聖書ってんどんな本?
最後に読みたい「聖書」その気になる理由は?
1990年代中頃のことですが、作詞家で随筆家の永六輔の著書『大往生』(岩波新書)が爆発的に売れ、大ベストセラーになりました。これは、人間はいかに死を迎えるかという問題について仏教の立場から書かれたものですが、従来、死をテーマにした本は売れないというジンクスを破ったということでも画期的な出版だったようです。
当時、この『大往生』ブームに触発されてか、月刊図書雑誌『ダ・ヴィンチ』(メディアファクトリー)が、「余命3か月と宣告されたら読みたい本は?」というたいへん興味深いアンケート調査を行いました。
その結果、2位の『大往生』に大差をつけて1位になったのが『聖書』でした。その理由としては、「天国に行けるように」、「死後の世界で得をしそうな気がするから」といったことが挙げられており、気になる死後についての手がかりを聖書の中に求める人が多いことが伺えます。
ポール・ゴーギャンの代表作の1つに、「我々はどこから来たのか、我々は何者か、我々はどこへ行くのか」という絵があります。このようなテーマの絵を描いた背景には、ゴーギャンが神学校に通い、聖書を学び、人生の意味を真剣に考えたという事実が影響しているのかもしれませんが、「人は死んだらどうなるのだろう」ということを1度も考えたことのない人は、おそらくどこにもいないのではないでしょうか。
よく、「ビジネスマンのバイブル」「スポーツ選手のバイブル」という言い方がされますが、これは、その中にビジネスマンやスポーツ選手にとって必須の情報が書かれている必読書という意味です。本家本元のバイブル(聖書)の中には、人間が生きていくうえで必須の情報が書かれているので、バイブル=「必ず、それも繰り返し読むべきもの」という意味で使われるようになったのです。
そして、人間はどこから来て、何者で、どこへ行くのか、という問いに対する答えこそ、その必須の情報ということができるでしょう。
聖書とキリスト教の関係 聖書の成り立ちと構造
旧(ふる)い契約と新しい契約
聖書は、大きく2つに分けると旧約聖書と新約聖書に分かれます。旧約聖書にはイエス・キリスト誕生以前のことが書かれ、世界とそこに住むすべてのものの創造について、また、神が自身の民としてイスラエルを選び、契約を交わしたことについて、イスラエルのその後の歴史についてなどが記されています。
新約聖書は、イエス・キリスト誕生後のことが書かれ、イエスの教え、また、イエスの十字架によって、神と人との間に新しい契約が交わされたことについて記されています。旧約と新約の「約」とは、実はこの契約のことで、キリスト以前の旧い契約について書かれた書が旧約聖書、新しい契約について書かれた書が新約聖書ということになります。
ユダヤ教、キリスト教、イスラム教と聖書
ユダヤ教、キリスト教、イスラム教はそれぞれ、旧約聖書に記されている唯一の神を信じる一神教として、姉妹宗教といわれていますが、それぞれの宗教と聖書の関わりはどうなっているのでしょうか。
まず、ユダヤ教の経典には、旧約聖書に登場するモーセを通して語られた「律法」(トーラー)、この口伝されてきた律法を成文化し、編集した「ミシュナー」、それを補完した「ゲマラ」、ミシュナーとゲマラを集大成化した「タルムード」があります。この中でユダヤ教徒の実際の信仰生活の中で最も重要視されているのはタルムードですが、この成り立ちを見れば、内容が旧約聖書の中のモーセ五書(モーセが著者とされている旧約聖書の最初の五書)と重なっていることがわかります。有名な十戒もこの中に含まれます。
なお、ユダヤ教徒は、旧約聖書の中で預言されている救い主がイエス・キリストだとは信じていないため、新約聖書のことは認めていません。
逆の言い方をすれば、旧約聖書の中で預言されている救い主とはイエス・キリストだと信じているのがキリスト教ということになりますので、キリスト教の経典は、旧約聖書と新約聖書ということになります。
イスラム教の経典はよく知られているようにコーラン(原語に近い発音はクルアーン)です。イスラム教の教祖ムハンマドは、40歳のときに天使ガブリエルから最初の啓示を受け、その後23年間にわたって神の啓示を受けてきたとされています。それらの内容は最初、口伝で継承されていましたが、イスラム教の3代目のカリフ(ムハンマドの後継者)の時代に、今あるような形態に統一されました。
コーランは、唯一神アッラー以外に神はなく、この神を信じる者がどのように信仰を表明すべきかという生活の指針を書いた書で、聖書のような物語性はありません。コーランを理解するためには、予備知識として聖書を知っておくことが必要になります。イスラム教にはほかに、ムハンマドの言行録である「ハディース」があります。
聖書の構成
旧約聖書の最初のほうに書かれている物語は、文字が発明されるよりずっと前の先史時代のことです(何しろ、いちばん初めに記されている出来事は、世界そのものの創造についてですから)。これらの物語は、口頭伝承と呼ばれる口伝えで語り継がれてきました。ただし、これらは神についての重要な物語という認識がされていたため、何となく語り継がれたのではなく、一語一句にこだわり、正確に唱えられながら伝承されてきたはずです。
やがて、文字が発明されると、これらの内容は数世紀にわたって文章化され、紀元前5〜4世紀頃にまとまった形になり、紀元90年のヤムニア会議(ユダヤ教の指導者たちによる聖書の正典を決める研究と会議)で正式に承認された正典を元に生まれたのがキリスト教の旧約聖書になりました。
