ハワイからの手紙 やさしい風に吹かれて-8 我が家のクリスマス
我が家のクリスマスの恒例行事と言えば、ホノルルのシンボルと言われているダイアモンドヘッドを登ることです。この日だけは寝坊助の子供たちも暗い内に起き、クリスマス・ツリーの下に置いてあるプレゼントを開けてから、朝六時に出かけます。クリスマスの朝、ハワイの日の出は七時六分頃。それを見にいくために、舗装された暗い道を、懐中電灯を手に歩いていくのです。この山頂まで約三〇分の登山歩行が、私にとって心静まる恵みの時なのです。
多くの観光客やローカルの方々が山頂を目指すなか、私たちは教会の方々と共に「もろびとこぞりて」などクリスマス・キャロルを賛美します。そして、東のハワイカイ方面から日の出が出る瞬間、歓声が湧きあがるのです。その光が差し込んでくる瞬間、まさに希望の光として、私たちを救うためにお生まれになったイエスキリストの誕生の喜びを、全地が歌いだしているような感動を受けるのです。
「恐れることはありません。今、私はこの民全体のためのすばらしい喜びを知らせに来たのです。きょうダビデの町で、あなたがたのために、救い主がお生まれになりました。この方こそ主キリストです。」(ルカ二章十~十一節)
ここハワイで迎えるクリスマスは、家族と過ごすのが一般的です。観光客で賑わうワイキキを除いては日本のお正月のような雰囲気で、二五日は休業しているところが多いのです。我が家はクリスマス・イブ礼拝に出て、チキンやターキーなどのアメリカの伝統料理を頂きます。そして、みんなで本当のクリスマスの意味を考えながら、静まる時を持つように心がけています。
昨年、私は「Rainbow for Japan Kids」と呼ぶプロジェクトのボランティアに子供たちと参加しました。このプロジェクトは、東日本大震災で被災した子供たちをここハワイにお招きするものです。そして、この地の自然や文化などに触れて、地元の子供たちと交流することで夢や希望を持ち、未来に向かって力強く歩いて行ってもらいたい。その願いから始まったものです(http://www.jashawaii.org/jpnaid3.asp)。
このプロジェクトに参加した子が、この東日本大震災で学んだことが二つあると言っていました。「…それは『津波の恐ろしさ』と『命の大切さ』。津波はすべてのものを流してしまった、自然は何でも変えてしまう。そして、自分も命をなくすところだった。…生き残った人はまだ再生しようとしている。人の命にはすごい力があるんだ。命があればなんだってできる。だから命を守ってほしい」と語っていました。そう語った彼は十三才。母を亡くした彼の目には、力強く生きようという覚悟が見えました。希望がある時人は生き続けることができる。私もそうでした。暗いトンネルの中に陥っていた頃の私にも、遠い先に見える光があったから、前に進むことができました。私たちには、真の希望の光、イエスキリストが必要なのです。
「この方にいのちがあった。このいのちは人の光であった。光ややみの中に輝いている。やみはこれに打ち勝たなかった。」(ヨハネ一章四~五節)
飯島寛子(いいじま・ひろこ)
世界の第一線で活躍したプロ・ウィンドサーファー飯島夏樹さんと結婚。4 人の子ど もを授かったが、夫は肝臓ガンのため2005 年に召天。 夏樹さんが病床で書き遺した『天国で君に逢えたら』(新潮社)など3 冊の著 書は大きな反響を呼び、映画化された。寛子さんも、自身と家族の“それから” を『Life パパは心の中にいる』(同)に綴っている。現在ハワイで、愛する人 を亡くした方をサポートする自助グループのNPO 法人HUG Hawaii や、 ハワイ散骨クルーズBlue Heaven, Inc. の働きに携わる一方、エッセイスト、 ラジオのDJ として活躍。 担当番組「Wiki Wiki Hawaii」が、毎週日曜日の 朝5時からインターFM で放送されている。マキキ聖城キリスト教会会員。