聖書に書き残された奇蹟

Alessandro Magnasco (Italian, 1667 - 1749 ), Christ at the Sea of Galilee, c. 1740, oil on canvas, Samuel H. Kress Collection

聖書には多くの奇跡が記されています。ここでそのすべてを紹介することはできませんが、旧約聖書、新約聖書からそれぞれ代表的なものをいくつか見ていきましょう。
旧約聖書に記されている奇跡の中で最も有名なものは、チャールトン・ヘストン主演の映画『十戒』でも描かれたモーセが海を2つに割る奇跡でしょう。これは、奇跡に次ぐ奇跡の中で行われたエジプト脱出劇のクライマックス・シーンでした。
奴隷として使っていたイスラエルの民を解放することになかなか同意しないエジプト王をねじ伏せ、イスラエルをエジプトから連れ出すために、神はエジプトに10の災いを与えます。
エジプト全土の水が血に変わる、大量のカエルが発生する、大量のぶよが発生する、大量のあぶが発生する、疫病によってエジプト人の家畜が死ぬ、エジプト人と獣にうみの出る腫物ができる、激しい雹が降る、大量のいなごが発生する、全地が闇に閉ざされるなどの9つの災いの後にもたらされた最後の災いは、エジプトの初子は人間も家畜もすべて一夜のうちに殺されるけれども、かもいと門柱に血でしるしをつけたイスラエルの家では神がそこを過ぎ越すために初子も無事であるという恐ろしい奇跡でした。
これが決め手となってエジプトの王はイスラエルの民を去らせる決意をします。ユダヤ人は今でもこの奇跡を記念して毎年「過越の祭り」を行います。
イスラエルの民が逃げていくのを見て心変わりをしたエジプト王は、軍隊に跡を追わせます。そして、目の前の紅海と後ろから迫り来る軍隊に挟まれたイスラエルの民の目の前で繰り広げられたのが、先述のモーセが海を割って民を渡らせる奇跡だったのです。神はその後、昼は雲の柱、夜は火の柱となって民を導きました。これもまた超自然的な現象、すなわち奇跡です《出エジプト記5〜13章》。
また、旧約聖書には他宗教との対決のための奇跡についても記されています。バアルというカナン地方の偶像神の預言者450人を相手に、イスラエルの神の預言者エリヤがたったひとりで戦いを挑んだ際に、エリヤは相手方と自分でそれぞれ1頭の雄牛を切り裂いて祭壇のたきぎの上に載せ、お互いに自分の神を呼び、火をもって答える神こそ本当の神としよう、と挑みます。
まずはバアルの預言者たちから祈り始めますが、何も起こらないのを見てエリヤは「もっと大きな声で呼んでみよ。彼は神なのだから。きっと何かに没頭しているか、席を外しているか、旅に出ているのだろう。もしかすると、寝ているのかもしれないから、起こしたらよかろう」《Ⅰ列王記18・27》とあざけります。
次にエリヤの番になると、エリヤは雄牛を置いた祭壇の周りに溝を掘らせて水を注ぐというハンデをつけたうえで、神に「あなたこそ、主よ、神であり、あなたが彼らの心を翻してくださることを知るようにしてください」《Ⅰ列王記18・37》と祈ります。すると、神の火が降ってきて、祭壇ごと雄牛を焼き尽くし、溝の水もなめ尽くしました。
預言者としての働きを終えたエリヤの去り方もまた、奇跡でした。後継者であるエリシャと話しながら歩いていると、1台の火の戦車と火の馬が現れてエリヤとエリシャの間に入り、エリヤは竜巻に乗って天へ上って行きました。50人の預言者たちが、エリシャが止めるのも振り切ってエリヤを探しに行きますが、ついに見つけることはできませんでした。
新約聖書に記されているいちばん最初の、そしていちばんすばらしい奇跡は、処女であるマリヤが身ごもったことです。そして、神でありながら人としてこの世に生まれてきたイエスも数多くの奇跡を起こしました。
イエスが行った最初の奇跡は「カナの婚礼」と呼ばれるもので、ある婚礼でぶどう酒が足りなくなったとき、イエスが水をぶどう酒に変えた奇跡です。イエスはこれを自分が神であることを示す最初のしるしとして行い、弟子たちはそれを信じました《ヨハネ2・1〜11》。
カナの婚礼の奇跡を皮切りに、イエスは地上における3年の公生涯の中で、盲人の目を開け、不治の病を癒やし、死人をよみがえらせることさえしました。
5つのパンと2匹の魚で、群衆を満腹にした奇跡も有名です。イエスの話を聞くために男だけで5000人にもなる群衆が集まってきましたが、日が暮れてきたとき、その場にあった食物は5つのパンと2匹の魚だけでした。しかしイエスがそれを手にして祝福し、弟子たちに配らせると全員が満腹になったばかりか、12かご分のパンが余ったのです《マタイ14・15〜21、他》。
その一方でイエスは、荒野で空腹でいるとき、サタン(悪魔)に「あなたが神の子なら、この石がパンになるように、命じなさい」《マタイ4・3》と誘惑されますが、「人はパンだけで生きるのではなく、神の口から出る一つ一つのことばによる」《マタイ4・4》という有名な言葉で、これを退けています。
イエスが十字架で死に、3日目によみがえって昇天した後も奇跡は続きます。イエスの弟子のペテロとヨハネは、生まれつき足が不自由だった男に施しを求められると「金銀は私にはない。しかし、私にあるものを上げよう。ナザレのイエス・キリストの名によって、歩きなさい」《使徒3・6》といって男の足を治してやりました。
このペテロは以前、湖の上を歩くイエスを見て「主よ……私に、水の上を歩いてここまで来い、とお命じになってください」《マタイ14・28》と志願し、イエスの「来なさい」という言葉に従って水の上を歩くという奇跡を体験しながら、途中で怖くなり、沈みかけたことがありました。
しかし、イエスの昇天後は別人のように強い信仰者になり、イエスのことを話したために逮捕され、これ以上話してはいけないと脅されても「自分の見たこと、また聞いたことを、話さないわけにはいきません」とはねつけるまでになりました。そして、天使がペテロの牢の戸を開いて連れ出すと、ペテロは外に出るや否や、再びイエスについて語り始めたのです。ペテロのこの変貌ぶりも、また1つの奇跡といえるのではないでしょうか。

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