イエス・キリスト

イエス①:神が大工の息子に 人々を魅了した説教と奇跡

イエスの子ども時代について、聖書は詳しいことは何も述べていません。ヨセフはイエスの生物学的な父親ではありませんでしたが、世間的にはヨセフとマリアの長男と見なされ、そのあとに生まれた兄弟たちと同じように育てられたと考えられます。
唯一聖書が記しているのは、イエスが12歳のときの過越の祭りの出来事です。ヨセフとマリアは、過越の祭りの期間は他の多くのユダヤ人同様、エルサレムに上り、そこでユダヤ教の大切な祭りを祝うことにしていました。イエスが12歳になったその年も、同じようにエルサレムでその期間を過ごし、祭りが終わって帰途についたのですが、移動中、目の届く範囲にイエスの姿は見えませんでした。
親戚や近所の人々など、大勢が一緒の旅ですから、その中のどこかにいるのだろうと思っていたのですが、夜になっても見つからなかったため、2人はイエスを捜しながらエルサレムまで戻っていきました。
すると、エルサレムの神殿で、律法の教師たちにまざってイエスが話を聞いたり質問をしたりしているところを見つけたのです。その場にいた人々は、12歳とは思えないイエスの知恵に驚いていました。
マリアは、母親として当然のことですが、どうして1人で黙ってエルサレムに残ったのか、どんなに心配したと思っているのか、とイエスを叱りました。ところがイエスは悪びれもせず、「どうしてわたしを捜されたのですか。わたしが自分の父の家にいるのは当然であることを、ご存じなかったのですか」(ルカ2・49)と答えたのです。
ヨセフにもマリアにも、イエスの言ったことの意味はわかりませんでしたが、「母はこれらのことをみな、心に留めておいた」(同51節)とあります。

弟子の任命
「主の道を備える」という使命を帯びていたバプテスマのヨハネがヘロデに捕らえられた後、イエスはガリラヤに行き、「時が満ち、神の国が近づいた。悔い改めて福音を信じなさい」(マルコ1・15)と声を上げ、宣教を開始しました。
イエスはまず、ガリラヤ湖で漁をしていたシモンとアンデレに、「わたしについて来なさい。人間をとる漁師にしてあげよう」(同17節)と声をかけました。すると2人は、何か感じるところがあったのでしょう、すぐに網を捨ててイエスに従いました。その後、ゼベダイの子ヤコブとその兄弟ヨハネにも声をかけられると、彼らもまた繕っていた網はもちろん、父親までその場に残してイエスについていきました。
神の国について語り始めたイエスのもとに、大勢の人々が集まってきましたが、イエスはあるとき、山に入って徹夜で祈ったあと、多くの弟子の中から12人を選び、彼らを「使徒」と名づけました(マタイの福音書10章参照)。この12人は、このあとイエスといつも行動を共にします。有名な「最後の晩餐」という絵画にイエスと共に描かれているのも、この12人です。
12弟子の1人、イスカリオテのユダがイエスを売り渡し、イエスが十字架にかけられるときになると、残りの11人も、いったんは恐れにとらわれて逃げ出したり隠れたりしてしまいましたが、その後、復活のイエスに出会い、聖霊を受けた後には、自分の命も顧みず世界中に向かって福音を伝えていく者たちとなりました。イスカリオテのユダはイエスを裏切ったあとに自殺をしたので、その後、くじによって新たに選ばれたマッテヤという弟子が新しく12弟子に加えられました。

山上の説教
12弟子が選ばれた後、イエスは自分につき従ってきた群衆を連れて山に登り、山上で一連の教えを説きました。これが後に「山上の説教」として世に知られるものです。その第一声は「心の貧しい者は幸いです。天の御国はその人たちのものだからです」(マタイ5・3)というものでした。これは、「ほかによりどころをもたず、ただ神により頼む者は幸いだ」という意味です。このことばのあとに「悲しむ者は幸いです。その人たちは慰められるからです。柔和な者は幸いです。その人たちは地を受け継ぐからです」(同5・4、5)と続いていく部分を「至福の教え」と言います。一つ一つに深い意味があり、注解書なども出版されていますので、興味のある方は学んでみるといいでしょう。キリスト教のエッセンスを知ることができます。
その他、山上の説教には、「あなたがたは地の塩です」、「あなたの右の頬を打つ者には左の頬も向けなさい」などの有名なことばや、黄金律として知られる「人からしてもらいたいことは何でも、あなたがたも同じように人にしなさい」などのことばが含まれます。

