ヨセフとマリア:救い主の父母 理解を超える役割を与えられた婚約者たち

受胎告知

旧約聖書には、救い主がダビデの子孫から生まれるということが預言されています。イエスの父……というよりは、イエスを産むことになったマリアと婚約していた大工のヨセフは、ダビデの子孫でした。新約聖書のいちばん最初のページ、マタイの福音書1章にある家系図がそれを示しています。
ヨセフと婚約していたマリアのもとに、あるとき、御使い(天使)が現れ、「あなたは身ごもって、男の子を産みます。その名をイエスとつけなさい」(ルカ1・31)と告げます(このことを「受胎告知」と言います)。まだ結婚もしておらず、処女であったマリアは驚き、戸惑いますが、御使いが、それは聖霊によるもので、「それゆえ、生まれる子は聖なる者、神の子と呼ばれます」(同35節)と告げると、マリアは「あなたのおことばどおり、この身になりますように」(同38節)と答えました。
しかし、マリアは御使いの告げたことをすべて理解し、納得したうえでこう答えたわけではなかったはずです。処女のまま身ごもることも、生まれてくる子が神の子と呼ばれるということも、おいそれと受け入れられる事実ではありません。これは、神が直接彼女のもとに御使いを遣わし、「こうなる」と告げたことならば、自分の理解をはるかに超えたことではあっても、そのとおりにしてください、という信仰の告白でした。
一方、ヨセフは、婚約者が妊娠したことを知ったとき、「ひそかに離縁しようと思った」(マタイ1・19)と聖書に記されています。この時代、結婚前に身ごもるようなことがあれば、その女性は姦淫の罪で石打ちの刑に処せられ、殺されました。ヨセフは、自分以外の誰かの子を宿した婚約者をかばうために、婚約を解消し、ひそかに去らせようとしたのです。
そんなヨセフのもとにも御使いが現れ、「ダビデの子(子孫の意味)ヨセフよ、恐れずにマリアをあなたの妻として迎えなさい。その胎に宿っている子は聖霊によるのです。マリアは男の子を産みます。その名をイエスとつけなさい。この方がご自分の民をその罪からお救いになるのです」(マタイ1・20〜21)と告げました。マリアと同じようにヨセフも、このことばを信仰をもって受け止め、マリアを妻にし、守り助け、夫としての役割、父親としての役割をしっかりと果たしたのです。

救い主の誕生

ヨセフとマリアはガリラヤのナザレという所に住んでいましたが、ローマの皇帝アウグストゥスから住民登録をせよという勅令が出たため、自分の先祖の出身地であるユダヤのベツレヘムに向かいました。ヨセフとマリアだけではなく、すべてのユダヤ人が勅令に従うために先祖の出身地を目指していっせいに民族大移動をしたので、身重のマリアを気遣ってゆっくりしたペースのヨセフがベツレヘムに到着した頃は、宿屋はすでにどこも満杯だったようです。
どうにか泊まらせてもらえたのは家畜小屋でした。マリアはそこで男の子を産み、2人はその子に御使いに言われたとおりイエスと名づけ、布でくるんで飼葉桶に寝かせました。
その晩、ベツレヘムの野原で夜番をしながら羊の群れを見守っていた羊飼いたちは、不思議な光景を目撃しました。突然、夜空が明るくなり、御使いが現れ、「今日ダビデの町で、あなたがたのために救い主がお生まれになりました。この方こそ主キリストです」(ルカ2・11)と宣言したかと思うと、軍勢のような多くの御使いたちが空を埋め尽くし、「いと高き所で、栄光が神にあるように。地の上で、平和が みこころにかなう人々にあるように」(同14節)と賛美し始めたのです。
旧約聖書に書かれている救い主の出現を、いちばん最初に直接知らされたのは、当時の社会の中では身分の低い者とされ、誰にも重んじられることのなかった貧しい羊飼いたちだったのです。彼らは「あなたがたは、布にくるまって飼葉桶に寝ているみどりごを見つけます」(同12節)という御使いのことばどおり、すぐに出かけて行くと、ヨセフとマリアに守られて眠る赤ん坊を見つけ出し、神をあがめ、賛美しました。マリアは羊飼いたちが語ることを「すべて心に納めて、思いを巡らして」(同19節)いました。

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