古代日本とヘブライ文化
「日ユ同祖論」という言葉をご存じですか? アッシリアやバビロニアの捕囚となって自国から連れ去られ、その後世界中に散らされたユダヤ人が日本にまで流れ着き、日本人の先祖となったのではないか、という説です。
これは、古代から伝わるユダヤ人の文化と日本の文化の中に、数々の類似点が見られるものがあるというところから生まれた仮説であり、その真偽のほどは確かではありません。
また、仮にその説が正しいとしても、それで聖書への理解が進むということでもありませんが、両国の文化に多くの類似点があることは事実ですので、ここでは単に、不思議な現象への興味として、その類似点をいくつか挙げて見ていきましょう。
神殿と神社 古代ユダヤ人は、幕屋と呼ばれる移動式テントを持ち運び、行く先々でそれを設置して神を礼拝する場所を作っていました。その幕屋の構造と、一般的な神社の基本的構造は、至聖所・聖所と本殿・拝殿、洗盤と手水舎のように非常に似ています。また、神社の入り口に立つ赤い鳥居は、出エジプト記の中でユダヤ人がかもいと2本の門柱に血を塗りつけた形に似ているといわれます。
契約の箱と神輿 神はユダヤ人に、形状から大きさ、装飾に至るまで細かい指示を与えて「契約の箱」を作らせました。ユダヤ人が移動するたびに持ち運べるようにデザインされているその箱は、図で見てわかるように、神輿によく似たものでした。
ヒラクティリーと兜巾 神がユダヤ人をエジプトから連れ出して救ったことを常に覚えているように、これを「手の上のしるしとし、また、あなたの額の上の記章としなさい」《出エジプト13・16》という教えを文字どおり守るため、ユダヤ人は額の上に、ヒラクティリーと呼ばれる小箱をつけて祈ります。これは、山伏がつける兜巾に酷似しています。同様に、ユダヤ人はショーファーという角笛を、山伏はほら貝を吹くところもそっくりです。
理由は定かではありませんが、このような類似点があることは、興味深い事実ではあります。
聖書ガイドMOOK リアル聖書入門 第一部 30-31頁より