ペテロ:教会の礎となった弟子 イエスを「知らない」と3度否認した使徒
12弟子の中でも筆頭格のペテロは、情熱家で、まっすぐな気質ながら単純で、イエスに対する信頼と愛情を惜しみなく表す一方で、失敗も多い弟子でした。
たとえば、イエスが弟子たちに向かって、「あなたがたは、わたしをだれだと言いますか」と尋ねたとき、ペテロは「あなたは生ける神の子キリストです」と答え、イエスから「バルヨナ・シモン(ペテロの別名)、あなたは幸いです。……あなたはペテロ(岩という意味)です。わたしはこの岩の上に、わたしの教会を建てます」と祝福され、キリスト教会の礎とされると言われるのです(マタイ16・15〜18参照)。
ところがこの直後、イエスが、自分はこれから十字架にかかり、殺されるが3日目によみがえるということを弟子たちに語り始めると、そのことの意味を理解できなかったペテロはイエスを脇に呼んで、そんなことが起こるはずはないといさめ始めたのです。
イエスはペテロに対して「下がれ、サタン。あなたは、わたしをつまずかせるものだ。あなたは神のことを思わないで、人のことを思っている」(マタイ16・23)と非常に厳しいことばで叱りました。
この時点ではペテロもまだ、イエスがこの地上でローマを追いだし、王国を築いてくれるはずだと信じていたのでしょう。イエスにこのように叱られ、彼は驚き、意気消沈したことでしょう。しかし、イスカリオテのユダとペテロの違いは、ペテロは自分の理解を超えることがあってもイエスを信頼し、慕い続けたことです。
弟子なのにイエスを知らないと答える
イエスが自らの死について語ると、ペテロは「主よ。あなたとご一緒なら、牢であろうと、死であろうと、覚悟はできております」(ルカ22・33)と答えました。これは彼の本気のことばであったことでしょう。しかしイエスは、「今日、鶏が鳴くまでに、あなたは三度わたしを知らないと言います」(同34節)と予言しました。
やがて、イエスが抵抗もせずに捕まってしまうのを見ると、ペテロは戸惑いと恐れにとらわれました。しかしイエスを見捨てることもできず、一行から距離を置きながらついていったのです。イエスが連れていかれた大祭司の家の中庭では、多くの人がたき火にあたりながら事の成り行きを見守っていましたが、ペテロも何食わぬ顔をしてその中に紛れ込んでいました。しかし、1人の召使いの女が彼の顔を見て「この人もイエスの仲間だ」と言うと、ペテロは大慌てで「私はあの人を知りません」と答えます。別の男も「あなたも、
彼らの仲間だ」と追い打ちをかけますが、ペテロは重ねて否定し、さらに1時間後、また違う男が「確かにこの人も彼と一緒だった」と言うと、「あなたの言っていることは分からない」とペテロが3度目に否んだとたんに鶏が鳴きます。その瞬間、イエスが振り向いてペテロを見つめ、ペテロはイエスの予言が成就したことを悟ると、外に出ていって激しく泣きました(ルカ22・47〜62参照)。
この出来事は、ペテロにとっては人生最大の挫折であり、悲しみであったかもしれません。命に代えても従い通そうと決めていたイエスを、恐れのために目の前で裏切ってしまい、その後、イエスは無惨な死を遂げてしまったのです。
復活のイエスに出会ってから
死から3日目によみがえったイエスは、さまざまな人の前にさまざまな現れ方をしましたが、ペテロを含む何人かの弟子たちの前には、次のような現れ方をしました。
その日、ペテロは「私は漁に行く」と言い、他の弟子たちも同行しました。イエスに従う前は漁師だった彼は、イエス亡きあと、元の仕事に戻るよりほかに何をすればいいのかわからなかったのかもしれません。
しかし、その日は一晩中網を下ろしてみても何も取れませんでした。夜明けに、イエスが湖畔に現れ、船上のペテロたちに声をかけますが、彼らにはそれがイエスだとはわかりませんでした。しかしイエスが、「舟の右側に網をおろしなさい」と言い、彼らがそのとおりにすると、おびただしい魚のために網を引き上げられず、その瞬間、弟子たちは、岸辺に立っている人がイエスであることを悟りました。
裸で舟に乗っていたペテロは、大急ぎで上着をまとって湖に飛び込みました。「主の前に裸で立つわけにはいかない」と上着を着て、舟をこぐ間も惜しんで泳いでいくところがいかにも彼らしい行動です。他の弟子たちはもう少し冷静で、そのあとを追うように小舟で向かいました。
イエスは岸辺で彼らに食事をさせ、それが済むとペテロに向かって、「あなたは、この人たちが愛する以上に、わたしを愛していますか」と尋ね、ペテロが「はい、主よ。私があなたを愛していることは、あなたがご存じです」と答えると、「わたしの子羊を飼いなさい(信徒たちを導きなさい)」と命じました。イエスはペテロに「あなたはわたしを愛していますか」と、同じ質問を3度繰り返します。ペテロは心を痛めながらも「あなたは、私があなたを愛していることを知っておられます」と3度目の答えを返しました。
イエスはこのようにして、自分を3度否んだペテロに、自分を愛していると告白するチャンスを3度与え、自分の「羊」を彼に任せる、と宣言したのです。イエスの昇天後、聖霊を受けた弟子たちは、十字架の前の臆病だった彼らとは別人になったような力強さで、迫害も死も恐れず、イエスの福音を宣べ伝えていきますが、ペテロはその中でも常にリーダーとして務めを果たしていきました。彼の最期について、聖書にはその記述はありませんが、伝承によれば逆さ十字架につけられ、殉教の死を遂げたと言われています。