レハブアムとヤロブアム: 統一王国を分裂させた2人の王
10部族と共にエルサレムを去ったヤロブアムは、実はソロモンの存命中に、自分に10部族が与えられることについて神から、「わたしの道に歩み、わたしのしもべダビデが行ったように、わたしの掟と命令を守って、わたしの目にかなうことを行うなら、わたしはあなたとともにいて、わたしがダビデのために建てたように、確かな家をあなたのために建て、イスラエルをあなたに与える」(Ⅰ列王11・38)と言われていました。
今、そのことばどおり、ヤロブアムは10部族を治める王になったのですが、エルサレムを離れるやいなや、1つのことを心配し始めました。それは、エルサレムにはソロモンが建てた壮麗な神殿があるが、自分の新王国にはそれに代わるものがないということでした。もし民が、ささげ物をささげるためにエルサレムの神殿を訪れるようになると、国の威光を表すその神殿に引かれて、レハブアムの治める南王国に戻ってしまうのではないかということが怖かったのです。
そこでヤロブアムは、他国の宗教をまねて金の子牛像とそれを礼拝する場所を造り、「もうエルサレムに上る必要はない。イスラエルよ。ここに、あなたをエジプトから連れ上った、あなたの神々がおられる」(同12・28)と言いました。これは神の目から見ると、最悪の罪でした。このようにして、北イスラエル王国は最初の一歩からつまずき、その後の約210年間、ヤロブアムに続き18人の王が即位しましたが、過ちが修正されることはありませんでした。
北イスラエル王国の最後は、敵国アッシリアによってもたらされました。首都サマリアは陥落し、民は捕囚として連れていかれ、残った民も散り散りになってしまったのです。
一方、南王国も、ソロモンの神殿で宗教的な儀式を行いながら、同時に異国の宗教の像や礼拝所も造り、偶像礼拝を行っていました。レハブアム王の母も、イスラエルの律法では交流を禁じられていたアンモン人でしたから、レハブアムがその影響を受けるのも自然なことだったかもしれません。異国人と共にソロモンが招き入れた異国の宗教崇拝という習慣は、しっかりと受け継がれていたのです。
南ユダ王国は、レハブアムの後に19人の王が即位し345年間続きました。北王国に比べれば、多少は良心的な王がいたり、レハブアムから数えて16代目に、神を恐れて宗教改革を行ったヨシヤ王という名君が出たりしましたが、ヨシヤが亡くなるとすぐにまた偶像礼拝に戻り、最後はバビロンに滅ぼされ、ソロモンが建てた神殿は破壊され、民は捕囚として引かれていきました。