エレミヤ:涙の預言者 民は預言を聞かず、国は滅び捕囚の身に
南ユダ王国には、異教の神々も祭られていました。預言者たちは、モーセの十戒にあるように偶像礼拝から離れてイスラエルの神を信じるよう預言してきましたが、王たちは宗教的な曖昧さから離れることができませんでした。
ただ、第16代のヨシヤ王だけは偶像をことごとく打ち壊し、エルサレム神殿の改善と宗教改革を断行しようとした良い王でした。エレミヤは、このヨシヤ王の時代に神からの召命(呼びかけ)を受けて預言者になりましたが、やがてヨシヤ王が戦死し、エホヤキム王の時代になると、エレミヤへの風当たりが強くなっていきます。
ヨシヤ王の宗教改革にもかかわらず、民や新しい王は依然として偶像礼拝を続けていたため、エレミヤは、「悔い改めないならば、エルサレムはやがて滅ぼされ、神殿は破壊され、人々はバビロンに捕囚として引いていかれる」と預言しましたが、王はこれを国家反逆罪と見なし、エレミヤを神殿から追放し、激しく迫害しました。
その後、エレミヤの預言どおり、エルサレムはバビロンに攻められて陥落し、民はバビロン捕囚として連れ去られていきました。
その際、エレミヤはバビロン王の好意によって釈放され、新総督ゲダルヤに仕えますが、そのゲダルヤが暗殺されるとエジプトに亡命する人々に強制連行されました。そしてエジプトにおいてもしばらくの間、預言者としての活動をしました。
4回行われたバビロン捕囚
捕囚とは、古代世界での占領政策の1つです。戦勝国が、敗戦国の王や指導者、知識人らを捕虜として自国の領地へ移民させ、敗戦国を植民地として服従させます。ユダ王国のバビロン捕囚は3回ないし4回行われたようです。
紀元前605年、ネブカドネツァル2世はエルサレムを包囲し、王家や貴族の中から数人を選びバビロニヤの王宮へ連れていきました。
紀元前597年、エホヤキムと有力な若者たちを殺害し3,000人をバビロンへ捕囚しました。
紀元前586年、エホヤキムの息子エホヤキンがユダの王位を継ぎましたが、謀反を疑われてエルサレムは陥落し、神殿も破壊されました。エホヤキンと指導者たちはバビロンに捕囚されます。
紀元前582年、エレミヤ書52章30節にはユダヤ人745人を捕囚したと記載されています。
バビロンの捕囚は約70年間でした。エレミヤ書の最後は、バビロンに捕囚されたエホヤキンが37年目に釈放されて死ぬまでエビル・メロダク王に養われたと記しています。