』と言われた主よ……どうか、私の兄エサウの手から私を救い出してください……あなたは、かつて言われました。『わたしは必ずあなたを幸せにし、あなたの子孫を、多くて数えきれない海の砂のようにする』と」(同9〜12節)。ヤコブは、神の約束をしつこいくらいに引き合いに出しながら助けを請います。神の約束や祝福をとことん重視する彼らしい祈りだと言えるかもしれません。
それからヤコブは、エサウへの贈り物にする多数の家畜を小さな群れに分け、しもべたちに導かせて、一群れずつ順番に時間差をおいてエサウに出会うようにし、自分たちの先を行かせました。次から次に贈り物に出会うことによってエサウの気持ちがなだめられるようにという作戦です。
ところが、そこまでしても安心できないヤコブは、夜になると2人の妻と2人の女奴隷、11人の子どもたちを連れてヤボク川を渡ります。そして、家族を先に行かせると自分ひとり、そこに残りました。聖書はそのあと、不思議な出来事を記しています。ある人が現れ、ヤコブと夜明けまで格闘したというのです。ところがヤコブがどうしても降参しないのをみて、その人はヤコブの股関節をはずし、「わたしを去らせよ」と言いますが、ヤコブは「去らせません。私を祝福してくださらなければ」と答えます。このことから、この「ある人」が、神の御使い(天使)であり、ヤコブもそれに気づいていたことがわかります。
御使いはヤコブに「イスラエル」という新しい名前を与え、祝福をして去っていきます。ヤコブはその場所を「ペヌエル」(神の御顔という意味)と名づけました。
エサウとの和解
やがて、ついにエサウと対面するときがきました。思いがけないことに、エサウはヤコブを見ると走って近寄り、抱きしめ、口づけをして再会を喜んだのです。ヤコブの恐れとは裏腹に、エサウは昔のことはもう水に流していたのです。2人は抱き合って泣きました。
その後、ヤコブは旅を続け、昔、兄から逃げる途中に野宿をして、天からのはしごを上り下りする御使いたちを見たベテルまで来ました。神はその場所で改めてヤコブに、「一つの国民が、国民の群れが、あなたから出る……わたしは、アブラハムとイサクに与えた地を、あなたに与える。あなたの後の子孫にも、その地を与えよう」(同35・11〜12)と約束します。そしてこの約束のとおり、次男であるヤコブの12人の息子たちがイスラエル人の祖先となり、イサクの長男であるエサウはエドム人の祖先となって別の民族となりました。
ヤコブたちがさらに旅を続けて父イサクの家を目指す途中で、ラケルはヤコブの末子12男のベニヤミンを難産の末に出産し、亡くなります。
イサクは180歳でなくなり、エサウとヤコブによって葬られました。
「かかと」と同じ語源の「ヤコブ」
父イサクと母リベカの子ヤコブは、双子で生まれたとき兄エサウのかかとをつかんでいたことから、“かかと”と同じ語源からヤコブと名づけられたようです。
猟師で野に出てたくましい兄とは異なり、穏やかな性格で天幕の中で過ごし、母リベカに愛されました。
“かかと”の語根には、“だます”という意味もあります。ヤコブは空腹の兄と取り引きし、長子の権利を買い取り、母リベカと共謀して目が見えない父イサクをだまし、兄に成りすまして長子の祝福を受ける狡猾さをもっています。それは、神からの祝福を真剣に求め続けた結果ともいえます。
彼はまた、母の故郷で伯父ラバンの企みによってレアとラケルの姉妹を妻にし、その後もしばらく伯父に仕える忍耐強さをもっていました。