アダムとエバ:最初の人類 エデンの園で、神との関係に亀裂

善悪の知識の木の実

自分のあばら骨から創造されたエバを見たとき、アダムは「これこそ、ついに私の骨からの骨、私の肉からの肉」(創世記2・23)と感嘆の声を上げました。この箇所から聖書は、「それゆえ、男は父と母を離れ、その妻と結ばれ、ふたりは一体となるのである」(同24節)と、夫婦関係の絆の深さを説いています。ところが、それほどまでに親密な関係に亀裂が生じるような事件が起こります。

アダムとエバは、神からエデンの園の管理を任されていました。アダムに神が命じたのは、園にあるどの木の実も自由に食べていいが、善悪の知識の木の実だけは食べてはいけない、ということでした。それを食べたら、必ず死ぬ、と警告もしました。
ところが、ある日、「野の生き物のうちで、ほかのどれよりも賢かった」(創世記3・1)と表現されている「蛇」が、エバのもとに現れました。あとに続く聖書の文脈からは、この蛇が実は悪魔(サタン)だったことが読み取れます。

蛇は巧妙な語り口でエバの心に揺さぶりをかけます。神が本当は「善悪の知識の木の実以外は、どの木からでも食べていい」と言ったことを重々承知のうえで、「あなたがたは本当に、園のどんな木からも食べてはいけないと言われたのか」と、あたかも神が意地悪なことを命じたかのようにエバに問いかけたのです。

「園にある木の実は食べていいのだけれど、善悪の知識の実は食べてはいけないのです」と応じたエバも、蛇につられたのか神のことばを微妙に歪曲しました。「それを食べたら、必ず死ぬ」と言われたところを「死ぬといけないからだと言われた」と説明したのです。
エバのそんな心の揺れを突き、蛇は小細工をやめて襲いかかるように「あなたがたは決して死にません」と、神のことばを真っ向から否定しました。「それを食べると、あなたがたが神のようになり、善悪を知るようになることを神は知っているのです」と、神をうそつき呼ばわりしながらエバをそそのかし、その実を食べさせてしまったのです。

禁じられていた木の実を食べたエバは、その瞬間に取り立てて何も起こらないことに安心したのか、あるいは共犯者が欲しかったのか、アダムにもその実を食べさせてしまいました。

神に禁じられていたことを知りながら、自分の意志で2人がその実を食べることによって神に逆らったこの瞬間を、聖書の世界観から説明すると、「人類に原罪が入り込んだ瞬間」ということになります。この時から人は、母親の胎内にいるときから罪のある者として生まれることになり、罪を犯さずに一生を終えることのできる人は誰もいないということになりました。そしてこの場合の罪とは道徳的な罪ではなく(それも含まれますが、それ以前に)、神のことばに背き、自分が神のようになろうとした人間の、神に対する罪という意味です。

善悪の知識の木の実を食べたアダムとエバは、自分たちが裸であることに気づき、いちじくの葉をつづり合わせて腰の回りを覆いました。それ以前は、まるで幼児のように裸であることを恥ずかしいと思っていなかった2人に最初に現れた変化でした。

また、その後、園を歩き回る神の声を聞いた2人は、木の間に身を隠します。神は、「あなたはどこにいるのか」と呼びかけますが、もちろんこれは、本当に居所がわからなくて聞いているのではなく、何の隔たりもなかった神と人との間に何が起きてしまったのかを問い、アダムとエバを、自分たちがしてしまったことに直面させるための呼びかけでした。

神に訳を聞かれたアダムは、かつては「私の骨からの骨」と呼んだ妻を指し、「あなたが与えてくださったこの女が、あの木から取って私にくれたので」と言い訳をします。「こんな女」をそばに置いたあなたが悪いと言わんばかりです。

神は、蛇、アダム、エバのそれぞれに対してさばきを言い渡しました。蛇はやがて「女の子孫」に頭を踏み砕かれると宣言されますが、この「女の子孫」とはイエス・キリストのことを指し、これが聖書に出てくる最初の預言といわれています。

エバには、苦しんで子を産まなければならないというさばき、アダムには、一生苦しんで働かなければならないというさばきが言い渡され、2人はエデンの園を追放されます。そして、2人がこの罪を犯さなければ自由に食べてよかったはずの「いのちの木」は、ケルビム(神の御使い)と回る炎の剣によって守られ、神の警告どおり、人間は必ず死ぬべき存在となってしまいました。

 

エデンの園はどこにあったか

創世記2章10~14節に記されている4つの川の名のうち、現代のトルコ南東部を源流としてイラクを南北に流れるティグリス川と、トルコ北東部を源流にシリアを流れるユーフラテス川は、今もその名が残っています。第1と第2の川について古代キリスト教の神学者アウグスティヌス(354年~430年)は、著書『創世記注解』で、ギホンは現在のナイル川、ピションはガンジス川であろうとしていますが、定かではありません。
エデンの園はどこにあったのでしょうか。聖書には、ただ「東の方」と記されているだけです。ティグリス川とユーフラテス川が現存する地名であることから、メソポタミアの辺りとする説もあります。ギホンがナイル川とするならば、アフリカの南の地域を候補にする説も挙がるでしょう。DNA研究では、人類の発祥はアフリカとする学説もあります。
神が創造した“エデンの園”は、後述するノアの時代の大洪水によって消滅しました。見いだしえない地、時として“楽園”の比喩として用いられるエデンの園は、やはりミステリアスな存在なのでしょう。

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