 

民衆の心に届いたイエスのたとえ話

イエスは人々に教えるとき、よくたとえ話を使って話しました。当時の群衆にとって、イエスの話を自分の中に留めておくためには記憶だけが頼りでした。たとえ話なら覚えやすく、忘れにくく、また、神の国や神の愛といった壮大なテーマが身近な日常生活の出来事に置き換えられて語られることで、民衆は自分自身の現実に引き寄せて理解をすることができました。ここでは数々のたとえ話の中から、特に有名なものを1つ紹介しましょう。それはこういう話です。

「ある人に二人の息子がいた。弟のほうが父に、『お父さん、財産のうち私がいただく分をください』と言った。それで、父は財産を二人に分けてやった。それから何日もしないうちに、弟息子は、すべてのものをまとめて遠い国に旅立った。そして、そこで放蕩して、財産を湯水のように使ってしまった」(ルカ15・11〜13)
その後、その国に飢饉が起こると、弟息子は食べるものにも困り始め、豚を飼う仕事を手伝わせてもらいながら、その豚の餌を食べたいと願うほどに飢えに苦しみました。そのとき、ふと思ったのは、自分の父のもとには、パンのあり余っている雇い人が大勢いるのに、自分はここで何をやっているのだろう、ということでした。
ただし、自分がしたことを考えると、ぬけぬけとは帰れません。父に謝罪をして、息子ではなく雇い人として受け入れてくれるように頼もうと決心をし、帰郷すると、父は弟息子がまだ遠くにいるうちにその姿を見つけ、走り寄ると抱きしめて口づけしました。そして、子牛をほふって、息子の帰郷を祝いました。
ところが、それを知った兄息子は、父のために毎日働いていた自分のためには子やぎ1匹ほふってくれたことはなかった、と怒りをあらわにしました。父親はそんな兄息子に、「子よ、おまえはいつも私と一緒にいる。私のものは全部おまえのものだ。だが、おまえの弟は死んでいたのに生き返り、いなくなっていたのに見つかったのだから、喜び祝うのは当然ではないか」と言ってなだめたのです(ルカ15・11〜32参照)。
このたとえ話の中の父親とは、神のことです。父親の存命中に財産分与を要求するという、当時の文化の中ではあまりにも非常識な行動をとった弟息子は、罪人を表しています。神のもとを離れ、罪深い好きかってな生き方をしたあげく、にっちもさっちもいかなくなってから、神のもとに帰って謝罪をしようと決心すると、神は驚くほどの歓迎ぶりでそれを受け入れた、という話なのです。
また、父のその態度を苦々しく思った兄息子は、ユダヤ人を表しています。長子としての祝福を受けていながら、そのことを理解せず、感謝もしていない姿が描かれています。しかし、そんな長子であっても、神は大切な息子としてねんごろに語りかけ、優しくいさめたのでした。

イエスの行った奇跡で神の権威を知る

イエスが、公の場で語り始めてから、十字架にかかるまでの約3年間を、「公生涯」と呼びます。この公生涯の間、イエスは民衆に語りかけて教えるほかに、数々の奇跡を行い、神の力を表しました。
イエスの奇跡は、水をワインに変える、湖の上を歩く、ほんの少量の食べ物を何千人もの人々に分け与える、死人をよみがえらせる、病や障害の癒やしなどさまざまですが、現代のクリスチャンたちはそこから、イエス(神)は、自然現象をも超越し、人の本当にささやかな信仰も献身の思いも、大きく用いて答える存在であるというメッセージを読み取っています。

イエス②:十字架上の救い主死後に人が負うべき神のさばきを、代わりに受ける

イエスは「公生涯」と呼ばれる3年間の中で、人々に神の愛や神の国について宣べ伝え、社会から見捨てられ、嫌われていたような人々に語りかけ、病気の人々を癒やして、彼らの人生を一変させました。
けれども、イエスが人間としてこの世に生まれ、そこで生活をしたのは、それらのことだけが目的だったのではありませんでした。救い主が人間の世界に生まれる意味と目的について、イエスが誕生する以前に書かれた旧約聖書の一巻であるイザヤ書には次のような預言があります。

