聖書の世界に生きた人々31 中風の人の四人の友−そこに美しい友情の世界が− マルコの福音書2章1〜12節

なぜか懐かしさにも似たある種のノスタルジー(郷愁)を感じる聖書物語があります。と言っても私の心に映る風景ですから、主観の域を出ないのですが。それは中風の患者の癒しの物語です。「どうして、そこにノスタルジーを?」と言われそうですが、そこに一人の友の救いのために四人の友が必死になっている「友情」の世界を垣間見るからです。真の友が一人もいないという人も珍しくない現代人の孤独にふれるたびに、そう思うのです。
 話はイエスがカペナウムの「家におられることが知れ渡った」時のことです。その「友情」とも言うべき出来事は、人々が殺到し、戸口まで隙間のないほどだったという尋常でない状況の中で起こりました。一人の中風の人が四人の友に担がれてイエスの所につれて来られたのです。もちろん病気を治してもらいたいとの願いをもってです。
 ところが溢れる群衆のため家の中には入れなかった。そこで、屋根をはがし、寝床をイエスの前につり降ろしたというのです。当時のパレスチナの屋根の構造は簡素なものとはいえ、ここまでするのは一人や二人でできないことです。普通なら断念して引き返してしまうのではないでしょうか。
 しかしイエスはこの障害を乗り越えて友人を救おうとする「彼らの信仰」(5節)を見て、中風の人に「子よ。あなたの罪は赦されました」と語られたのです。病気や不幸は罪の結果であると信じ込んでいた当時の人々にとって、罪の赦しの宣言は病の癒しの宣言より強いインパクトを持つものでした。
 イエスはこれを見ていた律法学者たちが、「神おひとりのほか、だれが罪を赦すことができよう」と批判的に考えているのを見抜き、ご自分が罪を赦す権威を持っていることを証明するために「起きなさい。寝床をたたんで、家に帰りなさい」と言って彼の病を癒されたのです。
  さて、この罪の赦しを巡る議論は物語の中心ではあるのですが、ここではこの四人の友人のことを考えてみたいのです。彼らがこの中風の人とどんな関係だったか分かりませんが、一人の友のために屋根をはがし寝床をつり降ろすという行動に感動を覚えない人はいないでしょう。そこに美しい友情の世界を見るのです。
 最初にある種のノスタルジーと言ったのは、現代はそのような友情の世界がそれほど見られない感じがするからです。少なくとも私の若い頃よりも人間関係そのものが希薄になり、仕事や趣味や奉仕活動など、何かを一緒に協力してやることはあっても、それが終われば個人の世界に戻り、それほど繋がらないような時代です。孤独な世界が蔓延し、一緒に「事」はできても、一緒に「人」に向き合うというような連帯性や親密性を持つことは難しい時代なのではないでしょうか。ですから繋がり・絆という言葉が溢れているのです。 
 こんな文章に出合いました。「この中風の男性には、いい友人がいた。……本気で彼のことを思い、いたわり、慰め、何とか治してやれないものかと日夜心を砕いている友人がいた。人は自分が生きるのに精いっぱいであって、友だちの病気を気の毒に思って、一、二度は見舞いに行くことはしても日夜、友人のために祈り心を砕くことは、なかなかできはしない」(小塩 節著『ガリラヤ湖畔の人びと』)
 確かにそうなのです。「本気で彼のことを思い」とはなかなかいかないものです。もっとも所詮、人間はそんなものだと思ってしまえば諦めがつくかもしれません。しかし、それでは真に人間らしく生きていくことはできないのです。たとえ難しくても、一緒に「屋根をはがし、寝床をつり降ろす」ような努力が必要なのではないでしょうか。こんな時代だからこそです。


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