洗礼者ヨハネ:救い主到来を預言 キリストに洗礼を授けた預言者

マリアのもとに御使い(天使)が現れて受胎告知をする約半年ほど前、ザカリヤという年老いた祭司のもとにも、御使いが現れ、「あなたの妻エリサベツは、あなたに男の子を産みます。その名をヨハネとつけなさい。……彼は……母の胎にいるときから聖霊に満たされ、イスラエルの子らの多くを、彼らの神である主に立ち返らせます」(ルカ1・13〜16)と告げていました。
ザカリヤも妻エリサベツも「神の前に正しい人で、主のすべての命令と掟を落度なく行っていた」(同6節)と評されるりっぱな人たちでしたが、エリサベツは不妊の女性で、子どもを産めるような年齢はとっくに過ぎていたため、ザカリヤはそのことばを信じることができませんでした。
そこで御使いは、「これらのことが起こる日まで、あなたは口がきけなくなり、話せなくなります。その時が来れば実現する私のことばを、あなたが信じなかったからです」(同20節)と言いおいて去っていきました。
御使いのことばどおり、エリサベツは身ごもりました。そしてその6か月目に、エリサベツの親類でもあるマリアが訪ねてきました。マリアは御使いに受胎告知をされたとき、「あなたの親類のエリサベツ、あの人もあの年になって男の子を宿しています。不妊と言われていた人なのに、今はもう六か月です。神にとって不可能なことは何もありません」(同36〜37節)と言われていました。
御使いに、信じ難いようなことを告げられて、信じ難いようなことを体験しているマリアにとって、その不安も恐れも期待も興奮も、何もかも共感できる相手はエリサベツだけだったでしょう。マリアがエリサベツの家に着いたときのようすを、聖書はこう記します。「エリサベツがマリアのあいさつを聞いたとき、子が胎内で躍り、エリサベツは聖霊に満たされた。そして大声で叫んだ。『……私の主の母が私のところに来られるとは、どうしたことでしょう。あなたのあいさつの声が私の耳に入った、ちょうどそのとき、私の胎内で子どもが喜んで躍りました。主によって語られたことは必ず実現すると信じた人は、幸いです』(同41〜45節)。エリサベツはマリアを、親戚の若い娘としてではなく、「私の主の母」として迎えたのでした。
その後、月が満ちてエリサベツが男の子を産むと、近親者たちは当時の習慣に従って父親と同じ「ザカリヤ」という名前をつけようとしますが、エリサベツは「ヨハネ」と名づけると言って譲りませんでした。人々が「親族にはそんな名前の者はいない」と意義を唱えながら父親のザカリヤの意見を聞くと、口のきけなくなっていたザカリヤは書き板を持って来させて「彼の名はヨハネ」と書き、人々を驚かせます。その瞬間、ザカリヤは再びしゃべれるようになり、人々はみな神を恐れてほめたたえました。

イエスの行く道を整えた預言者ヨハネ

こうして、イエスより半年ほど早く生まれたヨハネは、「主の御前を先立って行き、その道を備え」(ルカ1・76)る者になると預言されました。彼のことは旧約聖書のイザヤ書にも、「荒野で叫ぶ者の声がする。『主の道を用意せよ。荒れ地で私たちの神のために、大路をまっすぐにせよ』」(イザヤ40・3)と預言されていましたが、具体的には、荒野で質素な生活をしながら「悔い改めなさい。天の御国が近づいたから」と言って人々の心を、来るべき救い主に向ける準備をしていました(マタイ3章参照)。
そして、自分の罪を認めた多くの人々にヨルダン川でバプテスマ(洗礼)を授ける一方、当時の権威者とされていた律法学者たちが、律法を字義どおりに厳密に守ることを何よりも大事にしながら、その精神を少しも理解しようとせず、むしろそれに反する心持ちでいる偽善性に対して、鋭い批判をしていました。
あるとき、ヨハネのもとにイエスがバプテスマを受けにやってきました。ヨハネは驚いて「私こそ、あなたからバプテスマを受ける必要があるのに」(マタイ3・14)と固辞しますが、イエスが「今はそうさせてほしい。このようにして正しいことをすべて実現することが、わたしたちにはふさわしいのです」(同15節)と言ったので、ヨハネはイエスにバプテスマを授けました。するとそのとき、天から聖霊が鳩のようにくだって、「これはわたしの愛する子。わたしはこれを喜ぶ」(同17節)という声がしました。
ヨハネはこうして、イエスが活動を始める前の道備えをし、人々に悔い改めを呼びかけたのですが、時の権力者ヘロデの罪を糾弾したため、最後はヘロデに殺されました。

関連記事

おすすめ記事

ページ上部へ戻る