「まことに、彼は私たちの病を負い、私たちの痛みを担った。それなのに、私たちは思った。神に罰せられ、打たれ、苦しめられたのだと。しかし、彼は私たちの背きのために刺され、私たちの咎のために砕かれたのだ。彼への懲らしめが私たちに平安をもたらし、その打ち傷のゆえに、私たちは癒やされた。私たちはみな、羊のようにさまよい、それぞれ自分勝手な道に向かって行った。しかし、主は私たちすべての者の咎を彼に負わせた。……彼を砕いて病を負わせることは主のみこころであった。彼が自分のいのちを代償のささげ物とするなら、末長く子孫を見ることができ、主のみこころは彼によって成し遂げられる。『……彼は多くの人の罪を負い、背いた者たちのために、とりなしをする』」(53・4〜12)。

ここには、人々が受けるべき神の怒りとさばきを、救い主が代わりにその身に引き受けて砕かれ、取り去られようとしているのに、人々はそれを理解せず、救い主自身が神に罰せられ苦しめられているのだ、ということが書かれています。
イエスの身には、このとおりのことが起こりました。イエスは33年の生涯を、神の子でありながら人間として過ごし、その肉体的な限界や苦しみを共に味わったあとで、自分自身は1つの罪も犯しませんでしたが、すべての人のすべての罪を引き受けて、神のさばきを受けるために十字架にかかりました。
しかし、急に現れて民衆の人気をさらい、それまでの宗教界の理解とはまるで違う神の教えを語り、自分たちの権威を脅かしたイエスを憎んでいた律法学者や祭司長たち、また、最初は、革命を起こし、ユダヤを復興してくれるかもしれない救世主としてイエスに熱狂していたものの、どうもそうではないらしいとわかったとたんにだまされたような気分になっていた民衆たちは、イエスは自分がしでかしたことの結果として罰を受けて十字架にかけられるのだと思っていました。
イエスは、自分が救おうとしている人々の無理解の中、むちで激しく打たれ、あざけられ、殴られ、十字架を担いで刑場まで歩かされ、手首と足首を釘で打たれて十字架につけられました。そして、「父よ、彼らをお赦しください。彼らは、自分が何をしているのかが分かっていないのです」(ルカ23・34)と祈り、最後は「完了した」(ヨハネ19・30)と、神の御心をすべて完遂したことを告げて亡くなりました。

イエスがこうして十字架にかかったことにより、人々はそれまでのように、罪を犯すたびに動物の犠牲をささげる必要はなくなりました。十字架の犠牲が払われたあとは、「雄やぎと子牛の血によってではなく、ご自分の血によって、ただ一度だけ聖所に入り、永遠の贖いを成し遂げられました」(ヘブル9・12)と書かれているように、人は、ただこのことを信じるだけですべての罪を完全に赦されるようになったというのが、聖書が教えていることです。

救い主の復活

イエスの遺体はアリマタヤのヨセフという弟子に引き取られ、ユダヤ人の埋葬の慣習に従って、薬草や香料と一緒に亜麻布で巻かれ、新しい墓に納められました。当時の墓は洞窟のような穴に、大きな岩で封をしたものでした。
イエスが息を引き取ってから3日目の日曜の朝、女性の弟子たちが、遺体に香油を塗るために墓に向かっていました。女性たちの心配は、自分たちでは動かせそうにない墓の入り口の大石をどけるのを、誰かに手伝ってもらえるだろうかということでしたが、墓に着いてみると、なんと石はすでにどかされていました。
驚いて中に入ってみると、イエスの遺体はそこにはなく、ただ、遺体に巻かれていた布が残されているのみでした。何か、普通ではないことが起こったことを悟った女性たちは、12弟子の中でも筆頭格であるペテロとヨハネにそのことを知らせに走りました。
ペテロとヨハネも驚いて墓に走っていきました。そして中を見て、イエスの頭に巻かれていた布が丸めてあるのを見たとき、彼らは「見て、信じた。彼らは、イエスが死人の中からよみがえらなければならないという聖書を、まだ理解していなかった」(ヨハネ20・8〜9)と、ヨハネ自身が記しています。
イエスは十字架にかかる前に確かに「人の子は人々の手に引き渡され、殺される。しかし、殺されて三日後によみがえる」(マルコ9・31)と弟子たちに教えていました。しかし弟子たちは、このことばがイエスの十字架を意味するということも理解していなければ、そのあとに、死んでしまったイエスが本当によみがえるということも信じていなかったのです。
けれども、空になった墓に、イエスの体に巻かれていた布だけが残っているのを見た瞬間、彼らはイエスが語っていたそのことばを思い出し、そして、信じたのです。

