イザヤ:王国の滅亡と捕囚 捕囚からの帰還と救世主を預言したイザヤ
イザヤは預言者の中でも筆頭格の人物で、彼の預言は「イザヤ書」として旧約聖書の中に収められています。北王国イスラエルがアッシリアに滅ぼされるという国際情勢の中で、紀元前740年に活動を始めました。
南王国に遣わされたイザヤは、偶像礼拝と並行して、ソロモンが建てたエルサレム神殿でも行われていた形骸化した儀式について、そんなものは何も意味がない、神が欲しているのは真心からの悔い改めだ、と民の偽善を糾弾します。
それでも悔い改めない民に対して、バビロン捕囚というさばきが下ることを預言し、しかし、さばきの後には神が民をエルサレムに連れ戻し、回復してくださるということも預言します。
このイザヤ書には別な預言も含まれており、その後に来るべき救世主について書かれています。また、神が、この世界の終着点として聖書に示した新天新地を創造することについても書かれており、この一書の中に聖書全体のメッセージが濃縮されているともいわれています。
数字的にも、旧約聖書39巻と新約聖書27巻を合わせて聖書は全66巻、イザヤ書は前半の39章が神のさばきについて、後半の27章が赦しと慰めについて語られているという不思議な符合があります。
イザヤ書の救世主降臨の預言
イザヤ書には、救い主(救世主)の降臨と十字架での贖罪に関する預言が多く記されています。有名な預言を幾つか挙げてみましょう。
「ひとりのみどりごが私たちのために生まれる。ひとりの男の子が私たちに与えられる。主権はその肩にあり、その名は『不思議な助言者、力ある神、永遠の父、平和の君』と呼ばれる。その主権は増し加わり、その平和は限りなく、ダビデの王座に就いて、その王国を治め、さばきと正義によってこれを堅く立て、これを支える。今よりとこしえまで。万軍の主の熱心がこれを成し遂げる」(9章6~7節)
「私たちはみな、羊のようにさまよい、それぞれ自分勝手な道に向かって行った。しかし、主は私たちすべての者の咎を彼に負わせた。彼は痛めつけられ、苦しんだ。だが、口を開かない。屠り場に引かれて行く羊のように、毛を刈る者の前で黙っている雌羊のように、彼は口を開かない。虐げとさばきによって、彼は取り去られた。彼の時代の者で、だれが思ったことか。彼が私の民の背きのゆえに打たれ、生ける者の地から絶たれたのだと」(53章6~9節)
この記述は、新約聖書の時代に登場するイエス・キリストの生涯と、キリストが語った福音を彷彿とさせます。