初代教会の育ての親・パウロ

カラヴァッジオ「天からの光に照らされ、回心するパウロ」パウロは、キリスト教会草創期の最も有名な伝道者のひとりです。しかし、そうなる前は、クリスチャンの恐ろしい敵であり、迫害者でした。
熱心なユダヤ教徒のエリートであった彼は、イエス・キリストのことを自分たちが待ち望んでいたメシヤ(救い主)の名をかたる冒涜者だと思い、そんなイエスを神だと信じるクリスチャンたちを根絶することが自分の使命だと信じていたのです。
パウロは「教会を荒らし、家々に入って、男も女も引きずり出し、次々に牢に入れた」《使徒8・3》りしていました。ところが、「なおも主の弟子たちに対する脅かしと殺害の意に燃えて」《使徒9・1》ダマスコに向かう途上で、突然天からの光に照らされ、不思議な声を聞きます。その声はパウロに「なぜわたしを迫害するのか」と語りかけ、「あなたはどなたですか」と問い返すパウロに「わたしは、あなたが迫害しているイエスである」と答えました。
この出来事を通して、「イエスはメシヤをかたっていた者ではなく、メシヤだったのだ」と悟ったパウロは、180度の方向転換をして伝道者になります。それはユダヤ人たちからすれば大変な裏切りだったので、暗殺されそうになったり、投獄されたり、それに加えて伝道旅行に伴う危険にさらされたり、パウロのその後の人生は苦難に満ちたものでした。
それでもパウロは3回の伝道旅行をしながら各地に教会を建て上げ、キリストの教えを説き、信徒たちを叱咤激励し、また他の使徒たちと話し合いながら教義を整えていきました。
それは、旧約聖書に精通し、その後キリストに出会ったパウロだからこそできたことでした。「ユダヤ人以外の者がクリスチャンになったとき、ユダヤ人のしきたりをどこまで信仰の条件とするべきか、キリストが人間の罪をすべて引き受けて十字架にかかった後、律法についてどう考えるべきか」といった、新約時代に出てきた問題を整理し、明確な言葉にしていったのです。
パウロはそういったことを諸教会に宛てた数々の手紙の中に書いており、それらは「パウロ書簡」と呼ばれています。パウロ書簡は新約聖書に収められ、現代のクリスチャンにとっても、キリストの教えを理解するための重要な指針となっています。
キリストを伝えるために「むち打たれたことは数えきれず、……石で打たれたことが一度、難船したことが三度あり、一昼夜、海上を漂ったこともあります。幾度も旅をし、川の難、盗賊の難、同国民から受ける難、異邦人から受ける難、都市の難、荒野の難、海上の難、にせ兄弟の難に会い、労し苦しみ、たびたび眠られぬ夜を過ごし、飢え渇き、しばしば食べ物もなく、寒さに凍え、裸でいたこともありました」《Ⅱコリント11・23〜27》と語ったパウロは、これらの苦難をもたらした3度の伝道旅行の後、晩年はローマで2年間軟禁状態に置かれ、最期はローマ皇帝ネロの迫害のもと、殉教したと言われています。
けれども、その軟禁状態の中でもパウロは4通の獄中書簡を書き、最後に書いた《ピリピ人への手紙》では「私にとっては、生きることはキリスト、死ぬことも益です」《1・21》と語っています。

聖書ガイドMOOK リアル聖書入門 第二部 64-65頁より

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