ハワイからの手紙 やさしい風に吹かれて-35 平和の思いを込めた長岡花火

平和ほどすべての人間から求められながら、実現することが難しいものと言われるものはありません。人間は平和協定を結んでも、多額の和解金を支払っても、争いをやめることがありません。これが神さまから離れた人間の罪の姿である、というメッセージをしばしば耳にします。しかしそれは決して他人事ではないと正直に私も思っています。

もう昔の話になりますが、私もつまらないことで亡き夫と夫婦関係が壊れそうなほどの危機に直面したことがありました。発端は時間感覚の違いでした。夏樹はほとんど友人と一緒に時間を過ごすことはなく、家で読書しているのが大好きな人で、仕事以外は家にいて自分の世界に入り込むタイプの人でした。会社を経営していましたが、それは自営業に近い自由業。朝五時起床、聖書と祈りの時、次にお決まりの体操をしてから私を起こします。朝食は七時でお風呂は夕方五時。夕飯は六時、そして九時には就寝。その後、家族は電気をつけてはいけなない、音もたててもいけないという決まりでした。いわゆる神経質な人であったのです。

それとは対照的に私は時間にどちらかと言うとルーズなタイプ。外出すると、出かけた先でハプニングがあると予定も変更してかならず時間がずれ込んでしまう。そのような時間感覚の食い違いが夫との間にありました。何度も彼に怒られるうちに私も嫌になってきて、突然夫に対する愛情が冷め、音をたてて崩れたのです。愛していた夫がいきなり鬱陶しくなったのです。その感情の変化に私自身も驚きました。しかしその時に静まって、私は神さまに三日間お祈りをしました。その間は腹がたち、口もきかず、顔も見ない、いわゆる戦争状態であったのです。しかし、三日の後、神さまがお祈りの応えてくださり、心の中に赦しの思いを注いでくださいました。これは貴重な恵みの経験でした。

「あなたがわたしの命令に耳を傾けさえすれば、あなたのしあわせは川のように、あなたの正義は海の波のようになるであろうに。」(イザヤ書四十八章十八節)

今年は第二次世界大戦終結から七〇年目を迎えます。その始まりとなったハワイ真珠湾攻撃を指揮したのは新潟県長岡市出身の連合艦隊司令長官・山本五十六氏でした。そして、一九四五年八月一日に彼の故郷・長岡市はアメリカ軍の空襲を受けました。ホノルルと長岡の二つの街にはそんな遺恨の過去があるのです。そのような悲しい過去をもつ両市が戦争の悲劇を乗り越え、世界の平和を願い強い絆を結び、ニ〇一二年に姉妹都市となりました。悲しみも喜びに変えられる奇跡がここにもあるのです。

今年三月で第ニ一回目を迎える環太平洋の文化交流イベント「ホノルル•フェスティバル」が行われます。三年前からそのフェスティバルのフィナーレをあの豪華な長岡花火が飾っています。今年は八月にも真珠湾(パールハーバー)に、平和と戦没者への思いを込めた「献花」の意味合いがある【白菊花火】が大きくあがります。真の平和はひとりひとりの心の中から、そして神からはじまることを願って、私も祈りをささげます。

 

 

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