サウル:初代のイスラエル王 神を信頼しきれず窮地に陥る
サウルは、「美しい若者で、イスラエル人の中で彼より美しい者はいなかった」(Ⅰサムエル記9・2)と聖書に記されています。サムエルは彼の頭に油を注ぎ(134頁の囲み記事参照)、王に任命しましたが、「よこしまな者たちは、『こいつがどうしてわれわれを救えるのか』と言って軽蔑し、彼に贈り物を持って来なかった。しかし彼は黙っていた」(同10・27)という聖書の記述から、当初は無名の若者が突然王にされたことへの民の戸惑いがあったこと、また、本人も自信をもてずにいたことがうかがえます。
しかし、やがて王として最初の戦いに勝利を収めると、民はサウルを王として認め、本人の意識にも次第に変化が現れてきたようです。あるとき、ペリシテ人との戦いでイスラエルは苦境に立たされ、民は、神に全焼のささげ物をささげてこの危機から救ってもらいたいと、サムエルの到着を待っていました。ところがサムエルがなかなか来なかったため、民が戦意を失いかけているのを見たサウルは、祭司にしか許されていない「全焼のささげ物をささげる」という行為を自ら行って、民をつなぎとめました。
ちょうどそのときに到着したサムエルはサウルをとがめ、神の命令を守らなかったサウルの王国は続かない、と宣言します。王が祭司に代わってささげ物をささげることの何がそんなにいけなかったのか、と思えるかもしれませんが、神と民との間をとりもつ祭司職というのはそれほどまでに神聖な職務であり、また、何よりも、神によって選ばれた王が、神の定めたその秩序を軽んじ、神をないがしろにしたことが致命的な誤りだとされたのです。
その後、神はサムエルを通してサウルに、アマレクという敵国を打つように命じました。そしてその際には、アマレクの民も家畜も財産もすべて滅ぼし、戦利品として持ち帰ることはしないように、とも命じました。ところが、サウルは肥えた家畜たちを見るとそれを滅ぼすことを惜しんで持ち帰ったのです。
神の命令を無視するのがこれで2度目であること、また、サムエルにこのことをとがめられたとき、「命令は破っていない。これは神にささげるために持ち帰ったものだ」とうそぶく態度から、この人物に決定的に欠けていることが見えてきます。
それは、神を恐れ、その命令を真摯に受け止める姿勢です。そんなサウルにサムエルは、「従わないことは占いの罪、高慢は偶像礼拝の悪。あなたが主のことばを退けたので、主もあなたを王位から退けた」(同15・23)と言い渡しました。
水面下で進む王の交代劇
サムエルのことばは、いわば近い将来に起こることについての預言であり、「神はあなたを王位から退けた」と言われた翌日から王でなくなるということではありませんでした。しかし、神の霊はすでにサウルを離れており、サムエルにも見放され、後ろ盾を失ったサウルは心の安まるときがありませんでした。
一方、神はサムエルに、新しい王に油を注ぐようにと命じます。それは、ベツレヘムに住むエッサイという人の末息子で、羊飼いをしていたダビデという少年でした。サムエルがダビデに油を注ぐと神の霊がダビデに下りましたが、これらの出来事はまだ公にはされず、ただダビデとその家族、サムエルだけが知っていることでした。ダビデがイスラエルの王になるのはまだしばらく先のこととなります。
そして、神からはすでに退けられているサウル王と、次の王に選ばれている羊飼いの少年ダビデは、不思議なかたちで出会うことになります。神の霊に去られたサウルは、不安と恐れに日々さいなまれていました。そんなサウルに家来たちは、今で言う音楽療法のようなことを勧めました。堅琴の演奏者を召し抱えて王の前で弾かせるようにと助言したのです。そして、堅琴の名手として連れてこられたのがダビデでした。サウルは、ダビデが次の王としての油注ぎを受けていることも知らず、彼を気に入り、自分の道具持ちとしてそばに置くようになりました。そして、サウルが不安の発作を起こすたびに、ダビデが堅琴を弾くと、サウルは落ち着くのでした。
しかし、ダビデが戦闘で大きな成果を上げるようになると、民はサウルよりもダビデをたたえるようになり、サウル王はダビデに嫉妬し始めます。それが高じてダビデを殺そうとしたため、ダビデは逃走します。
神に見限られたサウル王は、その後、戦闘で死ぬことになります。