ヨシュア:“約束の地”へ導く イスラエル12部族への分割

モーセ亡きあと、その後継者として立てられたのはヨシュアです。神はこのヨシュアに「あなたとこの民はみな、立ってこのヨルダン川を渡り、わたしがイスラエルの子らに与えようとしている地に行け。わたしがモーセに約束したとおり、あなたがたが足の裏で踏む場所はことごとく、すでにあなたがたに与えている」(ヨシュア記1・2〜3)ということばを与えます。

エリコの戦い

約束の地に入ると言っても、そこには先住民がいて、その都であるエリコの町は強固な城壁で囲まれていました。また、そこに近づくには、自然の城壁とも言うべきヨルダン川を渡らなければなりませんでした。
ヨシュアが2人の斥候を遣わすと、不思議なことにその街に住むラハブという名の遊女が、2人に協力し、助けてくれました。無事に帰った斥候は、街の住民がおびえきっていることをヨシュアに伝えました。
神が与えた攻略法は、人間の常識ではまったく理解できないものでした。まず、ヨルダン川の渡り方は、レビ族の祭司たちが「主の契約の箱」(十戒を記した2枚の石板が収められた箱で、神の臨在を象徴した)を担ぎ、先頭を切ってヨルダン川の中に入っていくのです。すると、上流から流れてくる水がせき止められ、川床が現れました。そして、すべての民はそこを歩いて渡りました。
城門を堅く閉ざしたエリコの城壁の崩し方は、さらに不思議な方法でした。ヨシュアは7人の祭司たちに7つの雄羊の角笛を持たせ、それを吹き鳴らしながら城壁の周りを1周させました。その後ろには主の契約の箱が続きます。武装した兵士たちも同行し、祭司たちの前としんがりを歩きましたが、行進する以外は特に何もしなかったばかりか、一言も声を発することさえありませんでした。それがヨシュアの命令だったのです。
敵にも味方にも、まったく意味不明であっただろうこの行動は6日間繰り返されました。そして7日目になると、この日だけは7周し、民はそれが終わったら一斉にときの声を上げるよう命じられました。すると、そのときの声が上がるやいなや、城壁は崩れ落ちてしまったのです。
神はこのようにして、この勝利をもたらしたのは神であることを明らかにしました。イスラエル民族はついに、約束の地に入ったのです。

カナン分割とヨシュアの死

エリコを陥落させたイスラエル人たちは、その後もカナン全域に侵攻していき、勝ち取った地を12部族の間で分割します。そしてイスラエル全部族がようやく安住の地に落ち着く頃、ヨシュアもすっかり年を取っていました。彼は全部族をシェケムに集結させると、イスラエル民族がこれまで神にどのように導かれて今があるのかということを語り聞かせ、すべての偶像を退けて、ただこの唯一の神を恐れ、誠実に仕えるようにと諭します。その後、彼は110歳の生涯を閉じ、エフライムの山地に葬られました。
「ヨシュアがいた間、また、主がイスラエルのために行われたすべてのわざを経験して、ヨシュアより長生きした長老たちがいた間、イスラエルは主に仕えた」(同24・31)と聖書は語っています。それはつまり、その長老たちも死に絶えると、民は神も、神と結んだ契約も忘れ果てたということにほかなりませんでした。

聖書の中の「聖絶」

聖書では、イスラエルの民はエリコとアイの町の「男も女も若者も年寄りも、また牛、羊、ろばも、すべて剣の刃で聖絶した」(ヨシュア6・21)と記されています。神は、異邦の民の聖絶を何回か命じています。老若男女の人々と家畜まですべてを滅ぼし尽くせという命令は、罪を完全に滅ぼすことの予型として記されているものです。
また、入植するイスラエルの民が、カナンの宗教に影響されないようにするためでもあります。そのため、聖絶されたものは神にささげられたものとして教えられており(レビ27・28)、“聖戦”と称しての人殺しや略奪を肯定するものではありません。
ちなみに、イエス・キリスト以後の新約聖書の時代には、聖絶の戦いは命じられていません。

 

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