ハワイからの手紙 やさしい風に吹かれて-6 静かな午後のひととき
ホノルルから飛行機で約45分、毎年ハワイ島コナに出かけるのが夏の恒例行事となりつつあります。今年で19回目となる「UCCコーヒー・コナ・マラソン」に私は三度目の出場となりました。毎年さまざまなドラマが生まれています。
そのコナ・マラソンを終えて、私はレンタカーを使い同僚とドライブへ出かけました。フアラライロードから180号線に入ってドライブすること15分。フアラライ山の中腹に位置する、景色が抜群のホルアロア村を訪れました。ホルアロア村は約100年前、コーヒーを栽培する日系移民によって建てられた村です。今は当時の古い建物を生かしてギャラリーやショップなどを営んでいます。そこはハワイの歴史や文化をほのかに感じさせてくれる、不思議な空間を持つ所です。私はまるでタイムカプセルに乗って、別の時代の時空に置かれたような思いとなりました。
ノスタルジックな気分に浸る。けれども、どこか懐かしいような、切ないような感じを受けました。そこで車を停め、1926年に稲葉ゲンタロウさんが創業したという「イナバ‘ズ コナホテル」に入りました。そこにはホテルの歴史を記した資料が展示されていました。創業者の奥様で日系二世の稲葉やよさんが椅子に腰掛け、古き良き時代のことを私たちに話してくれたのです。そのお話を聞きながら私は海を眺めていました。ご夫人の心の旅路に触れるなか、自然に私も自らの心の旅路に思いが向いていったのでした。
実は私の父は、私が5歳の時に家を出てしまいました。母はそれ以来、祖母と姉と私の三人を守り、愛情を注いで育ててくれました。女系家庭でしたが、明るくて元気な子供時代を過ごすことができました。しかし、普通の家庭とは少し違うことが嬉しいという思いと、また普通の家庭に憧れるという思い、その両方が私の内にありました。そして二十歳の頃、自分のルーツが知りたくなり父の消息を探したのです。そこで訪れた所が海を見渡せる場所でした。そことホルアロア村から見渡せた海がとても良く似ていたのです。
その場所に到達した時、私の気持ちは落ち着き、父の消息を探すことを止めました。母はよく、「寛子、パパはね。レコードの値段がまだ高い時代に、賛美歌のレコードを買ってきて、あなたたちに聞かせていたのよ」と語っていました。神さまは幼い時から父の存在を通して、私に語りかけてくれていたのです。その事を思い出し、私の心は感謝で満たされ、優しい気持ちに覆われました。
「 ですから、私たちは勇気を失いません。たとい私たちの外なる人は衰えても、内なる人は日々新たにされています。… 私たちは、見えるものにではなく、見えないものにこそ目を留めます。見えるものは一時的であり、見えないものはいつまでも続くからです。」(第二コリント4:16,18)
常に時は流れ、形あるものは古くなっていきます。しかし、私たちは神さまによって日々新しくされていきます。ハワイ島ホルアロア村の静かな午後のひととき、神さまは優しく私の心を慰めてくれました。海のかなたにある父への思いと、そのすべてを覆う神さまのご愛によって。
飯島寛子(いいじま・ひろこ)
世界の第一線で活躍したプロ・ウィンドサーファー飯島夏樹さんと結婚。4 人の子ど もを授かったが、夫は肝臓ガンのため2005 年に召天。 夏樹さんが病床で書き遺した『天国で君に逢えたら』(新潮社)など3 冊の著 書は大きな反響を呼び、映画化された。寛子さんも、自身と家族の“それから” を『Life パパは心の中にいる』(同)に綴っている。現在ハワイで、愛する人 を亡くした方をサポートする自助グループのNPO 法人HUG Hawaii や、 ハワイ散骨クルーズBlue Heaven, Inc. の働きに携わる一方、エッセイスト、 ラジオのDJ として活躍。 担当番組「Wiki Wiki Hawaii」が、毎週日曜日の 朝5時からインターFM で放送されている。マキキ聖城キリスト教会会員。