アブラハム:“信仰の人” その試練と祝福の人生

ノアの3人の息子たちの子孫がどのように増え広がっていったかが記されている創世記11章は、セムの子孫であるテラが、カルデア人の領土ウルから息子のアブラムを伴ってカナンの地を目指すものの、その途上にあるにあるハランに住みつき、そこで死んだというところで終わっています。
次の12章からは、テラの息子アブラム(のちに神にアブラハムと改名されるので、本書でも以降、アブラハムで統一する)の長い物語が始まりますが、実はこのアブラハムこそ、イスラエル民族の父祖と呼ばれる人なのです。
アブラハムの物語は、「主はアブラム(アブラハム)に言われた。『あなたは、あなたの土地、あなたの親族、あなたの父の家を離れて、わたしが示す地へ行きなさい。そうすれば、わたしはあなたを大いなる国民とし、あなたを祝福し、あなたの名を大いなるものとする。……地のすべての部族は、あなたによって祝福される』」(創世記12・1〜3)という、神からの呼びかけによって始まります。
アブラハムはこのとき、75歳でした。決して若くはなく、また、「わたしが示す地へ行きなさい」という神のことばは、つかみどころがないとさえ言えそうなものでしたが、アブラハムは「そうすればあなたを祝福する」という神の約束を信じて旅立ちました。聖書はこの行為を、「アブラハムは神を信じた。それで、それが彼の義と認められた」(ローマ4・3)と評価しています。

“約束の地”カナンへ

アブラハムは、彼の亡き父が当初目指していたカナンの地に向けて出発しました。カナンまで来るとそこにはカナン人が住んでいましたが、神は「あなたの子孫に、わたしはこの地を与える」と言いました。アブラハムはそれを記念してそこに祭壇を築きました。これは、そこで祈りをささげるため、また、神の祝福の約束を思い出すためのものです。
アブラハムはその後、なおもネゲブのほうに旅を続けますが、その土地にひどい飢饉があったので、エジプトに向かうことにしました。しかし、エジプトに入るに際し、アブラハムには1つの恐れがありました。それは自分の10歳年下の妻サライ(のちに神にサラと改名されるので、本書でも以降、サラで統一)が美しかったので、エジプトの支配者が自分を殺して彼女を奪おうとするのではないかという不安です。そのため、アブラハムは妻に向かって、「私の妹だと言ってほしい。そうすれば、あなたのゆえに事がうまく運び、あなたのおかげで私は生き延びられるだろう」(創世記12・13)と頼みます。
神の約束を信じて、行き先も知らずに故郷を旅立つほどの信仰と勇気のあったアブラハムが、目前の具体的な不安材料に対しては非常に憶病になり、神を頼ることもなく、相談すらすることもなく、策をろうして保身に走る姿は一貫性がなく、情けないようですが、聖書はこのような人間の現実の姿をそのまま記しています。
エジプトに入ると、アブラハムのもくろみどおり、エジプト人たちは美しい「独身の」サラをファラオ(王)に勧め、宮廷に召し入れ、アブラハムには羊、牛、ろば、奴隷などを与えます。しかし、神がエジプトの王家に災害をもたらして、サラがアブラハムの妻であることを告げてサラを守ったので、アブラハムとサラはたくさんの贈り物と一緒にエジプトを追い出されました。
アブラハムとサラ、それに旅の初めからの同伴者であるアブラハムの甥のロトは再びネゲブを目指します。アブラハムとロトは非常に多くの家畜を所有していたため、やがて牧草などをめぐってそれぞれの使用人の間でもめごとが起こるようになりました。そこでアブラハムはロトにここで別れることを提案し、先に好きな行き先を選ぶようにと告げます。
ロトは遠慮なく土地の潤っているソドムを選んで去っていきました。
こうしてロトと別れて旅を続けようとするアブラハムに、神は再び現れて、「わたしは、あなたが見渡しているこの地をすべて、あなたに、そしてあなたの子孫に永久に与える」(創世記13・15)と改めて約束します。アブラハムはヘブロンという地に来てそこに住み、年月は流れていきました。

 

