旧約聖書の世界観

「はじめに神が天と地を創造した」 宇宙・地球ができた経緯

聖書がその冒頭において厳かに宣言していること、それは「はじめに神が天と地を創造された」(創世記1・1)ということです。天と地と、その中に存在する生き物はすべて、神が意図をもって創造したものであり、自然発生や進化によって生じたものではないというのが、聖書の主張なのです。これが「創造論」と呼ばれる考え方です。

7日間? それとも46億年?

世界の創造に関する聖書の記述をたどっていくと、「神は仰せられた。『光、あれ。』すると光があった……第一日」(創世記1・3〜5)というふうに、1日ごとに何かを創造していくプロセスが6日間続きます。そして、「神は第七日に、なさっていたわざを完成し」(創世記2・2)とあることから、これを字義どおりに受け取れば、この世界とすべての生き物は7日間で造られたということになります。
そう解釈したうえで、最初の人間アダムと、その子孫たちの聖書に記されている享年を計算していくと、地球ができたのは約6千年〜1万年前だと解釈する人々もいます。
一方で、創造論を信じつつも、創世記は科学者の記録のような目的と形式で書かれたものではないから、ここでいう「1日」も現在の24時間に相当する長さと受け取る必要はない、という考え方をする人々もいます。「1日」は、「時代」を表しているのであって、その長さは何千年、何万年、あるいは何億年であったかもしれない、という解釈です。その場合は、地球の年齢は、現在の科学で一般に言われている46億年に近い長さになるかもしれません。
このように、創造論を信じるクリスチャンの間でも、大きく意見の分かれる部分もありますが、進化論との決定的な違いは、創造論には「命とは、神が意図をもって造り出したものであり、人には生み出された目的がある」という哲学があることです。

創造の最後に造られた人間「神のかたち」に造られた男と女 人間を男と女とに創造した

聖書によれば、人間と他の動物たちとの間には、明らかな違いがあります。人間以外のすべての生き物は、「神は仰せられた。『地は生き物を種類ごとに、家畜や、這うもの、地の獣を種類ごとに生じよ。』すると、そのようになった」(創世記1・24)と、ことばだけで創造したのに対し、人間は、「さあ、人をわれわれのかたちとして、われわれの似姿に造ろう」(同26節)ということばに続き、「神である主は、その大地のちりで人を形造り、その鼻にいのちの息を吹き込まれた」(創世記2・7)と、具体的なプロセスが記されています。
神は霊的な存在であり、肉体を持っていませんから、この「われわれの似姿」は、外見のことを言っているのではありません。神のいのちの息を吹き込まれて命あるものとなった人間は、神の性質に似た性質(創造性、芸術を愛する心など)を与えられ、神を愛し礼拝する者となることが求められているというのが、聖書の教えです。そして神は人間に、他のすべての生き物を支配するようにと命じました。
また、他の動物はみな、最初から雄と雌とに造られていましたが、人間は最初に造られたのは男性のアダムだけでした。そして、彼にとってふさわしい助け手を造るためにという理由で、神はアダムを深く眠らせ、そのあばら骨を取り、そこから最初の女性・エバを造ったとあります。次のステップでは、この人類初のカップルについて詳しく見ていきましょう。

人類最初の結婚式 エデンの園で結ばれたアダムとエバ

日本では、キリスト教式の結婚式がいちばん多く、約60%といわれています。挙式や、参列の経験がある方も多いことでしょう。その場面を思い出してください。そこにいるのは、新郎と新婦、そして司式者(神父、または牧師)と会衆です。
そして、司式者が新郎と新婦それぞれに尋ねます。
新郎には「あなたはこの女性をあなたの妻としますか。そして愛と純潔の限りに、義務と奉仕の限りに、信頼とやさしさの限りに、彼女と生き、彼女をいつくしみ、神の定めたところに従って、結婚の聖なる絆に入ることを約束しますか」
新婦には「あなたはこの男性をあなたの夫としますか。そして愛と純潔の限りに、義務と奉仕の限りに、信頼とやさしさの限りに、彼と生き、彼をいつくしみ、神の定めたところに従って、結婚の聖なる絆に入ることを約束しますか」
それぞれ「はい、そうします」とか「約束します」と答えます。
この場面で注目していただきたいのは、それぞれが相手に向かって答えているのではないということです。まっすぐ前を向いて、その質問を問いかける司式者に答えているはずです。彼らは実は、お互いへの誓約の前に、神への誓約をしているのです。彼らは横を向いて誓約する前に、「上を向いて誓約」しているのです。神の権威の前で、1人が伴侶に対する忠誠と貞節を誓うのを、もう片方がその横で聞いています。
そして、2人は次のようなことばを宣言します。
「私はあなたを正式に結婚した妻(夫)とし、豊かなときも乏しいときも、喜びにも悲しみにも、病めるときにも健やかなときも、2人が生きる限り、あなたを愛する夫(妻)となる約束と契約を、神とこの証人たちの前でします」
このようにキリスト教式の結婚式は、新郎と新婦だけで成り立つものではなく、新郎・新婦、司式者、会衆、そして神によって成り立っているのです。その原型が、聖書の創世記のアダムとエバの記述なのです。
神がアダム(男)を造り、そしてエバ(女)を造り、その他の被造物の前でその2人を夫婦としたのです。聖書による結婚とは、男と女だけで成立するものではなく、会衆の前で神に対して誓約し、そして互いに夫婦となることを約束するのです。
そして、その誓約の後、司式者は会衆の前で宣言します。
「人は、神が結び合わせたものを引き離してはなりません」と。
人類最初の結婚に、「人類の夫婦、家庭の原点」があるのです。

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