聖書の世界に生きた人々19 ステパノ−伏線に目を向ける− 使徒の働き6−8章

新約聖書の「使徒の働き」(新共同訳:使徒言行録)の中に、ステパノ(ステファノ)という人物が登場してきます。日本語でこの名前はあまりなじみがありませんが、英語ではスティーブン。こうなるとみな知っています。だれかを思い出す人もいるでしょう。ちなみに有名な作曲家フォスターも名前はスティーブンです。
 ところで、この知る人ぞ知る聖書の人物、ステパノは悲劇的な死を遂げた人なのです。彼はイエスの昇天後に誕生した初代教会において十二弟子たちの働きを助けるために選ばれた七人の執事の一人ですが、その熱心な宣教がユダヤ人の反感を買い、石打ちの刑に処せられ、キリスト教会史上最初の殉教者となりました。もちろん、当時ユダヤ人は死刑執行権を持っていませんでしたから非合法なものでした。
 この物語を読んで驚かされるのは、ステパノの雄大な説教・弁論もさることながら彼の最後です。石を投げつけられているただ中で、ひざまずいて「主よ。この罪を彼らに負わせないでください」(使徒の働き七章60節)と祈ったというのです。これはイエスが十字架上で祈られたものと同じような赦しと執り成しの祈りです。これは驚くべき光景です。
 物語の中で注目したいのは、このステパノの処刑のとき、その決定に賛成していたサウロ(後の使徒パウロ)という青年が、刑の執行者たちの着物の番をしていたということです。彼がこの光景に接して、どのように思ったのかは聖書に記されていませんが、その心の内に何も起こらなかったとは思えないのです。おそらく生涯忘れることのできない刻印を心に残したにちがいありません。それはイエスを信じた後、使徒としての働きの中でステパノの殉教に言及した記録があることからも分かります。
 ウイリアム・バークレーという聖書学者は「サウロは、どれほど一生懸命に忘れようとつとめても、ステパノの死のようすを忘れるわけにはいかなかった」と述べていますが、おそらくサウロの回心の最初の動機・遠因・伏線となったのではないかと思います。
 この物語のこの部分を思い巡らしていると、一人の人間の生き方や人生態度の与える印象が、他の人の人生の方向づけなどにいかに大きくかかわっていくかということを考えてしまうのです。筆者がキリスト教に入信したのは、十九歳の秋でしたが、そのときの経験は非常にはっきり記憶しています。しかし、よくよく考えてみると、そこに至るまでにはさまざまな背景や要因が影響し合っていたように思います。試練の連続ともいえる辛い人生を信仰を持って一生懸命生きていた母の姿を見て、信仰が心の支えになるという実例を子ども心に学んだと思います。また高校生のころ、教会に通う生活の中で見た光景の一つは、いつも温かで穏やかな態度で話しかけてくださったかたの姿です。それはとても印象深いものでした。驚いたのは、そのかたは家庭的に重い課題を抱えておられたにもかかわらず、いつも落ち着いた笑顔をしておられたということです。これなどは当時の私にとって不思議な光景でした。
 考えてみれば、これらはみな入信に至る伏線であったといってよいと思います。これが、ある人の生き方が他の人の人生に大きくかかわっているということなのです。それを考えると、自分の人生を大切に、また丁寧に生きていかなくてはならないという思いになってくるのです。そしてもし幸せな人生を送っていると思えたら、そこに至るまでにはさまざまな背景や伏線があって今に至っているのだと考えて感謝したいと思うのです。これは信仰の世界だけでなく人生全般についてそう考えたいのです。

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