聖書の世界に生きた人々27 ルカ−寄り添う伴侶のモデル− ルカの福音書1章1〜4節
知られているようでよく知られていない人、近いようで遠くにいるように感じられる人がいます。けれどもよくよく考えてみれば、凄い人だと感動させられる人がいます。新約聖書の『ルカの福音書』の著者ルカはそんな感じがしてなりません。その名は、それこそよく「知られている」のです。
ちなみに彼は医者であったことからキリスト教圏では、この名は病院の名前によく使われ、日本では聖路加国際病院がその実績とともに広く知られています。「ルカ」が漢字表記で「路加」となっているものの世に知られていることは確かです。聖書を読んだことのある人であれば、イエスの昇天後、ルカが弟子たちの言行録である『使徒の働き』の著者であることを知っています。その執筆量は福音書を加えますと五二章に及ぶのです。これは凄い。
このように彼はキリストの生涯とその後の歴史を書き著し、その業績は大きく、「医者ルカ」としても知られてはいるのですが、その人間像はあまり伝わってはこないのです。いくら彼が文筆家であり歴史家であると言われてもそれは客観的な情報であって、彼自身がどんな人であったかは分かりにくいのです。そんな印象を持っている人が多いのではないでしょうか。
ところがルカについては、少し注意深く調べてみますと、その人間性が浮かび上がってきます。パウロが彼のことを書簡において「愛する医者ルカ」とか「同労者」と呼んでいることや、第二伝道旅行以降、ルカは大体においてパウロに同行・同伴していることに尊い隠れた役割を見るのです。それを裏付ける「私たちは」という言葉が『使徒の働き』一六章10節以降に幾度も出て来ており、調べていくとパウロが晩年囚われの身でローマにいた時も一緒だったということが分かり、読者は深い感動を受けるのです。
加えてパウロが殉教間近にそのローマの獄中で書いた『テモテへの手紙第二』を見ますと、孤独な獄中生活において「ルカだけは私とともにいます」(四章11節)という記録は涙をそそります。彼は「アジアにいる人々はみな、私を離れて行き」とか「デマスは…私を捨ててテサロニケに行ってしまい」と孤独な心境を語る中で「ルカだけは」と言っているのです。ルカという人はそういう人だったのです。彼はあの大伝道者パウロを陰で最後まで支えた、魂への温かな配慮のできる人だったのです。彼は文筆家、歴史家、医師であり、画家だったという伝説もありますが、見落としてはならない点は孤独な戦いの中にあるパウロを離れることは出来なかった人だということです。
四十年以上も前に、前述の聖路加国際病院の日野原重明先生がある本の中で「このルカは『肉体の刺をもつ』とみずから述べた病弱のパウロの晩年の伴侶として、パウロの伝道を助けた」と書かれていたのを読んだことがあります。特に「病弱のパウロの晩年の伴侶」という言葉に心が打たれた思い出があります。これはルカの人間像をよく表現した言葉です。彼の文体は美しいと言われますが、それよりその生き方に見られる「伴侶性」が実に美しいと言いたい。これをある人が「寄り添い性」と言いましたが、この時代に失われている心ではないでしょうか。
こうしたことを考えながら『ルカの福音書』を読んでみて、改めて納得したことは、ルカは他の福音書に記されていない魂への愛と配慮に満ちたイエスの言動を数多く載せているということです。譬話の王と言われる「放蕩息子」の話や対人援助のモデルと言うべき「良きサマリヤ人」の話、無条件の愛を告げる「ザアカイの回心」の物語や、当時弱い立場にあった女性たちを励ますような数々の記録。これらはパウロの良き伴侶であったルカの温かい心を示すものと言ってよいでしょう。これらは聖書を丁寧に読んでみて分かることです。