新約聖書は紀元100年までにはすべての書が書き終えられ、393年のヒッポ会議、397年のカルタゴ会議といった教会会議によって正典(正式に聖書に収めるべき書として認定されたもの)が決められていきました。ちなみに、正典のほかには、外典(正典には含められなかった歴史書)、偽典(正典にも外典にも含められない実際の著者以外の名を用いて書かれた書で、内容の真偽も不確かな書)があります。偽典は、そもそも著者の名前からして虚偽であり、資料的文献としての価値は認められていません。
旧約聖書は39巻で4部構成
旧約聖書の区分のしかたについては何通りかありますが、ここでは4つのジャンルに分けて説明しましょう。
第1のジャンルは、「律法書」です。イスラエル民族の指導者モーセが著者とされていることから、「モーセ五書」とも言われます。ユダヤ教ではこれをトーラー(律法)と呼びます。天地万物を創造した神が、人類をも造り、イスラエルを自分の民として選ぶまでのことと、そのイスラエルがどのように生きていくべきかを教えた生活の指針、律法が記されています。
第2のジャンルは「歴史書」です。モーセの死後、後継者のヨシュアに導かれたイスラエルの民が神から与えられた約束の地に入るところから、国となったイスラエルの繁栄と衰退の歴史が記されています。
第3のジャンルは「詩書」と呼ばれるものです。正しい人が苦しみに遭うことをテーマにしたヨブ記、イスラエルの名高い王であるダビデを筆頭とする詩人たちが祈りや賛美を詩の形式で書き表した詩篇、知恵者として知られるソロモン王のことばを記した箴言などの知恵文学が集められています。第4のジャンルは「預言書」です。聖書における「預言」とは、先のことを予見して語る「予言」とは少し違い、神からのことばを「預かって語る」という意味でこの漢字が当てられています。未来に起こることを語る場合もありますが、聖書の預言者がすることの第一義的な目的は、神からのメッセージを民に伝えることです。イザヤ書からマラキ書までの預言書の中で語られているおもなメッセージは、偶像に走り、唯一の神を裏切ったイスラエルに対するさばきと、悔い改めへの呼びかけです。また、ユダのベツレヘムに救い主が誕生するという預言もされています。
新約聖書は27巻で3部構成
新約聖書は、旧約聖書で預言されている救い主がイエス・キリストであることを示し、その教え(福音)と弟子たちの宣教活動、やがて来る終末とキリストの再臨(十字架で死んだイエスがよみがえり、世の終わりに再び到来すること)について述べています。新約聖書全体を大別すると、3つに区分できます。
第1のジャンルは「福音書と使徒の働き」です。福音書はイエス・キリストの生涯と教えを記録したもので、マタイ、マルコ、ルカ、ヨハネの4人の弟子がそれぞれ記したものがあります。「使徒の働き」は、イエスが十字架上で死に、3日後によみがえり、天に昇ってからの出来事で、ペテロやパウロといった弟子たちを中心に繰り広げられた宣教がどんどん広がっていくようすが描かれています。
第2のジャンルは「書簡」です。パウロやほかの弟子たちが、各地に生まれ始めたキリスト教会に宛てて書いた手紙で、これを通してキリストの教えが文書化され、キリスト教の教義が整理されていきました。
第3のジャンルは「黙示」です。黙示とは、人には見ることのできない神の霊的な真理が特別なかたちで啓示されることで、新約聖書に収められている「ヨハネの黙示録」では、十字架の後に天に昇ったキリストの再臨、人類に対する最後の審判、神によってきよめられた新天新地の到来が預言されています。
「聖書」の著者とその舞台
先述したように、旧約聖書の始まりは、文字ができるよりはるか以前の先史時代で、その内容は口頭伝承されてきました。後にそれが複数の人物により、紀元前1400年頃から紀元前400年頃にわたって文書化されました。一部アラム語で書かれている箇所もありますが、大部分はヘブル語で書かれています。
このようにあまりにも古く、あまりにも長い時間に大勢の人によって書かれたものなので、著者不明の書も多くあります。創世記から申命記までの最初の5つはモーセが書いたという説が浸透し、「モーセ五書」と呼ばれていますが、モーセ自身の死についての記述も含まれているため、謎も残っています。
旧約聖書に記されている物語が展開する舞台はおもに、ペルシャ湾と地中海の間のチグリス川、ユーフラテス川沿岸の「肥沃な三日月地帯」と言われる地域を中心に、現在のイラン、イラク、シリア、レバノン、イスラエル、エジプトなどです。
一方、新約聖書の著者は、マタイ、マルコ、ルカ、ヨハネ、パウロ、ヤコブ、ペテロ、ユダなどのキリストの弟子たちで、原書はギリシャ語で書かれています。これは、この時代この地域にローマ帝国の統治が広がり、交易などに用いられた公用語がギリシャ語だったためです。
新約聖書の舞台は、現在のイスラエル、シリア、トルコ、ブルガリア、マケドニア、ギリシャ、イタリアなどで、地中海沿岸諸国にまで広がっています。
長い時代にわたり、さまざまな著者が関わった聖書が1冊の書物と言えるのか、という疑問が湧いてくるかもしれませんが、この点について、聖書自身にはこう書かれています。
「聖書はすべて神の霊感によるもので、教えと戒めと矯正と義の訓練のために有益です」(Ⅱテモテ3・16)