復活のイエスに出会った人々

復活したイエスは、以前の姿とどこか雰囲気が違っていたのかもしれません。イエスを目の前にしているのに、それと気づかない人々の話が記されています。たとえば、空になった墓の前で泣いていたマグダラのマリアという女性は、「なぜ泣いているのですか」とイエスに話しかけられたとき、墓がある園の管理人に話しかけられたのだと間違えて、遺体のありかを知らないかと問いかけます。そして改めてイエスに「マリア」と呼びかけられて初めて、それがイエスだということを悟るのです(ヨハネ20・11〜16参照)。
また、エマオという村に向かっていた2人の弟子が、イエスの墓が空になっていたのはどういうことだろうと話し合いながら道を歩いていると、イエスが近づいていって、何を話しているのかと聞きました。しかしこのとき、「二人の目はさえぎられていて、イエスであることが分からなかった」(ルカ24・16)というのです。
2人が、自分たちが聞いた不思議な話について説明すると、イエスは2人の不信仰を嘆き、「キリストは必ずそのような苦しみを受け、それから、その栄光に入るはずだったのではありませんか」(同26節)と教えます。それでも2人はその男性がイエスだとは気づかず、夕方、目的の村の近くに着くと、まだ先に行きそうなその男性を引き止めて、共に夕食の席に着き、イエスがパンを取って祝福し、2人に渡したときに「彼らの目が開かれ、イエスだと分かった」(同31節)のです。
トマスという弟子は、そんな目撃談に対し、「私は、その手に釘の跡を見て、釘の跡に指を入れ、その脇腹に手を入れてみなければ、決して信じません」(ヨハネ20・25)と言いました。そのため、彼は疑い深い人の代名詞のようになってしまいましたが、気持ちはわからないではありません。彼がそう言い放った8日後、イエスは彼の前に現れ、自分の手の傷跡を確認し、(やりで刺された)脇腹に手を差し入れてみよ、と言います。もちろんトマスは、もうそんなことをする必要はありませんでした。イエスに向かって「私の主。私の神よ」と信仰告白をするトマスに、イエスは、「見ないで信じる人たちは幸いです」(同28〜29節参照)と言います。
このようにして、イエスは次々に、イエスの死を嘆き悲しんでいた人々の前に現れ、十字架とは、あらかじめ定められていた神の救いの計画であり、死で終わるものではないのだということを示しました。

イエスの昇天と聖霊の降臨

イエスは復活した後、さまざまなかたちで弟子たちの前に現れ、40日間、地上にとどまり、自分が生きていることをはっきりと示し、神の国について教えました。それから、弟子たちに、もうじき聖霊が下るのでそれを待つように指示したうえで、「聖霊があなたがたの上に臨むとき、あなたがたは力を受けます」(使徒1・8)と述べ、その力を用いて「全世界に出て行き、すべての造られた者に福音を宣べ伝えなさい」(マルコ16・15)と命令しました。そして、弟子たちが見ている前で天に上げられ、雲に包まれて見えなくなりました。
この聖霊が与えられることについては、十字架にかかる前に、イエスはすでに弟子たちにこう話していました。「わたしが父(神)にお願いすると、父はもう一人の助け主をお与えくださり、その助け主がいつまでも、あなたがたとともにいるようにしてくださいます。この方は真理の御霊(聖霊)です」(ヨハネ14・16〜17)。
イエスが昇天してから10日ほどたったころ、弟子たちが集まって祈っているときに不思議なことが起こりました。「突然、激しい風が吹いて来たような響きが起こり、彼らが座っていた家全体に響き渡った。また、炎のような舌が分かれて現れ、一人ひとりの上にとどまった。すると皆が聖霊に満たされ、御霊が語らせるままに、他国のいろいろなことばで話し始めた」(使徒2・2〜4)のです。
イエスがあらかじめ語っていたように、弟子たちはこのときから聖霊の力を受け、この後、ローマ帝国の激しい迫害に屈することもなく、イエスの教えと十字架の死と復活について語り伝えていくようになります。イエスが十字架で処刑された時に逃げてしまったのとは大違いです。
この弟子たちの教えを受け入れて信じた者たちが、「キリスト教徒」や「クリスチャン」と呼ばれるようになりました。

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