“契約の子”イサクの誕生
ところで、「見渡す限りの地を全部、あなたとあなたの子孫に与える」という神の約束をそのまま信じて待ち望んでいたアブラハムですが、実はその実現を妨げる大きな障壁がありました。アブラハムとサラには子どもがいなかったという事実です。
最初に神の約束を聞いたとき、「子どもがいない私の子孫とはどういうことですか」と言わなかったアブラハムの信仰は大したものですが、さすがに何年たっても子どもが生まれないまま、再び神が現れて「あなたの受ける報いは非常に大きい」と告げたときは、「私には子がありません。あなたが子孫を私に下さらないので、私の家の奴隷が私の跡取りになるでしょう」と疑問と不安を口にします。神はそんなアブラハムに「あなた自身から生まれ出てくる者が、あなたの跡を継がなければならない」と明言して、改めて固い約束を交わします(創世記15・1〜6参照)。
しかし、最初の約束から10年がたつ頃、アブラハムと一緒に神の約束を待ち望んでいたサラに、ついに限界が訪れます。彼女は、このまま何もせずに約束を待っていてもらちがあかないと判断したのでしょう。自分の女奴隷ハガルをアブラハムに与えて子をもうけようとします。これは当時の慣習から言えば特別非常識なことではありませんでしたが、神の約束したことではありませんでした。しかし、アブラハムもその提案を受け入れ、ハガルはアブラハムの子を産みます。
ところが、実際にハガルに子が生まれるとハガルは思い上がり、サラは嫉妬に駆られてハガルをいじめ抜き、ハガルは子どもを連れて逃げ出さざるをえなくなるほどでした。結局、神の御使い(天使)の介入により、ハガル親子はこのときは主人のもとに帰りますが、ハガルが生んだイシュマエルはのちにも争いの火種となり、サラの思いつきが浅知恵であったことを証明する結果となります。
そのような事件を経て、月日はさらに流れ、アブラハムが100歳になったとき、90歳のサラはついに男の子を産みます。月経も止まっていたとの記述がありますから、これは超自然的な、神が起こした奇跡でした。生まれた子はイサクと名づけられます。

イサクをささげる信仰
75歳で神から約束を与えられ、その25年後にようやくサラが男の子を産んだとき、アブラハムとサラは本当に幸せだったことでしょう。しかし、さらに年月が流れ、イサクが少年になる頃、「神がアブラハムを試練にあわせられた」(創世記22・1)と聖書は記しています。それは、想像を絶するような試練でした。25年もの間、さまざまな失敗を犯しつつもひたすら待ち望んでいた神の約束の成就であるイサクを、全焼のささげ物としてささげよ、と神に告げられたのです。
全焼のささげ物とは、動物(通常は、雄牛、子羊かやぎ、あるいは鳩など)を焼き尽くし、その煙を神のもとに立ち昇らせてささげる、罪を赦されるためのささげ物です。イサクをそのささげ物にしろということは、当然のことながら、彼を殺してから焼き尽くすようにということです。耳を疑うような命令でしたが、驚くことに、アブラハムの応答は迅速でした。「翌朝早く、アブラハムはろばに鞍をつけ、二人の若い者と一緒に息子イサクを連れて行った」(創世記22・3)とあります。
せっかく与えられた息子を殺してしまっては、「あなたの子孫にこの地を与える」という約束は無に帰してしまいます。アブラハムには神の命令の意図はまったくわからなかったに違いありません。しかし彼は、自分にはわからなくても神には考えがあり、その考えは正しい、と信じたのです。訳もわからずに連れ出された息子イサクが「火と薪はありますが、全焼のささげ物にする羊は、どこにいるのですか」(創世記22・7)と尋ねたときに、「神ご自身が、全焼のささげ物の羊を備えてくださるのだ」(同8節)と返したその答えの中に、アブラハムの信仰が見てとれます。
これはイサクをだますためのうそではなく、「方法はわからないが神が必ず正しいことをしてくださる」という彼自身の信仰から出たことばだったことでしょう。その信仰は、アブラハムとイサクがいよいよ目的地のモリヤ山に着き、アブラハムがイサクに向かって刀を振り下ろそうとするその瞬間まで揺らぐことはありませんでした。
そしてまさにその瞬間、神の御使い(天使)がアブラハムを止め、「その子に手を下してはならない。……あなたは、自分の子、自分のひとり子さえ惜しむことがなかった」(同12節)という神のことばが告げられます。そして、そばのやぶに角を引っかけている1頭の雄羊がアブラハムの目に入りました。「神ご自身が全焼のささげ物の羊を備えてくださる」と言った彼のことばが現実のものとなったのです。
のちに、新約聖書はこの出来事を、「信仰によって、アブラハムは試みを受けたときにイサクを献げました。……彼は、神には人を死者の中からよみがえらせることもできると考えました。それで彼は、比喩的に言えば、イサクを死者の中から取り戻したのです」(ヘブル11・17〜19)と解説しています。
この出来事の後、サラは127歳、アブラハムは175歳まで生きて、その生涯を閉じました。

 

エジプトのピラミッドとアブラム

アブラハムが生きた時代は、BC2100年頃から1900年頃と考えられています。当時のエジプトは、中王国時代(BC2135年頃~1800年頃)になります。
ピラミッドはエジプトを象徴する王家の墓所ですが、最古の階段ピラミッドはBC2700年頃(古王国時代)に首都メンフィス(現在のカイロ市の南方27キロのナイル川西岸)に建造されたものといわれます。中王国時代の都は上エジプトのテーベ(地中海から約800キロ南方のナイル川東岸)に移りますが、この時代までには屈折ピラミッドや四角錐ピラミッドなど形も大きさも多彩なものが建造されています。アブラハム、孫ヤコブとその子どもたちも、これらピラミッドの傍を旅しエジプトの大都市の繁栄を目にしたことでしょう。
右の写真は、現在のカイロから約20km西南のギザ台地に立つ3大ピラミッド群(世界遺産)。右奥からクフ王(高さ約140m)、中央カフラー王(高さ約136m)、左手前メンカウラー王(高さ約65m)のもの。

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